いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

久しぶりに2

2011-06-06 19:04:27 | 超・いぶたろう日記
カラオケに行ってきた(笑)。
しかもおそらく史上初の家族カラオケ。
一緒に住んでいるときはこんなこと考えられなかったのだが、
家族それぞれに居を構えて普段なかなか会えないでいると、
こういうコミュニケーションも成り立つのか、と笑えてくる。

弟の歌は昔、
ファミリーマートで一緒にバイトしてた時代によく打ち上げで聞いていた。
僕と対照的にパンク系をバカっぽく歌うのが実にうまい(笑)。

妹の歌もこれまた昔、
大学のサークルが一緒だったので、ヤツのバンドのライブを何度も見ている。
ちなみにここでギターを弾いていたのがシュンスケだ(笑)。
兄弟で最もキーが低いというおもしろ設定。
得意はバラード系だね。

そして母の歌というのは初めて聞いた。
いや鼻歌レベルならしょっちゅう聞いてはいたが、
マイクを通してとなるとこれが何と初。
元女子アナウンサーにして、
いまの職場でもカラオケ大会で営業所の準優勝を勝ち取ったという美声。

というわけで、
けっこう素人にしては完成度の高いカラオケ大会になっているのだ(笑)。

僕は今回、本当に久しぶりに歌った。結婚式以来じゃないかな。
2月に会社の送別会で1曲歌ったか。
こんどRebirthのリハが再開することになって、再来週にその第1回が待っているのだけど、
それに向けてのリハビリもかねて、大いに歌ってみました。

そしてなんだか書きたくなる何歌ったかリスト。
本当に私的の極みでどうでもいい情報なんだけども。

・勝手にしやがれ/沢田研二
・ダンシング・オールナイト/もんたよしのり
・cat's eye/杏里
・シングル・アゲイン/竹内まりや
・シルエット・ロマンス/大橋純子
・わたしの城下町/小柳ルミ子
・夏をあきらめて/研ナオコ
・あの日に帰りたい/松任谷由実
・時の過ぎゆくままに/沢田研二

なんと90年代以降が1曲もないという徹底したアナクロぶり(笑)。
そう、僕は平成に入ってからの日本の音楽シーンをほとんど評価していないのだ。
ガンコオヤジぶりも極まれりと言ったところか。

久しぶりのカラオケは実に気持ちが良かった。
やっぱり歌うのはいいね。
しかし僕が歌うと、どんな名曲もメタルになってしまう(笑)というのは相変わらずで、
もうちょっと年齢にあった抽斗の拾い感じにならんかなと嘆く。
まあ練習も何もしてないんだからどうしょうもないが。

次のRebirthではなんかカバーしようかな。
幸い、声はまだまだ出るので大事にしていこうと思う。
それにしてはリハの頻度が少なすぎるので、
誰かホントに、一緒にカラオケ行ってくんない?
サークル立ち上げようぜまじで。
Comments (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりに

2011-06-06 06:34:42 | 超・いぶたろう日記
家族の集まりで銀座へ向かった。
母、弟、妹と中華を楽しむ。
最近、ずっと東北の惨状を伝えるニュースばかり見てきたから、
こうしてごく当たり前に家族揃って食事などできることの幸福を思わずにはいられない。

既存マスコミが大衆受けする「首相叩き」ばかりに奔走する中、
一方では政府による情報の隠蔽や操作が次々と明るみに出て、
この国は国民を守ろうという意志や責任感が皆無であることが確認された。
無責任・無節操な議員・閣僚・官僚は口を揃えて
「パニックを避けた」「混乱があった」と言い逃れ、
あまつさえ
「隠蔽の意図はなかったが、公開する発想がなかった」
という世紀の詭弁を生み出した。

呆れてものも言えないが、言わないのもシャクなのでやはり言うが、
情報は人を生かしも殺しもする。
ましてや放射能の漏出・拡散状況など、言わずもがなだ。
「安全だけど念のため」「直ちに害はない」をくり返して避難を遅らせ、
助かる命も見殺しにしたのは誰なのか。
巨額の税金を投入したSPEEDIによる拡散予測も肝心なときにひた隠しにされ、
「予測」を後から公開するという意味のなさ。
何らの情報も与えられないまま、
放射能帯が色濃く伸びる北西方面に避難した妊婦や若い母親はいなかったのだろうか。

