いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

やっぱり6月は

2011-06-19 13:55:31 | 超・いぶたろう日記
毎年怒濤のような仕事に追われ、必ず体調を崩す。
一昨日あたりから微熱と頭痛でくたくただ。
「転職」が頭をちらつくのも毎年6月なんだけど、
「賞与」(といっても大した額ではないが)が出るのも6月で(笑)、
物欲にまみれた僕は福沢さんの群れ(というほどでもないが)にほだされ、
人生の転機というやつを逃し続けている(笑)。

ま、何を夢想したところでこの硬直日本、
今さらどこへ行けるわけでもなし。
でももし次に仕事を選べるなら、
ちゃんと休める仕事がいいなあと、
梅雨空の下見えない星に願いをかけるのであった。

そもそも僕はお金よりも名誉よりも、
「自分が必要とされているか」
「仕事に見合ったリスペクトを受けているか」
「自分流を貫けるか」
「そもそも仕事が楽しいか」
という条件が最優先なので、
まあたいていの職場は性に合わないわけだ。
特に僕が苦手なのは単調作業で、
レジとかコンベアとか封入作業とか気が狂いそうになる。
いや、決して見下しているワケじゃないよ。
単に僕にこらえ性がないので、すぐ飽きてたまらない苦痛になり、
まったくパフォーマンスを発揮できなくなるというだけのこと。
淡々と、粛々と、速く正確にこなしていく人を見ると、尊敬しちゃう。

そして僕が嫌いなのが、いわゆる「ビジネス書的」価値観。
時間とお金をとことん突き詰めて、数値的に満足しうる成果を追求する、
要するにケチんぼうのお金儲けだ。
ただそれだけのことに何じゃかんじゃとエラそうな理屈をつけて、
なぜか人間性にまで土足で踏み込んでお説教する。
すべてを勝ちと負けでしか判断できない。
話を聞いてみても、一生懸命話すのは
どこの会社はこういう方法でこんな成果を上げた、
どこの経営者はこういう理念でこんな手法をとった、
こんなことばかり夢中になって追いかけている。
果ては戦国武将のたとえから、幕末雄藩の内政・経営までを例に引き、
それを強引に現況に当てはめた都合のいい受け売りばかりだ。
またそれを鵜呑みにして本気で信じているヤツまでいるから始末に負えない。
僕はビジネス書とダイエット書と占いと宗教の本は一緒だと思っている。
だからそれらを信じる人も同類だと思っている。
要は自分に核がない。

少なくとも買う側じゃダメだ。
こういう本を書ける、売れる側にまわって初めてナンボなのだ。
彼らの言い分は都合がいい、けれども突き抜けている。
もう自分の方法や価値観をアタマから確信しちゃっているのだ。
そこまで行き着いてればもう好きにやって稼げばいいと思う。
それだけの自信と覚悟と研鑽をもってことにあたるなら、
まあたいていのことはある程度うまくいく。
コンサルタントとか、こういう人ばかりじゃない?
なんだか計算ずくな感じでやらしいよね。
一緒に飲み食いしながら話してても、気を許せない感じ。
誰もが気づかない、あるいは気づいてもスルーしちゃう些細なことに目をつけ、
理屈をかぶせちゃうことで「デキる人」をやりたがる。
まあ、僕は友達になろうと思わないし、
先方も僕みたいのは一番バカにしているだろうから、
接点がなくてありがたいと思うけれども。

会社や商売ごときに人生を規定されてどうする?と思う。
人生があって、どう生きるかがあって、仕事があるんじゃないか。
本質的な「仕事」ってもっと重厚な気がする。
ビジネスなんて臭みのある言葉に置き換えちゃ鼻白む感じだ。
その意味を肌で感じる人の言葉は、
経営者であってもコンサルであっても重みがある。
「仕事」は生き方に関わるプライドの結晶だが、
「ビジネス」は生き方を支配する論理と形式に過ぎない。
そんな気がしているのだ。

