風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

新世代エディターズファイル

2021-03-16 | 読書

日本全国+アジアの61エディターを紹介する本書が本日発売。
いわば「編集者名鑑」のような本は初かもしれない。
ここに岩手県から3チームが紹介されている。
ローカルメディアとしては老舗で
人気の「てくり」を発行している「まちの編集室」(盛岡)、
遠野物語を主なモチーフとして
遠野のプロモーションを手がけている「to know」(遠野)、
そして私の「オフィス風屋」(花巻)の3チーム。

もちろん近隣県のチームも紹介されているので
県を越えた連携するための連絡もできるし
紹介されている各チームが、単なるメディア制作に止まらない
さまざまなプロモーション、グッズ開発、場づくりなど行なっていて
それはこちらにとってもとても参考になる。
デザインや写真などについてはこれまでも名鑑があったが
エディターの守備範囲は広いから、内容も面白い。

「編集」とは単に本、雑誌や電波、webだけじゃない。
まちづくりは「まちの編集」だし、人事や組織は「ひとの編集」、
金融、財務だって「おかねの編集」だ。
編集の仕事は料理に例えることができる。
素材の魅力をより活かし、ニーズに応える料理を作る。
それが編集。
実は「作る」だけじゃなく、いかに売るかも編集の範疇だ。
そんな仕事にやりがいを感じているし、面白いのだが、
世間ではまだまだ存在意義を理解してもらっていないことが残念。
だからこそ本書発刊の意義は大きい。

「新世代エディターズファイル
 〜越境する編集ーデジタルからコミュニティ、行政まで」
影山裕樹、桜井祐、石川琢也、瀬下翔太、須鼻美緒:編
(株式会社BNN:刊)
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まえの日

2021-03-15 | 音楽
聴くとどうしても泣けてくる歌がある。
一番は「思い出のアルバム」。
これはダメだ、イントロでもうウルウル。
ズルい歌だと思うよ。

で、もうひとつ見つけた。
BEGINの比嘉栄昇さんソロの曲。
「まえの日」




明日は上の孫の卒園式。
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Happy White Day

2021-03-14 | 風屋日記

自分の周囲の人たちはもちろん
すべての人たちが幸せを感じていますように。
笑顔で過ごせていますように。
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追悼

2021-03-13 | 読書

他の本を買おうと入った書店で見つけ
つい手にとってしまった本。
以前「昭和史」を読んで、
事実に裏打ちされた細かな記録に驚愕した。
それもこれも、ご自身が体験した東京大空襲や
文藝春秋社勤務時代に知己を得た坂口安吾や司馬遼太郎など
昭和を生きた人たちからの影響によるものだという。
決してイデオロギーに縛られた人じゃないことは
リベラルから保守的出版社まで、
さまざまな出版社からの刊行物があることでわかる。
その思想の根源はシンプルでわかりやすく納得できる。

特に日清戦争〜日露戦争のころと第二次大戦の頃の
日本の政府と軍の対応の違いは目からウロコ。
日清戦争で勝ったものの、三国干渉で苦汁を飲まされた日本は
その経験を日露戦争に活かした。
「この痛烈な体験があったゆえに、
 日露戦争にさいしては、開戦当初から外交戦を開始し、
 和平の仲介役にアメリカを動かそうとしっかりと目標を定めていた。
 それが見事に成功し、日露戦争の『勝利』を国際的に確定することができた。
 なのに、戦前昭和においては外交努力は欠落していた。
 その結果はいわずもがな、なのである」

私の心の師は柳宗悦さんだが
物書きの端くれとしてはこの人も心の師と言える。
この時代、最も必要な人だと思うのだが・・・
本当に惜しい人を亡くした。
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人の世

2021-03-12 | 社会
今年は2021年で、私は今60歳。
100年前の1921年は大正10年で、原敬が暗殺された年だ。
歴史上のこととしてしか感じていなかったが
考えてみれば私が生まれる、ほんの40年前のことだ。
2002年に96歳で亡くなった伯父は
当時、旧制盛岡中学生で、
葬儀のために盛岡駅に着いた原敬の棺を
全校生徒整列して出迎えたのだと生前話していた。
そう考えると、そんなに大昔のこととは思えなくなる。

