いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

古巣の終焉に思う

2019-09-05 04:04:55 | 超・いぶたろう日記
早いもので、気づけば僕が辞めてから5年半もの月日が過ぎた。
漏れ伝わる限り、あまりいい話は聞かなかったので、
正直、時間の問題だろうとは思っていた。
それがこんな形で僕に伝わるとは、何とも皮肉なものだ。

結果がすべてだと誰かが言った。
そしてすべては、僕の言ったとおりになった。
「勝った」と言えばそういうことにもなるのだろうが、どこか虚しさもついて回る。
思い出の場所には違いないからだ。
さすがにあそこが第三者の手に渡るとなると忍びないものがある。

あの場所には何百人という教え子たちとの思い出がたくさん詰まっている。
建物にだって深い愛着がある。
若かりし頃の僕が11年にもわたって全力で挑んだ汗と涙が染み込んでいる。

30年前に産声を上げたものの、競合他社に圧され、
西東京偏重の本社からは僻地のお荷物教室扱いされていた。
それでも独自のノウハウで確実に支持を集め、
僕が加わってからは在籍400名に迫ろうかという旗艦教室になり、輝かしい歴史を刻んだ。

生徒も講師も、豊かな才能と色とりどりの個性が集い、
無数のドラマを演じたあの教室。
震災では建物が傾き、ひび割れ、泥にまみれ、
それでもスタッフみんなの奮闘で1名の退会者も出さなかった。
業務は山積、深夜どころか早朝に及んだことも数え切れない。
三連泊したことさえある。

記録的な大雪に見舞われた僕の最終勤務日、
教え子や卒業生がたくさん来てくれて、
近所の親御さんが差し入れてくれた鍋を囲み、
朝まで賑やかに別れを惜しんだことも忘れられない思い出だ。

僕の30代のすべてを注ぎ込んだと言っても過言ではないその場所が、
いまひっそりと消えていこうとしている。

退職に至る経緯を振り返ると、辛く悔しい記憶もないではないが、
窮屈な古巣を飛び出し、新たに自らの理想を体現した場所を
自らの手で築いたいまとなっては、もはや怒りも怨みもない。

あるのは何とも形容しがたい寂しさだけだ。

厳粛な結果をもってすべてが証明されたという漠然とした感慨が、
胸中にあるのは否めないが、それを勝利と呼ぶのはどこか虚しくもある。

名実共になくなってしまうあの場所に感謝と敬意を込めて、
せめて舞台を変えてこれからも続く僕の教室での物語を大切にしていこうと思う。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする