【ユーモア・スケッチ傑作展1】

【ユーモア・スケッチ傑作展1】

SF が好きだった学生時代は浅倉久志さん翻訳による作品をずいぶん読んだ。
今朝の朝日新聞さんやつ広告に浅倉久志の名前があり、たしかわが母と同い年だったはずだったけどと検索したら、2010 年に亡くなられていた。

『ユーモア・スケッチ傑作展1』
出版社 ‏ : ‎ 国書刊行会
発売日 ‏ : ‎ 2021/12/20
言語 ‏ : ‎ 日本語
単行本(ソフトカバー) ‏ : ‎ 375ページ
ISBN-10 ‏ : ‎ 4336073082
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4336073082
寸法 ‏ : ‎ 11.1 x 1.9 x 18.4 cm

懐かしい名前にひかれて注文した。

さんやつで故人をぽちる冬の朝

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【狂った時計】

【狂った時計】

夕暮れ時、ふと買い物を思い出して外出した。
 
白山通りには早くも正月の注連(しめ)飾りを商う露店の準備が始まっていた。
 
息抜きに、相変わらず SONY のクリエを持ち歩いて GONTITI を聴きながら歩く。
 
『 The Syncopated Clock(ザ・シンコペイティド・クロック)』、アメリカの作曲家 David Leroy Anderson が作曲した曲で小学生時代よく耳にしたので懐かしい。『狂った時計』と邦訳されており、Syncopate というのは音楽でいうSyncopation(シンコペイション)であり、日本語で言えば「切分法」である。
 
「切分法」で思い出したけれど、ほんらい正月は「節分」だったのでなかったかな。


豊島区駒込の桜並木
Data:MINOLTA DiMAGE F100


自動車を運転して郷里に帰省しない正月は 20 年ぶりくらいになり、今年は一家五人と犬一匹が揃って在京の正月である。あれこれ年越しの準備が始まっており、親たちが果物もたくさん買おうと言うので、静岡から届いたミカンが山ほどあるし、正月にブドウやスイカを買うのはヘンだからやめてね、と釘を刺しておく。本当はイチゴを買うこともやめて欲しいのだ。化石燃料を燃やして時計を狂わせている。


白山通り沿いにある生花店
Data:MINOLTA DiMAGE F100

季節感を喪失していく現代、加齢によって体内の時計も狂っているから、年寄りは過去や未来のことなどを考え過ぎてメソメソするのではないかと思うこともあり、入院中の母と聴いた病院医師・職員・学生による院内コンサートでも『 The Syncopated Clock 』が演奏曲目にあって、曲想もさることながら病院内で聴くことが奇妙に可笑しかった。

「ほらほら、今のことに集中しよう」
と語りかけ、母がお気に入りの病院医師が得意なセリフ、
「すっきりしよう、すっきり!」
を付け加えて親たちを励まし家族全員で大笑いする。

冬には冬のことだけを見つめて暮らせば良い。身の丈相応に、と言うならそれこそが人間にふさわしい生き方だと思う。人が思いわずらわなくとも、夕暮れの空を見上げれば、桜の枝はしっかり春の芽吹きの準備を整えつつある。

切分、節分、正月、「いちにっ、いちにっ」と、パーキンソン病でおぼつかない義父の足取りにかける号令を聞きながら、わが家の『 The Syncopated Clock 』たちは今日も時を刻む。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 12 月 24 日、18 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【子どもの貧困とライフチャンス】

【子どもの貧困とライフチャンス】

「ライフチャンス」が、貧困をなくすのか?
貧困解決が「ライフチャンス」を改善するのか?

人生と生活(ライフ)は、数々のめぐりあわせ(チャンス)。どんなめぐりあわせでも、貧困と不平等から守られる社会をつくる。

日本が子どもの貧困対策を学んできたイギリスでは、労働党政権下、超党派による「子どもの貧困法2010」が制定され、2020年に子どもの貧困率を10%以下とする具体的目標が明記されました。しかし、政権交代などにより、政策と議論は貧困から「社会移動」に移り、子どもの貧困法は後退し、「ライフチャンス法」へと模様替えをしています。

削減目標も達成されず、子どもの貧困が増加している現在、「子どもの貧困アクショングループ」は、ライフチャンス改善のためにも、子どもの貧困解決に取り組む必要があると訴えます。

日本の次の子どもの貧困対策法・大綱見直しは、2024年。子どもの貧困対策法制定以来、貧困の世代間連鎖を断つことに主眼がおかれてきた日本にとって、さらには、コロナ禍で困窮と格差を深める世界と子ども・家庭にとって、本書で示される議論や政策・指標案は、多くのヒントとなることでしょう。

編 者……子どもの貧困アクショングループ
監訳者……松本伊智朗
訳 者……松本 淳
発行者……竹村正治
発行所……株式会社 かもがわ出版
イラスト……………………すがわらけいこ
カバー・本文デザイン……石原雅彦

Amazon

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【放課後の音楽室】

【放課後の音楽室】

1960 年代の清水市立第二中学校。放課後の校庭に立つと合唱部やブラスバンド部が練習する音が聞こえていた。
 
ジャーンというピアノの音に続き、声を揃えて無限階段を登って行くような発声練習、そして様々な楽器で思い思いに奏でられる前衛音楽的な断続音。
 
GONTITI の『放課後の音楽室』を聴きながら仕事をし、そんな昔の思い出に横滑りし、休日返上で頑張る人たちとの打ち合わせのため天皇誕生日の街に外出した。
 
街角にはいろんなサンタクロースが溢れていて、バイクに乗ったサンタもいる。あんな衣装でバイクに乗って事故でも起こさないかしら、寒くはないのかしらと息子のような年頃のサンタのことが気になる。となりの宅配便のユニフォームとどちらが寒いか、などと余計な心配をしてしまう。サンタクロースが肩から集金バッグを提げているのも変なものだ。

池袋東口駅前に社会鍋が出ていた。男女二人で街頭に立ち、男性がラッパを吹いていた。今年も社会鍋を見つけたら財布を空にするよう妻に頼まれていたので、レシートとカードと財布自体を除いて鉄鍋に入れた。

そういえば郷里清水の西友前にも社会鍋が出ると聞いていたけれど清水に救世軍があるのかしら、と西武池袋線改札口で友人を待つ間、救世軍からいただいたパンフレットをめくると全国 50 あまりの小隊(教会)リストに清水小隊の名があった。

その数ページ前を開いたら元ヤマト運輸会長小倉昌男氏のインタビューが掲載されており、障害者福祉施設等にここ数年『スワンベーカリー』というパン屋ができ、ちゃんと採算がとれ給与が払えることをベースにして、同氏がヤマト福祉財団を立ち上げて仕掛人になっているという。

街宣車の演説と救世軍のラッパとカメラ安売り店の連呼とクリスマスソングと改札から吐き出される親子連れの嬌声がいりまじり、師走の街はどこか放課後の音楽室に似ている。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 12 月 23 日、18 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【もろびとこぞりて】

【もろびとこぞりて】

散歩ついでにスーパーで買い物をしたら、レジで会計する母親を待つあいだ、カウンターに置かれた盲導犬協会の犬型募金箱の頭をなでているおとこの子がいた。


12月 20 日のヒヤシンス
DATA : OLYMPUS STYLUS XZ-1

保育園の年長さんくらいだろう。最近は超音波的な奇声をあげて騒ぐ子ばかり見ているので、めずらしく情緒の安定した子だなと思う。


12 月 22 日のヒヤシンス
DATA : OLYMPUS STYLUS XZ-1

どんな子なんだろうと横目で見たら、小さな声で「♪もーろびとーこぞーりーてー」と歌っているので感心した。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【東京五輪祭りが残した思い出】

【東京五輪祭りが残した思い出】

12 月 19 日、友人の早期退職送別会で埼玉県戸田市に出掛けた。

戸田という地名は懐かしい。昭和三十九年の東京オリンピックでボート競技の会場となった場所である。
東京オリンピック前の数年間、子どもたちはしきりにこんな言葉を聞かされた。
「1964 年、ニッポンは海外からのお客様をたくさんお迎えするので恥ずかしくないようにしなければなりません」
耳にタコができて声音まで忘れないので、教師が繰り返し子どもの耳に吹き込んだのだ。

1960 年のローマオリンピックに関する記憶はまったくない。幼なかったし、わが家にテレビなんてまだなかったのでニュースを見た記憶もない。かろうじて、1963 年、三波晴夫が唄った『東京五輪音頭』に「あの日ローマでエー眺めた月を」とあるので、ああ前回はローマだったのかとわかった程度である。だからオリンピックというものがどういうものなのか理解出来ず、直前まで東京でオリンピックが開かれることへの感慨もなかった。