さらに100年前の1821年は文政4年。
江戸時代後期で、シーボルト事件よりも前だ。
勝海舟も西郷隆盛も大久保利通もまだ生まれていない。
でもたぶん、大正10年に60歳の人から見れば
そんなに大昔のことじゃないんだろうね。
私の亡祖父はそのころおそらく50代前半だったと思う。
どんな時代を生きていたんだろう。
ちなみに親父が生まれたのはその2年後のこと。
(あと2年で、生きていれば100歳だねぇ)

さてこれから100年後の2121年。
もちろん私も、息子たちももう生きてはいないのだが
もしかしたら今6歳、4歳、0歳の孫たちは存命かもしれない。
どんな世の中になっているのだろうか。
もう私の存在は忘却の彼方なんだろうなぁ。
「こんな人が生きていた時代はどんなだったんだろう」と
少しは思いを馳せてくれるかな?

そうやって、
人の世は少しずつ受け継がれていく。
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2011.3.11

2021-03-11 | 風屋日記

ひっきりなしに上空を飛び回るヘリコプター、
時折猛スピードで走っていく他県ナンバーのパトカーのサイレン。
それでもいつもより妙にしんと静かな数日間。
夜は断続的にやってくる震度3〜5ぐらいの余震に備えて
服を着たまま、ラジオも付けっぱなしで横になる。
三陸沿岸各地から届く被災状況と避難所からの生存者情報。
ろうそくの灯、つながらない携帯。
寒さ対策で毛布をかぶり、
車の給油に2〜3時間並んだガソリンスタンド。
それでも入れてもらえるのは10リッター。
数日後、窓枠いっぱいに貼った大きな紙に
「おにぎり入荷!」と書かれたコンビニエンスストア。
ようやく停電が解消され、
「ブン」と鳴って点いたテレビに映る津波の映像。
携帯が繋がり始めると一斉に着信を始めた安否確認メール。

3/22、止まっている新幹線の代わりに運行を始めた
飛行機の臨時便で単身赴任先の東京へ、
家族を残して帰らざるを得ず後ろ髪ひかれながら帰京。
そこで待っていたのは、東京の友人たちの笑顔とハグだった。
「よくぞ無事で」
羽田空港まで迎えに来てくれた友人もいた。

数十万人、数百万人の「あの日」がある。
それを決して忘れてはいけない。
「あの日」から10年。
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76年目

2021-03-10 | 世界・平和
今日は東京大空襲忌。
生まれる前のことだけど、何度もその光景を想像してきた。
歴史的なこととして捉えるのではなく
その時の光景を想像してみるって大事なことだと思うんだ。
76年目、合掌。
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宮古メシの旅

2021-03-09 | 食べ物・お店
今回の宮古への旅で楽しみだったのは
もちろんシネマ・デ・アエルの場所を見に行くのも
三陸鉄道初乗車もあったけれど
(山田線毛ガニ号は思いがけないオマケになった)
実は最近話題の瓶丼を食べるのも大きな目的のひとつだった。
以前から岩泉小本出身の、前職の部下から
「盛岡の寿司は寿司じゃない。宮古はもっと美味しいです」
と聞いていたから、寿司食べようと思っていたら
直前に件の部下(現在は小本の実家暮らし)からのLINEで
「今は寿司より瓶丼です」
と事前情報のレクチャーを受けていたので。

最近宮古の仕事をしていた仲の良いデザイナーから店情報をもらい
夕方早めにホテルへチェックイン。
翌日の映画上映会場下見の後、まずはいつものまち散歩を行う。
(初めて行ったまちでは、必ずこれを行うことにしている。
 知らない街のまち散歩は楽しい)


まちなかに風呂屋がある。いいなぁ(^^)


駅前はきれいなイルミネーション。
ここも10年前は津波被害があったところだ。
モロに津波を被った市役所は駅横に移転していた。



路地のネオンに惹かれているうちに頃合いのいい時間になった。
ってことで、教えてもらった割烹おかめさんへ。



酎ハイを飲んでいるうちに、きたきた(^^)
これが瓶丼。
ご飯の上に牛乳瓶に入った海鮮をぶちまけ、
その上に小皿の薬味を載せる。


もうこれだけで美しい。
薬味と書いたが、カニのむき身やイクラも。
これで満足しなければバチが当たるだろうな(笑)
ご飯も銀シャリみたいに少し固めで、もちろん大満足。
思っていた以上にボリューミーで腹が苦しい。

