風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

ゆんたく

2021-03-23 | 生活の風景
昨日の夕方、風人堂を閉めようと看板を仕舞い
洗い物や金庫の締めを行っていたところに
ふらりとやってきたひとりの青年。
ゲストハウスの宿泊客とのことで
「今からでもコーヒー大丈夫ですか?」
と聞いてきたので、もちろんそれに応えた。
そしてもうひとり、もっと若い青年がやってきて
「地酒あるんですね。飲みたい」と。

私も彼らに付き合いながらコーヒを飲む。
前者は自転車で日本一周中とのこと。
なんと真冬の北海道を自転車で回って下りてきたらしい。
もうひとりは京都の学生さん。
青春18切符で春休みを利用し、東北を回ってる由。
話は様々な方向へ。
どうやら自転車の彼は幼い頃から複雑な人生を送り、
ようやく落ち着いて東京で仕事をしていたのに
また大変なことに巻き込まれて退職。
バックパックで海外に出ようと思った矢先のコロナ禍で
自転車旅に切り替えたとのこと。
まだ30歳前なのに、その経験から思考が深い。

彼らと話をしながら、普段漠然と感じていたことが言語化できた。
「国」とはそもそも共同体であり、互助的組織。
税金という名でみんなから平等にお金を集め、
それを必要に応じて配分していく。
そんなふうに単純に考えると、「国」は何をすべきかよくわかる。
中国やロシア、ミャンマー、シリアのような
「権力者のための国」は共同体の体をなしてはいない。
共同体である以上はその構成員全員のコミュニティであるべきだ。
富者や強者はそうでない者以上に金を供出する。
集まった金は弱者のために使われる。
それが共同体ではなかろうか。
残念ながら今の日本は共同体としての国になってはいない。
少なくとも勝ち組、負け組という概念がある状態は、
互助組織にすらなっていないのではないだろうか。
まして戦前のように「国のために命を差し出せ」的思考は
本末転倒と言わざるを得ない。
(民衆に銃口を向け、手錠をかける国は言わずもがな)
「国民のために働く」と謳う内閣も
その実、利権を求める者たちのための内閣であることが露呈した。
それなら「国」なんて必要ない。

自転車の彼は将来政治を目指したいという。
弱者が切り捨てられる今の社会に対して義憤を感じているのだ。
そんな若者が「勝ち組」レールを外れていること自体
社会が歪んでいる証拠のような気がしている。

「ゆんたく」は23時まで続いた。
最後に一緒の写真を撮り、握手をして別れた。
「今度会ったときは、俺の話を聞いてください」と言われた。
「また必ず会おう」と約束したが、名前は聞いていない。
きっとまた来てくれるだろうと信じている。
自転車の彼は今日から震災被災地の方に行ってみると言っていた。
あの光景に、どんな感慨を抱いたのか
再会した時に聞いてみたい。
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