真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「痴情報道 悦辱肉しびれ」(1998/制作:セメントマッチ/配給:大蔵映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/撮影:清水正二/音楽:大場一魅/編集:酒井正次/助監督:森山茂雄/監督助手:佐藤吏・広瀬寛巳/撮影助手:岡宮裕/録音:シネ・キャビン/スチール:津田一郎/現像:東映化学/協力:青木大介/出演:冴島奈緒・篠原さゆり・水原かなえ・かわさきひろゆき・杉本まこと・神戸顕一・藤森きゃら・北千住ひろし・山ノ手ぐり子・大場一魅・おくの剛・石動三六・池島ゆたか・三国コキジ)。出演者中、三国コキジは本篇クレジットのみ、アナグラムな。
 夜道を進む車の車載視点、ガーン!とか虚仮脅しの音効鳴らしてクレジット起動。運転するのはかわさきひろゆき、助手席に座る篠原さゆりの「ねえ、何処行くの?」といふ問ひに対し、「当てはある」とだけ答へる。監督クレまで完走した上で、暗転タイトル・イン。要は駆け落ちの風情を窺はせる、に過ぎないといへばそれまでの中身に、土台高々一時間のうち、二分弱を費やすアバンが早速間延びも否めない。
 車が辿り着いたのが、当てとはいへ単なる空家。兎も角二人は、そこで情を交す。一転、昼間の校舎外景を一拍挿み、冴島奈緒大先生がキネコで飛び込んで来る。最後まで抜けなかつた、大仰な口跡で。劇中高校と学園とで名称がブレる、間を取つてメイワ高園の三年生・サエキ奈津美(篠原)が担任の内海ナオヤ(かわさき)に誘拐された事件を、FMW局のリポーター・キノサトマドカ(冴島)が伝へる。何でまた、フロンティア・マーシャルアーツ・レスリングと思くそ被るFMWにしたのか、直截な疑問が脊髄で折り返す。取材班は多分ディレクター辺りの遠藤(杉本)と、撮影部に照明部。ホント刹那的にしか映らない、これ照明部はひろぽんかなあ。横柄以前に髭が胡散臭い教頭(神戸)以下、ファミマの表で捕まへた奈津美と同級生のモモコ(水原)ともう一人(大場)。同僚教師(山ノ手)に、内海が暮らすアパートの大家夫婦(藤森きゃらと北千住ひろし)。奈津美が救ひを求める電話を直接取つた、元都議会議員で資産家の父親(池島)以外は皆が皆内海が教へ子を拐かすだなどと、何かの間違ひではなからうかと信じ難い印象で一致してゐた。それはさて措き、水原かなえは兎も角、大場一魅がセーラー服でぬけぬけと飛び込んで来るカットの、弾けるやりやがつた感。
 配役残り、おくの剛は今度はマドカが消息を絶つた事件を伝へる、モップを載せたやうな髪型のアナウンサーか番組司会。石動三六が適当な苦言を呈する、憎々し気なコメンテーター。三国古事記、もとい三国コキジがよく判らないが、FMW局の撮影部でないとすると、写真といふか写メでのみ登場する、奈津美本命のウェーイな彼氏・リョースケくらゐしかそれらしき人影は見当たらない。
 出馬康成のピンク映画最終第四作「猥褻事件簿 舌ざはりの女」(1995/制作:シネ・キャビン/主演:菊地奈央)で水揚げ、同年大御大・小林悟の怪談映画「色欲怪談 発情女いうれい」(如月吹雪と共同脚本)と、四作後の「パイズリ熟女・裏責め」(脚本:五代暁子)に主演。三年ぶりで冴島奈緒が大蔵に帰還した、池島ゆたか1998年薔薇族込み最終第八作。その後は更に十一年空き、吉行由実の「アラフォー離婚妻 くはへて失神」(2009)。2012年に没した冴島奈緒にとつて、大蔵での戦績は全五作となる。不勉強にして、冴島奈緒が“3000年型の淫売サイボーグ”なる、カッ飛んだ異名を誇つてゐたのをこの期に及ぶまで知らなかつた。何処の天才の発案だ、あるいは紙一重で惜しい人か。
 全体誰が介錯するのか見当のつかなかつた、三番手の濡れ場はモモコが教頭と援交してゐる形で思ひのほかスマートに処理。三本柱各々の絡み―マドカは上司的な遠藤と男女の仲―をふんだんに見せつつ、外堀も丁寧に埋めて行く前半は、普通に手放しで充実してゐた。遠藤は詰まらない仕事と軽く呆れる、千葉の漁師を朝一取材するアポを通して内海と偶さか遭遇してしまふ、早朝の外房線にマドカを乗せる段取りも地味に秀逸。と、ころが。尺の折り返しを跨いでの東浪見篇の冒頭、内海を知る者全員が首を傾げた騒動の真相を、生存者の回想でアッサリか呆気なく開陳。さうなると後半は特異な状況に放り込まれた、ヒロインが如何なる酷い目に遭ひ、そこから逆襲に転じるのか的なサスペンス系アクション。さういふ方向にでも、転ばざるを得ないといふか転ぶのだらう。そんな、素人考へなんて何処吹く風。そのまゝ真直ぐ突つ込んでのけるのが、演者としても演出家としても大根と当サイトは評する池島ゆたかの、台詞回しと同様に棒状のドラマツルギー。凶行に至る仔細に驚愕の十分を割いた末、終に完全に壊れた内海に、何故かマドカが奈津美になりきり寄り添ふ意味が全く一切力の限り判らない、木端微塵の着地点がケッ作、断じて傑作とはいふてをらん。要はかわさきひろゆきが無様な右往左往に終始する、満足に振り回せもしないチェーンソーを、漫然と持て余すばかりのちんたらしたショットを無駄に長く回した挙句、カメラすら徒に動いてみせたりする。演出部も俳優部も頼みの綱の撮影部さへ、全滅する壮絶なラストは別の意味で衝撃的。壊れた男を描くのは勿論構はないが、映画ごと壊れる必要は別にないと思ふ。外堀が丁寧に埋まつたかと思ひきや、本丸がまさかの掘建小屋。前半戦は首位ターンした筈なのに、気づくと最下位でシーズンを終へてゐた、まるで2015年のベイスターズのやうな一作。改めて振り返つてみるに、そもそもお芝居に下手な癖のある大先生ではあつたが、なかなか作品自体にも恵まれなかつた冴島奈緒のフィルモグラフィには、悲運の冠が最も馴染むのではあるまいか。


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