いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

泳ぐ夢を見た

2011-06-27 17:09:38 | 特選いぶたろう日記
僕は泳いでいた。
どこかの室内プールだろうか。
一度、岸にたどりついて、そこで壁を蹴ってターンした気がする。
しかし、それ以降は泳げど泳げど果てがない。

水は深い紺色だった。
現実でもそうであるように、僕は平泳ぎしかできなかった。
泳げなかった子供の頃のトラウマか、
今でも水の中に顔をつけることが嫌いだ。
小学校低学年の頃、いやがる僕の頭を押さえつけて、
無理矢理プールの奥に沈めた先生の薄ら笑いの記憶。
冷たい水に顔をつけると、今でも心臓が止まるような錯覚に襲われる。

だから僕はいつも顔を上げたまま泳ぐ。
クロールは顔をつけざるを得ないし、息継ぎのたびに耳に水が入るので、イヤだ。
だからいつでも平泳ぎ。
のんびり、のんびり泳ぐ。

ところが夢の中では。
僕はちゃんと潜っている。
リズミカルに、潜っては吐き、顔を上げては吸い、
それはうまいこと泳ぐのだ。
ゴーグルをしている様子もないのに、水の中もよく見える。
ちょうどモーレアの海で生まれて初めて体験した、あのシュノーケルのようだ。

不思議と身体は疲れない。
潜る。吐く。上げる。吸う。
これをひたすら繰り返す。
繰り返すうちに僕は順序を間違える。
空気中で息を吐き、水中で思い切り吸い込んでしまった。

ヤバイ、と思った。

蘇る30年前の大阪の北の外れ、山間の小学校のプールでの悪夢。
鼻いっぱいに広がる塩素のにおい。
眼となく鼻となく喉となく広がる、独特の痛み。

…を覚悟したのだが…。

何ともない。
何ともないまま、身体は進んでゆく。
あれ?
水の中でも、呼吸ってできるんだ。。。

夢の中では理屈に合うかどうかなんて、まるで二の次だ。
起きてしまったことを実に抵抗なく受け容れてしまう。
いや、むしろこれこそが僕の本質なのかも知れない。
いつも理屈ばっかり並べているが、それは表層の鎧に過ぎず、
深層では、結局すべては受け容れざるを得ないのだ、
という諦念が支配しているような。

なんだ、じゃあ。
もう水の上に顔を上げる必要なんかないじゃないか。
このままずっと、紺碧の中に顔を埋めて身を沈めて、
どこまでもどこまでも・・・・・

と、手足を動かしている自分に気づいて、目が覚めた。

法事で帰った浜松の田舎の、草深い旧家での、午睡のひととき。
平日のこの時間帯はいつもなら繁忙の極みにあるところ。
ふと見回すと、眠る前に僕がたたき落とした蚊の死骸が、
いくつか畳の上に落ちている。
そのどれもに、小さな小さなアリがたかっていた。
縁側から続く、虫眼鏡でもないとその存在が確認できないような、
食べ物を一心に求める長い長いひとすじの列。
子供の頃と何ら変わらない光景と、
時の流れを思わずにはいられぬ祖父の遺影。

僕の生きる意味は。
僕の行く果ては。
この夢が象徴するものは。

それにしても、蚊が多いな。くそ。
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