おかめさんを出た後、またネオン街に向かおうと思ったが
思っていた以上に腹が苦しかったのと、夜風が寒かったこと、
そして何より懐が寒かったので(^^; まっすぐホテルに帰り、
震災から10年特番ドラマなど見て過ごした。

翌日は映画上映の後
やはりこちらもデザイナーから教えられたワンタンの店へ。
件の元部下が本販売の手伝いに来てくれたので一緒に。






まるで花巻の中華そばの店「竹駒」みたい。
狭くて古い店だけど、結構混んでるってことは人気店だね。



超あっさりで魚系ダシのスープが旨味たっぷり。
名物のワンタンはトロトロだ。
こりゃ美味いや。

・・・と腹が満たされてから魚菜市場へ。
こちらにも海鮮丼の店があったけれど、もうお腹に入らない(^^;
宿題を残して宮古を後にしたのだった。
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宮古にて

2021-03-08 | 
昨日宮古に行ったのは
「マルカン大食堂の贈り物」上映に伴い
ちょっとした話をさせてもらうのと
映画で取り上げてもらった写真集やマルカン本販売のため。


明治期に建てられたという
こんな古い商家(かつては造り酒屋だったとのこと)にて
映画に関わる活動をしているシネナ・デ・アエルの
ご協力によるものだった。




上映会は母屋裏にある
こちらは江戸期に建てられたという
国の保存文化財の酒蔵にて。
すごくいい雰囲気。



ロビーにはこれまで上映した映画ポスターや古本販売も。


その一角にワタシが持参した本も置いてもらった。


ハコ的にもちょうどいい広さ。
写真ではスクリーンが小さく見えるけれど
案外このスペースにはちょうどいい感じだった。
おかげさまで(たぶん)好評のうちに上映終了し、
終了後に販売写真集、マルカン本の説明や
今後の展開についてのお願いをお話しし
本もそれなりに買っていただいた。
まさかの再会もあり(みったくん、気仙沼からありがとう)
また、初めてお目にかかる方ながら
私のブログやnoteを知っていて
奥州市から来ていただいた方との出会いなどもあり
とても有意義な時間を過ごすことができた。


その後の上映作品にも後ろ髪ひかれながら
魚菜市場に寄ってお土産など買い
帰りは山田線経由、盛岡乗り換えの東北線で帰花へ。




帰りのコースはネットの路線案内で決めたんだけど
その列車が臨時便の快速「毛ガニ号」とは知らなかった。
全席指定で、最前列の展望コーナーもある新しい車両。
足元も広くて快適この上ない。
どうやら人気らしく、指定席はそれなりに混んでいた。


昔、息子たちが小さい頃に
盛岡から区界まで乗ったことがある山田線だけど
フル乗車は初体験。
仙人峠以外は田園地帯が広がる釜石線と違い
沿線の木の枝が車窓を擦るほどほぼ山の中を走る。
前夜は眠れなかったんだけど
眠気が起きないほど車窓風景に夢中になった。
2時間ちょっとの乗車時間があっという間。
上米内を過ぎて、盛岡市内に入ってからもなかなかの風景だ。
くっきり鮮やかな岩手山が迎えてくれた。

釜石線から三陸鉄道へ、そして山田線から東北線へ。
ローカル線を乗り継いでぐるっと1周した宮古への2日間。
いい旅だったな。
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三陸の旅

2021-03-07 | 
昨日は釜石線で花巻〜釜石、
乗り換えて三陸鉄道で釜石〜宮古へと
初めての三陸鉄道乗車の旅。
(釜石線で釜石まで行ったのも何十年ぶり)


花巻駅を使うのすら久しぶりだからねー。


快速はまゆりは旅仕様。
ベンチシートと違って車窓も楽しめる。


春の岩手路、いい季節になってきた。
車内から見れば・・・ね😅
外はまだまだ風が冷たいんだけど。


レトロな遠野駅。



釜石へは1時間半ほどだ。
JRの駅から三鉄への乗り換えはちとわかりにくい。
その理由は後述。


三鉄釜石駅前。
釜石線70周年は個人的にも思い入れが深い。
その話はそのうち書こう。


いよいよ三鉄乗車。
1両のみの各駅停車 釜石発宮古行き。


春の海はひねもすのたり、のたりかな。
水面がキラキラしていて気持ちいい。


震災翌年に来た時
鵜住居の駅は跡形もなかった。
こんなに立派になっている。


三陸鉄道は笑顔をつなぐ、ずっと・・・。



電車で宮古に降り立ったのは初めて。
これまでは車で仕事に来た経験しかないから
まちそのものに興味津々。
さっそく駅前の喫茶店で体制整えて
早めにホテルへチェックインしてからぶらぶら歩いてみた。