いずれにしても「いくら稼いだか」だけで成否を測れる仕事には、
僕はまったく向いていそうもない。
だからこそバンドであり、今の仕事なんだろう。

ここ2週間はタイヘンだった。
保護者会を3つ抱え、資料を7種類とパワポを3種類作り、
そこに人事考課、広告の原稿と校正、夏の人事配置、労務処理、
職場での調整、全社での調整、そしていつもの授業と面談。
朝までかかることも多く、床で寝てしまったこともあり、
案の定風邪を引く。さらにパフォが落ちる。
いつもなら精神的キャパも小さくなり、もう辞める~!が始まるのだが、
今年は3つのことが僕を安定させてくれた。
「とめる」「ひやす」「とじこめる」…じゃなくて(笑)。
まあ、おかげでメルトダウンしなくて済んだということではあるのだが。

ひとつ。
自宅に仕事できるスペースを作った。
転居してから、自宅に仕事を持ち込みたくなくて、
ずっと簡便なパソコンデスクしかなかったのだが、
さすがに作業スペースに困り、また長時間やってると疲れて仕方ないので、
デスクとチェアを思い切って買った。
これが、いい。
環境って大事だ。
いつまでも職場に残っていてもウダウダとしてしまうので、
さっさと切り上げてまずは帰宅する。
やるべきことだけを自宅で片付ける。
すると余計なことにも気が向かなくて、スッキリする。
終わったらすぐ寝られるし。
これも大事だよね。
夜中の3時とか4時に職場で仕事終わっても、
これから帰るというのがもうおっくうで、だらだらしてしまう。

ふたつ。
職場のスタッフが充実し、僕がすべて一手に抱えなくても良くなったこと。
これは実に助かっている。
ひとりは僕の先輩なのだが、そんなこと関係なしに僕をもり立ててくれるし、
二人三脚で教室を盛り上げてくれようとしているパワフルな人。
ひとりは僕のサブとして、実に高い能力と見識を備えていながら、
たいへん謙虚でさわやかな人。
他にも生徒や保護者に熱意を持ってあたれるスタッフが数人いて、
なんでもかんでも室長サマに上げておけ(=おしつけちゃえ)、
という状況じゃなくなった。
これは素晴らしいことだ。
おかげで僕も死ななくて済み、もっと別の新しいことにも取りかかれるようになった。

みっつ。
これが一番大きいのだけど。
どの保護者の方と面談しても、生徒の信頼を語って下さる。
これが僕には最高の報酬なのだが、
生徒たちはただ面白いというだけじゃなくて、
それ以上のものを感じてくれているようだ。
中でも、中学受験を控えた小6の子で、
なかなか志望校が決まらないというところで、
「先生(僕)のような先生がいる学校がいい」
と言ってくれていた子がいたということ。
僕にはそんなこと言ったこともないのに、家ではそんな風に言ってくれていた。
これは大切に心にしまっておこうと思った…のだが、
嬉しすぎてつい書いてしまった(笑)。
他に、親も学校も周囲の大人がみんな信じられなかった時期に、
あの先生のことだけは信頼してた、
なんて話を人づてに聞けると、もうたまらない。
そんなそぶりも特になく、面と向かっては何を言うこともなかった子が、
周囲にそっと漏らした感想。ここにウソはないだろう。
僕自身も特別その子にだけ何かをしたというわけじゃない。
他の子と同じように相談があれば応え、
誠実に、だけど自然体で接してきただけだ。
だから、嬉しい。
この仕事をやっていて良かったと実感する。
しかも彼らとの関係は一生ものだ。
今後どう成長していくのか、将来どんな形で彼らと交差できるのか、
それが楽しみでしょうがない。

売上や株価ばかりを気にしている人たちには、決してわからない情動だろう。
それでいい、と思う。
この仕事は何物にも代え難い。
これを「ビジネス」ととらえたらこんな歓びは得られなくなるだろうし、
これを「労働」ととらえれば、あまりにも不釣り合いな時間や労力と賃金のバランスに、
お前そんな安い給料でこき使われてるのか、ということになるだろう。
これは僕の「仕事」だ。
僕の仕事は、誰にも換えのきかないものだ。
この揺るがない誇りの前には、勝ち組も負け組もどうでもいいのだ。
「お前たちとは話にならない」のだ(笑)。

僕の仕事は、僕なのだ。
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