当時の公立小学校に関して未だに奇妙に感じていることのひとつに、学校でおおっぴらに イカガワシイ ものを販売していた事実がある。『科学』と『学習』という学参の衣をまとったオマケつき雑誌である。教師が、今日は『科学』と『学習』の発売日ですよというと、親が金を持たせてくれた子どもだけが校内に設けられた臨時販売所に買いに行くのだ。本自体ではなく、その売り方売らせ方がいかがわしく思えたのだ。

さらに、オリンピックが近づくと記念切手や記念メダル、記念下敷きなんてものも学校で販売した。クラスに何人も給食費や学級費が払えなくて肩身の狭い思いをしている子どもがいた時代にである。そういう意味で、オリンピックは イカガワシイものだったと今でも思う。

開催地東京に住んでいても、実際に会場に足を運んで見られた子どもはクラスで 5 人もいなかった。今日はどこそこへ何々の競技を見に行くので早退しますと誇らしげに出掛けて行く奴もどうかしてると思うけれど、翌日、ニヤニヤ笑いながらもったいつけた観戦自慢を皆の前で話させる教師もどうかしていた。

とは言うものの、実際に見たいという願望は人並みに自分にもあったらしく、「ボート競技は戸田で」と聞いた時、「海外のお客様にも恥ずかしい」あの汚い荒川沿いにできた競技場なら連れて行って貰えるかもしれないと期待したりしたけれど、結局それすら叶わなかった思い出の場所が戸田なのである。

オリンピック期間中、母は一日もガソリンスタンド勤めを休むことはなかった。


戸田の送別会帰り、板橋駅前の迎春準備が整っていた

(閉鎖した電脳六義園通信所 2001 年 12 月 22 日、20 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【五番街のマリーへ】

【五番街のマリーへ】

実母と義母、介護のため二人の母親と同居するという贅沢な環境になったので、休日の過ごし方もダイナミックである。

年末年始を迎えるにあたり、さっぱりとした髪でいたいという女心に応えるため、近所の美容院を予約して順番に送迎する。午後2時半から3時半まで義母がシャンプーとヘアカット、3時半から5時まで母がシャンプー、部分染め、ヘアカットをして貰うのだ。
 
5時に終了する母のお迎えだけを担当することになり、5 時といえば日が暮れているし、寒い路上で待たせるわけにも行かないので 30 分ほど早めに出掛けた。外出前に宅急便を出しに行ったコンビニエンスストアで景品付きお菓子(実体はお菓子付き景品)に懐かしい流行歌のCDが添えられていて思わず買ってみる。

『五番街のマリーへ』はペドロ&カプリシャス 1973 年のヒット曲である。
母を迎えに行く時刻が近づいたので、MP3 に書き出して手近にあった Palm にコピーし、聞きながら街に出る。
 
スコットランド民謡『ロッホローモンド』に酷似していることが気になる曲だったが、細部が記憶と異なっていて新鮮だし、30 年前のヒット曲であることに唖然とする。


六義園運動公園脇の黄昏
Data:MINOLTA DiMAGE F100

美容院に母を迎えに行くのはさらに古く 40 年以上も以前の記憶にしかない。

当時は「パーマ屋」とか「かみい(髪結い)さん」などと呼び、母はそこへ行くとなかなか帰って来なくて、心配になり恐る恐る迎えに行く事が多かった。頭にカーラーを付けて電気椅子に座り、足を組んで婦人雑誌を読み、大きなお釜をかぶっていることもあったし、顔を真っ白にパックされていることもあって、ひどく驚いたものだった。淋しさと驚きとともに、立ち込めていたパーマ液の臭いが印象的で、美容院というとあのむんとした臭いを思い出して好きになれない。

そんなわけで、早めに着きすぎても中に入って待つのはいやなので、道を挟んだ向かいの舗道で『五番街のマリーへ』を聴きながら時間を潰す。
 
「♪五番街に住んだ頃は長い髪をしてた…」、昭和三十年代、あの頃は髪の長い女性が多く、母もまた髪を伸ばしており、それは時折着物を着て日本髪を結うためだった。その当時の女性は、気張った外出には和装であることが多かったし、来客があると和服に白い割烹着をつけて立ち働き、そんな女性の姿を見るのが好きだった。


某出版社社員に紹介され親たちがお世話になる千石の美容室前にて
Data:MINOLTA DiMAGE F100

ヘアカットが終わり会計に手間取っているようなので、心配になって空気をいっぱい吸い込み、息を止めて覗いてみると母は美容師と藍染の話に夢中になっていたのだった。最近の美容院というのはパーマ液の臭いがしないことに、ちょっと驚く。
 