ところで三鉄の車窓の風景には考えさせられた。




新たに設置される高い防潮堤はまだ一部工事中。
津波被災地も順繰りに区画整理されて整地が進むが
揃って立てられた電柱や立派な道路が目立ち
新築の家はまだポツリポツリしかない。
あまりにきれいに揃いすぎて無機質な感じだ。
人の温もりが感じられるまちになるには
まだまだ時間がかかりそう。
瓦礫を撤去し、泥を排し、整地すれば復興ではない。
人々の暮らしが定着してはじめて復興だ。
10年経ったが、年数でもないだろう。
果たして「復興五輪」はこのタイミングだろうか。

ところで釜石駅のことを書いた。
JRを降車し、ホームから通路に降りると
「JR出口」「三鉄出口」が左右にあるのだが、
「三鉄出口」にはロープが張られている。
どうすれば乗り換えられるのかまったく案内がない。
「こちら三鉄」みたいな看板は数ヶ所あれど
どこもロープが張ってある。
仕方なくJRの改札に行き、
「三鉄はどこから乗ればいいですか?」と尋ねると
JRの駅員さんはひと言「そっち」と。
「一旦外に出るんですか?」と重ねて聞くと
今度は声も出さずに頷くだけだった。
いつも使ってる人なら当たり前のことでも
初めて来た人はわからないだろう。
それをさも面倒くさそうに対応するというのは
いかがなものかと思う。
一方三鉄の方は懇切丁寧だった。
要所要所に係員を配し、笑顔での案内。
ま、それでもちとホームが分かりにくかったけどね。
それはJR側と三鉄側をおざなりに区分けしている結果。
どっちかいうと、JRの方が
「以前はJRのホームだったところを使わせてやってる」
的に見えてしまう。
確かに釜石線は赤字路線なのだろうが
だからといって投げやりな対応でいいのか?
それだとますます利用者がいなくなるんじゃないのか?
実は同じことを盛岡駅でも以前感じていたから
ちょっと苦言を呈したくなった。


おりしも4/1から半年間
東北デスティネーションキャンペーンが行われる。
コロナ禍で一体どうなるのかわからないが
施策を打ち出すだけでなく
少し対応を考えた方が良いのではなかろうか。
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「マルカン大食堂の贈り物」上映

2021-03-06 | 映画・芝居・TV


明日は宮古でコレ。
もちろん私も駆けつけます。
映画の中に出てくるマルカン思い出写真集や
原案となった拙著「マルカン大食堂の奇跡」販売、
そしてもしかしたら少し話も。
お近くの方は是非ご来場ください。
「マルカン大食堂の贈り物」上映は10:30から。
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活版印刷

2021-03-05 | 文化
私がかつて勤めていた会社は創業が明治26年。
岩手県内で現存するうちで一番古い印刷会社だった。
昭和40年代までは活版印刷が中心で
その後も昭和60年ごろに完全オフセット印刷に変わるまで
活版印刷もオフセットと並行して行っていた。
経営自体が変わってしまい、
私自身も退職後一度も会社を訪れていないので
今はどうなっているのかわからないが
少なくとも私が退職した2014年までは正面玄関を入ったロビーに
かつて使っていた活字や字母を棚に入れて飾っていた。

 

字母とは鉛活字を鋳造する際、型となる真鍮の母型だ。
漢字も、ひらがな、カタカナも、英数字も
様々な大きさで揃っていて、かなり高価なものだったらしい。
真鍮なので重い。
30cm四方の箱に入っているものを持とうと思ったら気合が必要。
もちろん現役当時は鋳造機もあった(らしい)。
宮沢賢治さんは処女詩集「春と修羅」を印刷する際に
印刷を依頼した印刷所にない活字を当時の当社に借りにきたとのこと。
活字は文字なので、得意なのは当然書籍(ページもの)だった。

 



鋳造された活字は棚に入れられ、必要都度拾われる。


この「活字を拾う」作業を文撰と言い、
文撰工は立派な職人だった。
賢治さんの「銀河鉄道の夜」の中で
ジョバンニくんがアルバイトしていたのがこの文撰作業。

そして拾った活字を版に挿していくのが植字。
まるで活字を植えるみたいな作業だから
こういう言い方をしたのだろう。
ちなみに写植というのは「写真植字」で印画紙に移していく作業。