政府がどんな言い訳をしようとも、
国民の命を救うための情報を提供しなかったのだから、
そこには未必の故意があると言うべきだ。

つまり、日本政府は関係閣僚も省庁もひとり残らず人殺しだ。
東電や菅首相にだけ責任をフォーカスするのは、目くらましだ。

いますぐに死者が出るわけではないのをいいことに、
放射能に害はない、むしろ健康にいい、原発も安全だ、
などと妄言を吐く手合いが出てきたことには辟易する。
彼らの目的はいったい。
回復不可能な汚染を許容してまで、原発利権にまつわる金が欲しいのか。
今回の事故でどれほどのものが失われたか、
そもそも、事故は過去形ですらないのだ。
いまだに、何ら収束に向かっての道筋は描けていないのだ。
いまやチェルノブイリとの比較すら憚られるような、最悪の事態じゃないか。
この状況下で政権を争おうというのだから、本当にどうかしている。
もはやこの国の統治機構の何も信じるわけにはいかなくなった。
自分の身は自分で守るしか、ない。
そのためにも情報はあらゆる手段で集めなければならない。

自民党門前仲町で都営線に乗り換える。
ホームは「節電」で薄暗い。
そして、僕は奇妙な光景を目にする。
冒頭の写真だ。

・・・あれ? 開いてる。

これは…転落防止用の開閉扉ではなかったか。
まさかこれすらも「節電」で止めたというのか。
ということはつまりあれか。
「人命よりも節電を優先した」ということか?

何も僕はここで人命第一なんて安直なヒューマニズムを振りかざそうというのではない。
日本の建前文化のいやらしさの根底を見た気がしたのだ。
「ああ、やっぱりその程度の覚悟だったわけね」と。

日本人は「安全」が大好きだ。
しかも自分が注意するということ以上に、他人に保護を要求するという面において。
公園の遊具は点検しろ、山奥のフェンスも確認しろ、
回転ドアは動かすな、こんにゃくゼリーは売るな、刃物も売るな。
どうかしている。
危険を自覚して、あるいは察知して、身を守ろうという発想がない。
すべて他人のせいにするのだ。
だから、公共物を扱う企業や自治体は戦々恐々だ。

で、そんな流れでこんなものができたりする。
普通、ホームから落ちるか???
線路があって、電車が通るなら、危険なのは決まっている。
でも、ホームの端には近寄らないというだけで防げることだ。
それを馬鹿丁寧に電車の扉に連動して開閉するフェンスまでつけちゃって、
どれほど過保護なんだか。
そのくせ、「節電」ということになるといの一番に止める。
人命尊重の建前ぶり、イメージ先行ぶりが暴かれちゃう。
この節操のなさがイヤなのだ。

開きっぱなしのフェンスにはさすがに気が引けたのか、
ホームにはガードマンが配置されていた。
じゃあ、最初からそうしろよ、という話だ。

だいたい、この「節電」自体眉唾だ。
15%削減の一律強制なんて、どう考えても理不尽だ。
どうせあの政府のことだ。根拠なんかないはずだ。
「混乱を嫌って」業界ごとの配慮もサボっただけだろう。
中日新聞に拠れば、関東地方でも電力は不足しないというぞ。
出力380万KWの福島広野火力発電所が復旧し、
今夏の予想ピーク需要、5500万KWの供給は確保できたハズじゃないか。
電力不足を大々的にうたって、要は原発やめたくないだけだろう。
節電は悪いことじゃないが、動機が不純だ。

そんなことのために、国民は扇風機でガマンし、
病人は薄暗い部屋で治療を受け、老人は階段を登らなければならないのか。
何か、本質的なところが完璧に間違っているんじゃないか。

この国は本当にどうかしている。
思考停止の塊だ。
かくいう僕もあまりの失望に考えるのを停め、
家族とのひとときを楽しむことだけに専念したのだった。

僕にはもう、身の回りの人間を思いやることくらいしか、できない。
Comments (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする