僕にとって、無視されることほど耐え難いものはない。
呼びかけたけれど、返事がない。
挨拶をしても返ってこない。
自分の話を聞いていない。
これが、ものすごく苦手なのだと気がついた。
とにかく、何らかの反応が欲しいのだ。
相手に悪気があったかどうかは問題でない。
僕は人の呼びかけを絶対に無視しない。
熱中して、あるいは考え事に沈んで、
何かに心が奪われてでもいない限り、
必ず受け応えをする。
しないと気持ち悪い。
無視するということはつまり、
存在を軽んじられるということで、
僕はそれが堪えられないから、人にも決してしないのだ。
それは幼少期に徹底的に干された、あのトラウマに遡るかも知れない。
僕にとって地獄があったとすれば、それは小学校だった。
あの、クラスで一致団結して異分子を排除する感じ。
学校へ行くにも帰るにも独りぼっち、
クラスでもこれ見よがしに椅子や机を離され、
班を決める時なんて最後まであぶれ者の晒し者。
先生も見て見ぬふり。
むしろ、権威に順わない僕が「民主的に」つるし上げられるのを、
小気味よく見守っているかのようだった。
あの苦しみは今思い出しても口の中が酸っぱくなる。
だから僕はいまもって、民主主義の盲信的信奉者が苦手だ。
僕は幸いにして、中学からこの方、
そういう目に再び遭うことなくやってこられた。
しかし僕の深層にはきっと、刻み込まれた何かがある。
僕がやたらとサービス精神旺盛で、人に気遣いを絶やさなかったり、
やたらに気前が良かったりするようなのは、
もしかしたらその裏返しで、
このつながりを失いたくないが故なのかもしれないのだ。
そう気づいて、そんな自分がイヤで、
バンドを始めたのかもしれないし、
バンドを通して自己表現を重ねている内に自分の哲学にたどり着き、
自信のような何かが芽生え、
独りでも吠えて強がるようになったのかも知れない。
その辺はよくわからない。
僕は自信家のようでいて、実はまったく逆だ。
周囲の評価や支持というものを必要以上に気にする面がある。
ただし、この「周囲」は不特定多数をさすのではなく、
自分がこの人にだけは認められたい、と思う人たちだけが当てはまる。
それ以外の何者がどれだけ僕をけなそうと、僕は折れない。
自信家と言うより、頑固なだけだ。
このあたりもきっと小学校時代に培ったものだろう。
狭い世界を飛び出して初めて出会ったすばらしい人々に、
僕は認められることをこれ以上ない歓びとして生きてきた。
その一方で自分を認めようとしない人間には噛みつき、見下し、
闘わなくていい相手と闘ってきた面も少なくない。
様々に矛盾を抱えた厄介な人間だと思う。
言うほどには強くもなく、タフでもなく、
妙に純粋で生真面目なくせに、時に信じられないほどふてぶてしい。
しかし根底には呆れるほどの脆さを抱えている。
そんな自覚がある。
たまに、そんな自分の深層意識が目を覚ますことがある。
どうしようもない孤独感と羞恥心に嘖まれて、
どこかへ消えてしまいたくなるときがある。
だいたい、周囲の誰もが気づかない些細なことで、
僕は深く傷ついていたりする。
そんな僕を救ってくれるのは、たいてい、
なんてことのない、誰かのちょっとした思いやりだったりする。
そうでなければ、自ら掘り起こす、
「人間の最大の理性とは、すべてを冗談に換える力だ」
という信念だ。
危うい精神構造だなと自嘲しながら、
僕はこれもみんな悪い冗談なんだと自分に言い聞かせ、
今日も寝床につくのだった。
だれか。
呼びかけたけれど、返事がない。
挨拶をしても返ってこない。
自分の話を聞いていない。
これが、ものすごく苦手なのだと気がついた。
とにかく、何らかの反応が欲しいのだ。
相手に悪気があったかどうかは問題でない。
