風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

活版印刷

2021-03-05 | 文化
私がかつて勤めていた会社は創業が明治26年。
岩手県内で現存するうちで一番古い印刷会社だった。
昭和40年代までは活版印刷が中心で
その後も昭和60年ごろに完全オフセット印刷に変わるまで
活版印刷もオフセットと並行して行っていた。
経営自体が変わってしまい、
私自身も退職後一度も会社を訪れていないので
今はどうなっているのかわからないが
少なくとも私が退職した2014年までは正面玄関を入ったロビーに
かつて使っていた活字や字母を棚に入れて飾っていた。

 

字母とは鉛活字を鋳造する際、型となる真鍮の母型だ。
漢字も、ひらがな、カタカナも、英数字も
様々な大きさで揃っていて、かなり高価なものだったらしい。
真鍮なので重い。
30cm四方の箱に入っているものを持とうと思ったら気合が必要。
もちろん現役当時は鋳造機もあった(らしい)。
宮沢賢治さんは処女詩集「春と修羅」を印刷する際に
印刷を依頼した印刷所にない活字を当時の当社に借りにきたとのこと。
活字は文字なので、得意なのは当然書籍(ページもの)だった。

 



鋳造された活字は棚に入れられ、必要都度拾われる。


この「活字を拾う」作業を文撰と言い、
文撰工は立派な職人だった。
賢治さんの「銀河鉄道の夜」の中で
ジョバンニくんがアルバイトしていたのがこの文撰作業。

そして拾った活字を版に挿していくのが植字。
まるで活字を植えるみたいな作業だから
こういう言い方をしたのだろう。
ちなみに写植というのは「写真植字」で印画紙に移していく作業。


最終的に全体の版を作っていくのは製版だ。
それをハンコのように神に転写してくのを印刷と言った。

つまり活版印刷には文撰、植字、製版、印刷、そして製本と
5つの技能職があったことになる。

活版で印刷されたものは、印字で押しつけられた部分が凹む。
その手触りにえも言われぬ魅力を私は感じる。
特に厚手の中質紙への活版印刷は凹み具合も大きく
書籍などは内容を読む前にページ全体を手で撫でてしまう。
そんな名刺を持った人が羨ましくて仕方がない。
活版に萌える私は、もはや変態(笑)

会社にあったあの活字や字母はどうなったのかなぁ。
コメント
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