いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

この時期思い出すこと

2020-02-03 05:54:06 | 超・いぶたろう日記
Twitterで見かけたあるスレッドから。
優秀な人材に相応の待遇を示せず、みすみす流出させてしまう日本企業について。
時代錯誤な「愛社精神(滅私奉公)」と、
みんな長時間労働・低賃金が当たり前の悪平等主義。
「仕事はゼニカネじゃない、やり甲斐だ、自分の成長だ、達成感だ」
なんて言い訳がましい勝手な美意識を押しつけて、要するに人件費が惜しい。
若く有望な人材が組織にとってどれほど重要なものかを認識せず、
ただ古株たちの既得権(低生産性・高賃金)をキープするためだけに、
従順で賃金や待遇を要求しない「清廉で誠実な」奴隷を要求する。
まあ本当にありがちな日本企業の姿。
しかし、いまの時代、そんな企業に未来はない。

亡びの一途をたどっている古巣を見るにつけ、つくづく実感する。
6年前の今頃、僕は頑迷な日本企業の典型ともいうべき窮屈な古巣を飛び出した。
それからずっと負けたくないと思って頑張ってきたのだが、
順調に少しずつ結果を残してきた僕らとは対照的に、
無責任な運営で不振を極めたあの場所は、
とうとうこの春、閉鎖にまで追い込まれてしまった。
人材の流出も続き、全社的にも規模は3分の1ほどに縮小したと聞く。
まあ、自業自得としか言いようがないが。

「公平性が保たれない」
「君ばかり特別扱いもできない」
「社会人・組織人として常識」
「いつまでもピーターパンでいたいのかね」
「君のことを快く思わない人もいる」

思えば、いろんなことを言われたっけなあ。
でもこれ、いま見てみると全部、
我が社の社員たる者こうあるべし、という固定観念から離れられない、
単なる社畜の思考停止だよね。

自身の無謬性を毛の先ほどにも疑わない、尊大な経営者。
彼が口癖のように言ってた「結果がすべて」。
その割に、自分の判断ミスで失敗しても絶対に認めないし、
他人の失敗は大なり小なりあげつらって、まあ卑怯な人だった。
僕が出ていったときもそう。
「自分のミスで貴重な人材を流出させ、業績が傾いた」なんて、絶対認められない。
わざわざ会議で時間を取ってあいつなんか絶対に失敗すると吹聴し、
「結果がすべて」だから今に見てろとうそぶいていたそうな。

うん、でも本当にそうだよね。
僕も結果がすべてだと思います、はい(笑)。

考えてみれば、僕は一度も給与に不平不満を言わなかった。
休日手当も超勤手当も社保も福利厚生も、
有休さえもないブラック企業だったのに、だ。
まあ純情きわまりないことに、若き日の僕は、
僕を評価してくれていた当時の経営陣を信頼してしまっていた。
彼らが評価した数字なら受け入れようと思っていた。
きっと残っていても就労環境も賃金も何ら変わっていなかったとは思うが、
それでも精神的に裏切られさえしなかったら、僕はあのままでいただろう。

独立する前に、ひととおり転職も検討して、いくつか面接も受けた。
そこで聞かれた実績と給与を正直に答えたらどこでも驚かれた。
安すぎる、ウチだったら倍は出してる…と。
そこで初めて自分の市場価値というやつを知った。
社内ではあれほど揚げ足取りとダメ出しばかりされていたのに、と驚いた。
なかでも一番評価してくれた千葉の某学習塾。
そこの社長さんの言葉が忘れられない。

「あなたを採用するのはウチにとっても賭けだと思う。物凄い戦力にも、内部に抱えた爆弾にもなり得る。経営者としては怖い。でも敢えて賭けてみたいと思わせるものがあなたにはある」

この上なく光栄な、それでいてとても正直なご評価だった。
バンドを辞めて前職に就いたときの僕だったら、迷わずお世話になっただろう。
評価してくれた人のために精一杯頑張ろうと思っただろう。
実際、バンドで孤立して不遇を託っていた僕は、評価に飢えていた面がある。
新たに学習塾という活躍の場を得て、何をやっても評価され、
水を得た魚のように僕はイキイキと頑張った。
結果、差がつき過ぎて浮いた。
様々な人から嫉妬を買い、それを巧くやり過ごせない僕は真に受けて孤立した。
どこへ行っても、同じことの繰り返しだ。

だから僕はこんな評価をいただけて本当に嬉しかったが、
だけにもう迷惑はかけたくないと思った。
こんな短時間でこれだけの人にここまで言わせるくらいなんだから、
僕もまあよっぽどなんだろうと。
僕の悪いクセで、決して悪気はないんだけれど、
思考は止められないし、同調圧力には反発するし、
既成のルールに必ずしも従順ではいられない。
だったら自分でゼロから創り上るしかないよな、と肚が決まった。
前職よりもはるかに魅力的な条件提示を受け、整った就業環境もあって迷ったが、
僕は結局、自由であることを優先し、挑戦したいという意志をもって独立した。

あれから6年、幸い軌道に乗り、前職での全盛期の半分の規模まで持ってこられた。
収入も前職に比べ、倍とまではいかないが、その間くらいまでは増やせた。
何より自分で自分を査定するこのやりがいが良い。
一切のノイズなく、ごまかしもまやかしもなく、
等身大の自分で毎年真剣勝負できる喜び。
これがいい。

僕は仕事をゼニカネだけで選ばない。
やりたいか、やりたくないかが一番。
次に人を喜ばせられるかどうか。
金銭は目的ではなく、あくまでも結果として考えている。
悩みに悩んで決めた道。
そこでがむしゃらにやってきた結果として、3つとも叶えることができた。
天の時、地の利、人の和。すべてに恵まれた。
僕ほど幸運で幸せな人間もそうはいないだろうと信じる。

不自由な安定か、不安定な自由か。
こう言うとまるで十代のような蒼臭さだが、
僕は迷いながらも結局、いつだって後者を選び続けてきた。
ワガママ勝手で大人になれない、社会不適合人間と言いたければ言えばいい。
もはや、やっかみとしか聞こえない(笑)。

安定した収入、先の見える安心感というものは、
理不尽な不自由への我慢と引き換えなのだろうなと思う。
先頃生まれた長男のかわいらしい寝顔を見ていると、
安定を求めたくなる気持ちもわかるようになってきた。
それでも、鳥が地上に降りて暮らせないように、
僕には譲れない生き方というものがある。
だったら、実力で自由と安定を両立するしかない。
そう信じてこれからもやっていくのみだ。
誰に何を言われようと、堂々と自分の信じる道で結果を出し続けていけば、
何も気にならないし、僕の幸せも揺るがない。
それが確信に変わったいまは、もう迷うこともない。

僕もまもなく45。人生もすっかり後半戦だ。
決して成功ばかりではなかったけれど、
悔いのない人生ということで言えば、前半戦は満点をつけてもいい。
後半戦もまた、自由に楽しく生きていく。
そんな父ちゃんの楽しそうな姿を、息子にも存分に見せてやりたいと思う。

この時期思い出すことといえば、もうひとつ。
僕に転職を決意させてくれた人のことだ。
なんせ30歳までミュージシャンだった僕、
常識外れの世間知らずというコンプレックスはあった。
なんせネクタイひとつまともに締められなかったのだ(笑)。
スーツも革靴も嫌い、どこにでもゆる〜いファッションで出ていく。
企業組織的な価値観ではおおよそ評価されにくいという自覚はあった。
そんな僕を見た目や派手な言動だけで疎外せず、
仕事で勝負するチャンスをくれたのは間違いなくかつての古巣だった。
だから経営陣との関係が険悪になっても、
ここを出たら僕なんかはどこにも受け容れてもらえないだろうなと、
言われ続けてもいたし、自分でもそう思いこんでしまっていた。

そんな僕の思い込みをキレイに払って、自信を取り戻させてくれ、
思い切って飛び出してみようという気にさせてくれた人がいる。
おそらく本人にはそんな気はなかっただろうと思う。
自身の目で僕という人間や僕の仕事ぶりを見て、
率直に思っているところを伝えてくれただけなのだろう。
でも、当時の僕にとっては本当に大きなことだったし、ありがたかった。
いまはどこでどうしているかもわからないし、
ここを見ているかどうかもわからないが、ありがとうと書いておきたい。
お互いに頑張っていきましょう、とも。
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