僕は人の呼びかけを絶対に無視しない。
熱中して、あるいは考え事に沈んで、
何かに心が奪われてでもいない限り、
必ず受け応えをする。
しないと気持ち悪い。
無視するということはつまり、
存在を軽んじられるということで、
僕はそれが堪えられないから、人にも決してしないのだ。
それは幼少期に徹底的に干された、あのトラウマに遡るかも知れない。
僕にとって地獄があったとすれば、それは小学校だった。
あの、クラスで一致団結して異分子を排除する感じ。
学校へ行くにも帰るにも独りぼっち、
クラスでもこれ見よがしに椅子や机を離され、
班を決める時なんて最後まであぶれ者の晒し者。
先生も見て見ぬふり。
むしろ、権威に順わない僕が「民主的に」つるし上げられるのを、
小気味よく見守っているかのようだった。
あの苦しみは今思い出しても口の中が酸っぱくなる。
だから僕はいまもって、民主主義の盲信的信奉者が苦手だ。
僕は幸いにして、中学からこの方、
そういう目に再び遭うことなくやってこられた。
しかし僕の深層にはきっと、刻み込まれた何かがある。
僕がやたらとサービス精神旺盛で、人に気遣いを絶やさなかったり、
やたらに気前が良かったりするようなのは、
もしかしたらその裏返しで、
このつながりを失いたくないが故なのかもしれないのだ。
そう気づいて、そんな自分がイヤで、
バンドを始めたのかもしれないし、
バンドを通して自己表現を重ねている内に自分の哲学にたどり着き、
自信のような何かが芽生え、
独りでも吠えて強がるようになったのかも知れない。
その辺はよくわからない。
僕は自信家のようでいて、実はまったく逆だ。
周囲の評価や支持というものを必要以上に気にする面がある。
ただし、この「周囲」は不特定多数をさすのではなく、
自分がこの人にだけは認められたい、と思う人たちだけが当てはまる。
それ以外の何者がどれだけ僕をけなそうと、僕は折れない。
自信家と言うより、頑固なだけだ。
このあたりもきっと小学校時代に培ったものだろう。
狭い世界を飛び出して初めて出会ったすばらしい人々に、
僕は認められることをこれ以上ない歓びとして生きてきた。
その一方で自分を認めようとしない人間には噛みつき、見下し、
闘わなくていい相手と闘ってきた面も少なくない。
様々に矛盾を抱えた厄介な人間だと思う。
言うほどには強くもなく、タフでもなく、
妙に純粋で生真面目なくせに、時に信じられないほどふてぶてしい。
しかし根底には呆れるほどの脆さを抱えている。
そんな自覚がある。
たまに、そんな自分の深層意識が目を覚ますことがある。
どうしようもない孤独感と羞恥心に嘖まれて、
どこかへ消えてしまいたくなるときがある。
だいたい、周囲の誰もが気づかない些細なことで、
僕は深く傷ついていたりする。
そんな僕を救ってくれるのは、たいてい、
なんてことのない、誰かのちょっとした思いやりだったりする。
そうでなければ、自ら掘り起こす、
「人間の最大の理性とは、すべてを冗談に換える力だ」
という信念だ。
危うい精神構造だなと自嘲しながら、
僕はこれもみんな悪い冗談なんだと自分に言い聞かせ、
今日も寝床につくのだった。
だれか。
何かあったんかい?
息吹君…
イラッシャイマセー
大変ご無沙汰しております。
応答の無い人がいたら。
黙ってキングボンビー置いてやりゃあいいんです。
無視され孤独に苛まれたら。
サイコロ振ってみりゃあいいんです。
サイコロ一回でたどり着ける関東内に、
今まで関係を築いてきたたくさんの人たちがいますから。
ちなみにまるで人間であるかのように
新型インフルにかかってみました。
クルシイデス。
ハヤクニンゲンニナリタイデス。
ではまたどこかで。