最終的に全体の版を作っていくのは製版だ。
それをハンコのように神に転写してくのを印刷と言った。

つまり活版印刷には文撰、植字、製版、印刷、そして製本と
5つの技能職があったことになる。

活版で印刷されたものは、印字で押しつけられた部分が凹む。
その手触りにえも言われぬ魅力を私は感じる。
特に厚手の中質紙への活版印刷は凹み具合も大きく
書籍などは内容を読む前にページ全体を手で撫でてしまう。
そんな名刺を持った人が羨ましくて仕方がない。
活版に萌える私は、もはや変態(笑)

会社にあったあの活字や字母はどうなったのかなぁ。
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哲学と理念

2021-03-04 | 社会
森友、桜を見る会、学術会議、菅首相の息子問題・・・
官僚たちによる国会軽視というか
不祥事や虚偽答弁などの報道を見るたびに
彼らが哀れで仕方がない。
どんなに倫理違反と言われようと
首相の息子の誘いを断れるわけがない。
人事権を握られているから、
どんな報復が待っているかわからないから。
かといって誘いに乗ればバレて処分される。
引くも地獄、進むも地獄。
もちろん悪いのは政治家たちなんだけど
ハラを切らされるのは官僚たちだ。

みなさん東大はじめ、名門大学を出て
キャリア官僚として国のエリートになったはずなのに
どうしてそういうことになってしまうのか。
政治主導の国の体制に変わってきたのもその一因だが
飛躍しすぎかもしれないけれど
貫き通す哲学や理念の確固たる強さが
昔と比べて薄れてきている気がしてならない。
昔は大学で専門的学問を身につける前に
旧制高校で哲学や理念を徹底的に叩き込まれた。
今は難関大学といえども
「公認会計士試験合格率」やら「司法試験合格者数」やら
そんなものが学生募集で謳われている。
「回り道せず効率よく社会的地位を手に入れる」人生が
結果、哲学や理念を蔑ろにしていると思うんだ。
哲学などの無駄な本を読むよりビジネス書を読め、
仲間たちと論じる暇があったら受験勉強をしろ。
そんな風潮が、官庁のみならず民間企業でも
「多少ウソをついてでも事なかれを貫く」
「自分に不利なことから逃げる」
という流れを生んでいる気がしてならない。

「マスクしろ」とか「他県に来るな」とか「子供を黙らせろ」とか
自分で少し考えりゃいいことを声高に主張、
全くどうでもいいような「must do」ばかりで窮屈となり
「理念に従って動く」「良心を大切に仕事をする」みたいな
「本当に必要なmust do」が疎かになっている。
最近の政治や世相を見ていてつくづくそう思うよ。
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雛まつり

2021-03-03 | 生活の風景


息子たち、孫たちと男ばかり。
これまでまったく縁がなかった我が家にも
女の子の孫が生まれて初桃の節句。
何だか嬉しい(^^)
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居場所

2021-03-02 | 神楽・芸能

先週土曜日
フォトジャーナリスト&アーティストの
エバレット・ケネディ・ブラウンさんが来花。
我々の上根子神楽をご覧いただいた。
演目は、疫病退散の願いもこもる八幡舞と権現舞。
喜んでいただいた・・・と思う。

終わった後、エバレットさんといろいろ話をした。
「どうしてこちらでは若い人たちが神楽を伝承しているのか」
「彼らは神楽を舞いながらなにを感じているのか」
私からの「ここに彼らの居場所があるからだと思います」の答えに
「『居場所』って何なのでしょうね」と。
さすがは文化人類学も学んできた国際的ジャーナリスト。
質問が鋭い。
その時は自分でも納得のいく言葉が見つからなかったが
あとからなんとなくそれっぽい答えが浮かんできた。
「日常」だ。

長いこと政治家をしていた私の伯父の主張は
「大衆の中にこそ道理がある」だったが
それをもじって、思いついた言葉が
「日常の中にこそ文化があり、神が宿る」だ。
仕事をし、生活し、家族と生きる延長線上に神楽がある。
それこそが文化・・・ということを気づかせてくれた
エバレットさんに心から感謝。
インタビュアーとしてツッコミ方もかなり勉強になったし。

今後も仕事絡みの別な形で関われそうな気がしている。
この出会いは貴重なものだった。
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