私の母校である岩手県立花巻北高等学校は
何度も、何度も、何度も書いているが
令和のこの時代にもいまだにバンカラの校風を標榜している。
もちろん私の頃もそうだったのだが
今のように応援団幹部だけが「特殊な制服」を着て
バンカラスタイルを継承している
特別な存在だったわけではなかった。
私の頃は一般生徒も足駄(高下駄)を履き、腰手拭いに
ボロボロに敗れた白線1本の学帽をかぶっていた。
応援団幹部だけ特別視される今の風潮に
少々違和感を抱かないわけではないが、それもまた時代。
スマホを持ちながらバンカラは似合わないのだろう。
それよりも、実はもっと違和感を感じることがある。
今のバンカラ後輩たちは「押忍!」と言い
ことさら「漢(おとこ)」の世界を強調している。
どうやら昔の「花の応援団(わかる人にはわかる)」の世界を
普段の生活から意識しているらしいのだ。
この辺の哲学からして違うんだなぁ。
我々の時代、バンカラは旧制高校の世界への憧れからだった。
自主、自由を愛し、理系も文系も思索に興じ
学校の勉強とは別に、自ら哲学を学んだ者たち。
太鼓を打ち鳴らし、ストームに狂乱し、
馬鹿馬鹿しいことにも夢中で取り組むノリの良さ。
多少周囲に迷惑をかけても、泰然自若とした肝の座り方。
(世間の許容も懐が深い時代でもあった)
そんなことに憧れ、弊衣破帽に本を抱えて歩いたものだ。
本書は私の、ある意味バイブル。
旧制高校の生活を回顧したノンフィクションだ。
そこにはのちに真のエリートとして大成した方々の
旧制高校生時代の姿がルポしてある。
この精神が身についているなら、
実は殊更姿形ばかりバンカラにしなくてもいいとすら思う。
要は、受け継いで欲しいのは精神だからだ。
スタイルはそれを体現しているに過ぎないと思う。
戦前の学制は
小学校(6年)→旧制中学校(5年)→旧制高校(3年)→大学(3年)
(女学校 4年) →高等師範学校(2年)
→高等専門学校(4年)
→実業学校(3年)
→高等科(2年)→師範学校(4年)
という形となっている。
小学校は基礎教育、中学校(女学校)は知識教育、
そして高等学校で人間形成を図りつつリベラルアーツに触れ
大学で高等専門教育を受けるという役割がしっかりできていた。
だから、破天荒をやってもそこにはちゃんと理念があり
本質を理解した上でブレイクスルーもできたのだろう。
現代はどうか。
小学校→中学校→高校(実業系もあり)→大学or専門学校と
進路も直線的で、より実務に特化しつつある。
大学の教養課程が昔の高等学校や予科に通じるのだが
今や教養課程そのものの存在意義も曖昧となり
(私の年代だと高校の延長線や復習に過ぎなかった)
人間形成すべき課程がなくなってしまった。
私は戦前回帰や明治回帰には生理的にも反対するものだが
学制だけは当時のシステムを大いに評価している。
そういう道を辿った人は
少なくとも公文書改竄や答弁ごまかしなどという姑息なことは
おそらく恥ずかしくてできないだろうと思うのだ。