これは個人的な美学なので、誰にどうしろと言うようなつもりはないんだけれど。
僕も小所帯ながら組織の責任者を務めているので、
やはりマネジメントについては意識するところは大きい。
問答無用のワンマン経営者みたいなのは「カッコ悪くて」イヤなので、
できるだけ耳を貸す責任者でありたいと思っている。
ただ、利潤を追求し、かつ安定的な存続を目的としている企業体の場合、
何でもかんでも民主的に決定するわけにもいかない。
僕の偏った・誤った認識が正されることも多々あるので、
スタッフの意見は充分に聞くし、話し合いは欠かさないが、
それでもトップダウンで決定せざるを得ないことはある。
ただ、この時に責任の所在だけは明らかにする。
つまり、この組織で「僕の方がエライから」僕が決定するのではなく、
「何かあったら僕が責任をとる」から僕が最終的に決定するのだということ。
逆に、スタッフが組織の決定を離れて何かをやりたいというときには、
必ずその責任をとる覚悟はあるかと問う。
とはいえ、それでも僕が許可したなら当然責任は僕にある。
また、たとえスタッフが無許可で勝手にやったとしても、
責任を逃れることはできない立場に僕はある。
そう自覚している。
実際、結果にまできちんと責任を負う姿勢を見せることによって、
スタッフが僕の決定を信頼してくれるし、
たとえ不本意な結果になってもフォローしてくれる。
スタッフの失敗も叱責するばかりじゃなく、
組織の問題として共に解決に当たることによって、
僕もスタッフも学べるし、確実に改善に向かう。
「組織なんだから、決定には従え」
「問題が起きたら組織(上)に迷惑がかかるから個人で背負え」
こんなやり方でスタッフが成長なんかするわけがない。
構成員から信頼されない組織が発展するわけがない。
権限の行使には必ず責任が伴うはずで、
権力者は即ち文字通りの責任者でもある。
ここが曖昧にされているのが、政治でも企業でもスポーツでも、
いまの様々な問題の元凶ではないだろうか。
そういうことも教育に含めていく余地はないだろうか。
僕も小所帯ながら組織の責任者を務めているので、
やはりマネジメントについては意識するところは大きい。
問答無用のワンマン経営者みたいなのは「カッコ悪くて」イヤなので、
できるだけ耳を貸す責任者でありたいと思っている。
ただ、利潤を追求し、かつ安定的な存続を目的としている企業体の場合、
何でもかんでも民主的に決定するわけにもいかない。
僕の偏った・誤った認識が正されることも多々あるので、
スタッフの意見は充分に聞くし、話し合いは欠かさないが、
それでもトップダウンで決定せざるを得ないことはある。
ただ、この時に責任の所在だけは明らかにする。
つまり、この組織で「僕の方がエライから」僕が決定するのではなく、
「何かあったら僕が責任をとる」から僕が最終的に決定するのだということ。
逆に、スタッフが組織の決定を離れて何かをやりたいというときには、
必ずその責任をとる覚悟はあるかと問う。
とはいえ、それでも僕が許可したなら当然責任は僕にある。
また、たとえスタッフが無許可で勝手にやったとしても、
責任を逃れることはできない立場に僕はある。
そう自覚している。
実際、結果にまできちんと責任を負う姿勢を見せることによって、
スタッフが僕の決定を信頼してくれるし、
たとえ不本意な結果になってもフォローしてくれる。
スタッフの失敗も叱責するばかりじゃなく、
組織の問題として共に解決に当たることによって、
僕もスタッフも学べるし、確実に改善に向かう。
「組織なんだから、決定には従え」
「問題が起きたら組織(上)に迷惑がかかるから個人で背負え」
こんなやり方でスタッフが成長なんかするわけがない。
構成員から信頼されない組織が発展するわけがない。
権限の行使には必ず責任が伴うはずで、
権力者は即ち文字通りの責任者でもある。
ここが曖昧にされているのが、政治でも企業でもスポーツでも、
いまの様々な問題の元凶ではないだろうか。
そういうことも教育に含めていく余地はないだろうか。