真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「痴漢保健室」(昭和59/製作:獅子プロダクション/配給:株式会社にっかつ/監督:滝田洋二郎/脚本:高木功/企画・製作:奥村幸士/撮影:志賀葉一/照明:吉角荘介/音楽:早川剛/美術:村岡鉄雄/編集:酒井正次/助監督:佐藤寿保/製作担当:大久保章/製作進行:井上潔/監督助手:橋口卓明・岩井久武/色彩計測:大輪吉数/撮影助手:池田恭二・片山浩/照明助手:井上英一/編集助手:岡野弘美/スチール:津田一郎/車輌:石崎マサュキ/録音・効果:銀座サウンド/現像:東洋現像所/出演:滝川真子⦅新人⦆・真堂ありさ・織本かおる・林香依兌・藤冴子・青木祐子・高瀬ユカ・葉山かすみ・江口高信・荒木太郎・青嶋卓弘・片岡忠太郎・池島ゆたか・螢雪次朗)。出演者中、滝川真子の新人特記に、藤冴子と高瀬ユカから江口高信、青嶋卓弘と片岡忠太郎は本篇クレジットのみ。配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”。あとこれ、色彩計測は誰の変名だ。
 ど頭は意表を突く南米大陸の地図、螢雪次朗のモノローグが起動する、“1984年九月、南米ペルーの港で日本人考古学者の他殺死体が発見された”。殺されたのはインカ帝国史を専門とする高橋教授(スナップ主不明)で、高橋の遺族は高校生の娘が一人きり。さういふ次第で件の真子(滝川)が、八校目の転校先となる「友愛学園」の校長・石橋(池島)と校庭にて対峙、名乗りはせず挨拶したロングにタイトル・イン。ちなみに炎転の連載期間が、昭和58年から60年。
 まづ真子が向かつた先は保健室、最初に、入校手続き的な段取りとして身体検査が行はれる。とかいふ安んじて底を抜く方便、其処で立ち止まるのは料簡の狭い不調法。螢雪次朗が偶々その場に居合はせた好機に情事、もとい乗じて真子に破廉恥検査を施す用務員のモリゾーで、一頻り滝川真子の裸を拝ませたタイミングを見計らふ、織本かおるが本物の保険医・キョーコ先生。モリゾーを放逐するキョーコ曰く、「用務員の癖に、さつさと便所掃除でもして来なさい」。昭和の、最早煌びやかなほどの差別意識。再度ちなみに、佐藤正の『燃える!お兄さん』が燃えたのは六年後の1990年。
 これで生徒会長といふシゲル(青嶋)と、弟分(片岡忠太郎/以下役名不詳につきメガネ)の通学電車痴漢を被弾した真子に、友愛学園で番を張る田中春子(真堂)が接触。今回得た知見が、真堂ありさと早乙女宏美(ex.五月女宏美)はリアルに映る姉妹役がイケたのではなからうか。痴漢に遭つた側に対し、ちよつと可愛いから系の理不尽な因縁をつけて来る春子を、予想外の戦闘能力で真子は圧倒。返り討つた春子に、真子が助力を求める。遺跡から見つかつた巨大なダイヤが日本の密輸団の手に渡つた事実を知り、高橋は消される。ダイヤは学校使用の剥製教材に隠され日本に、該当するブツは全部で八つ。そのうち七つを潰して来た真子が、最後の友愛学園にあるに違ひないダイヤ探しの仲間に春子を引き入れる、思ひのほか正攻法の物語である。
 俳優部残り、ペルーから帰国する江口高信は高橋と発掘調査をともにしてゐた助教授で、真子にとつては婚約者でもある原。荒木太郎は一目惚れした真子との、他愛ない会話に背中を押され野球部に入部する荒木クン。丸刈りの途中で嫁と三波春夫ショーに行つてしまふモリゾーから、ハート型モヒカンに刈り上げられる体当たり演技。を認められたのか中途入部にしては、7番なんていゝ背番号を貰ふ。林香依兌は基本手洗での自慰行為に長々耽り倒す、2年B組―真子もB組で、春子はC組―の春風留子。外界の喧騒を余所に、延々弄つてゐるパワー系の濡れ場要員ぶりも兎も角、そのアイシャドウを、友愛の校則は許すのか。そし、て。絶対に読めない配役に大いに悩まされたのが、藤冴子以下、ラスト五分まで温存される女優部なほ四枚。追ひ詰められた春子がダイヤを逃がした留子の検便容器が、石橋の手許に転がり込みかけたのを、真子が窓の外に蹴飛ばす。それを下で一本足打法を特訓してゐた荒木がカコーン、プリミティブ特撮も駆使する特大の場外弾。結局容器が着弾した先が、女湯だなんて驚天動地の超展開、素面で予想し得る訳がない、ファンタジックにもほどがある。その他、友愛校内のキャッチボール二人組と、tactに元々乗つてゐた原チャリライダー。女湯要員は四人に加へ番台込みでもつと大勢ゐて、更に男湯にも三人―この辺は演出部臭い―と、連行する石橋と原に向かつて「絶対死刑にしてやるからな!」、矢鱈アグレッシブな制服警官等々、十を優に跨ぐ人数が投入される。一応ツッコんでおくと、判決下すのはお前ぢやねえ。
 滝田洋二郎の昭和59年薔薇族含め第七作―薔薇族撮つてたんだ―は、通算八本撮つてゐる買取系ロマポの一本目兼、量産型裸映画的には買取系を主戦場―滝田洋二郎以外では弟弟子のナベ、と山晋―としてゐた滝川真子の銀幕デビュー作、最後のちなみに引退は63年。探つてみると滝田洋二郎の買取系がex.DMMで全部見られるゆゑ、ぼちぼち掘つて行かう。
 少々無理からでも適宜絡みを捻じ込みがてら、案外女の裸も疎かにはせずインカの秘宝争奪戦を繰り広げる。そこかしこ否み難いチャチさにも臆することなく、勢ひに任せ堂々と走りきる王道作。痴漢が本筋に必要ない単なる有体な看板に過ぎず、保健室もワン・ノブ・舞台に止(とど)まる限界にさへ目を瞑るならば。木に三番手を接いだかに思はせた、シゲルが実録隠し撮りの裏ビデオを盗撮した夜の保健室でのキョーコと石橋の逢瀬の中で、ダイヤが校長室にある旨語らせる、力業の限りでもあれ超絶の導入が火を噴く辺りから展開が猛加速。女湯の飛び道具にも驚いたが、無人で暴走するtactに飛び乗つたはいゝものの、運転の出来ない真子が最終的に、あれよあれよと女湯に飛び込む極大スペクタクルには度肝を抜かれた。映画とは、あるいは人間の想像力とは斯くも自由なのか。無事悪党もお縄を頂戴した一件落着後、モリゾーが何時の間にかか何故か仲良くなつた藤冴子を全裸のまゝtactの二尻に乗せる、イヤッホーな多幸感弾けるカットも大団円の枝葉を鮮やかに軽やかに彩る。反面、そこで力尽きた感もなくはない、エピローグの蛇に足を生やし気味が娯楽映画の難しいところ。火の玉ストレートな荒木の告白を形か口先だけ満額で受諾しつつ、真子は満足に足を止めもせず歩き去り、荒木とモリゾーもワーワーしながら銘々適当に捌けて行く。結果フレームの中に誰もゐなくなる、無常観紙一重のぞんざいなラストが、別に象徴的ではないが何となく印象的。そもそも、ペルーの国内法が当時如何に規定してゐたのか、きちんと調べるのも面倒臭いが良識的に考へて、真子が奪還したつもりのインカダイヤ―方便的には一応、安く買ひ叩いた形になつてはゐる―は政府あるいは土地の所有者、何れにせよペルーのものにさうゐない。何ならマッシブな肢体が堪らない南米女が滝川真子と真堂ありさを倒しに来る、外タレ続篇も撮らうと思へば撮れてゐたところですらある。

 と、ころで。神の特に宿りもしない、些末を二つばかり。真子が原を訪ねた象牙の塔、擦れ違ひざま小耳に挟んだダイヤの単語に顔色を変へる、白衣は着てゐるグラサンのアフロの正体や果たして如何に。終盤、邪気のない変態性を爆裂させるメガネが呑気に舌鼓を打つ、春子の代返ならぬ代便(声の主は混同も禁じ得ない池島ゆたか)のオチ。以上二点を、回収しないで放たらかしにして済ます。グラサンアフロは、何時か何処かで見た顔のやうな気も凄くするんだけどな。


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