長い髪を切ってから、早いものでもう35年以上は経っており、今はショートカットの白髪を栗毛色に染めた母と、ゆっくり師走の街へ出る。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 12 月 21 日、18 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【レッスンズラーンド】

【レッスンズラーンド】

精神科医が書いた本にカタカナで「レッスンズラーンド」などと書いてあって英語が思い浮かばない。静岡弁で「ずら言葉」を使って育ったので「レッスンズラ…」などと読めてしまう。


DATA : OLYMPUS STYLUS XZ-2

失敗の「経験から学んだこと」だとあるので、ようやく lessons learned だとわかった。「レッスンズラーンド」ではなく「経験から学んだこと( lessons learned )」と書いてくれれば親切なのにと思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【 ADHD について】

【 ADHD について】

細かいことにこだわる気持ちを対象から引き剥がして、自由な転回による調和状態を探ること。そういうことが仕事のスキルとして求められることがある。そういう能力は芸術関係で欠かせない。


DATA : OLYMPUS E-PL3  LUMIX G X VARIO PZ 14-42mm/F3.5-5.6

簡潔に書けば「非拘泥的自由転回」を意図的に目指すわけで、Attention(拘泥)を deficit(不足)させて  hyperactivity(多様)さを disorder(不穏)にしてみるのだ。そういう意識的創造作業である。

ADHD(注意欠如・多動症)とはそういうことに過ぎないとポジティブに言い換えてみた。そういうことを否定されると、息苦しくて生きていられない人たちがいることを忘れてはいけない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【放尿と失禁】

【放尿と失禁】

海にほど近い清水駅前の空き地に新しい有料駐車場ができ、その公衆トイレがなかなかいい。

普通男子用公衆トイレは、【大】用の個室と、立って使う【小】用の仕切りがない相部屋に分かれていたりするのだけれど、ここのは思い切って【大】が【小】を兼ね、広い空間に洋式便器が適度な間隔で並べられて仕切りが一切ない。外光をふんだんに取り入れて明るく、床もコンクリートではなく玉砂利が敷き詰められていたりする。

なかなか清潔で開放感のある公衆トイレであることに感心し、ステンレス製の便座に腰を下ろしてオシッコをしていたら、入れ替わり立ち替わり利用者が入って来て、親子で並んで腰を下ろしたりする姿も見られて微笑ましい。

微笑ましいのはいいけれど、考えてみたら自分のオシッコ時間が長過ぎるのに気づいた。スイカは 90% 以上が水分で、人間も負けず劣らず水っぽいのだけれど、それにしても今回のオシッコは長くて、気軽に実験を始めたらあれよあれよと言う間に最長飛行距離をマークして仰天しているライト兄弟みたいな気分だ。病院に行った方がいいかもしれない、それはいいけど、その前にこのオシッコが止まらないことには……。

そう思った瞬間夢から目が覚め、トイレに立ったのが午前5時半だった。

中学生の頃、ひとつ年上の従兄がミッキー安川の『風来坊留学記』というベストセラー本を貸してくれ、その中で驚いたのが米国人男子は洋式トイレに腰を下ろして【小】ができず、主人公であるミッキー氏がやってみせると皆が驚いたというくだりだった。本当だろうか、と当時は思い、今も不思議でならない。通常【大】は【小】を兼ねることが多く、立って使う【小】にしようか、座って使う【大】用の個室にしようかと、あらかじめ決断を迫られるのが男子の辛さなのだけれど、ミッキー氏の言うことが正しいとすると、米国人は立って【小】を済ませてから【大】用の個室に入ったり、【大】用の個室で用を済ませたついでに【小】を思い出して、場所を変えて用を足したりするのだろうか。

最近の家庭用トイレは【大】が【小】を兼ねて洋式便器一つの個室であることが増えて来た。

わが家もそうなって久しく、洋式便器でも座ってオシッコをするのだけれど、義父のような大正生まれだと、便器のふたを開け、便座を跳ね上げ、立ったままで放尿したいものらしい。手足の震えがひどくなり、介助無しの用足しが困難になっても義父は立ったままの放尿に固執し、介護家族が「腰をかけた方が楽だし確実」であることを説得するのに苦労していた。

就寝中トイレに行きたくなると必ず夢を見て、それはなぜか郷里清水で放尿する夢ばかりである。

銀座通りの路地裏で立ちションをし、柳橋たもとで再び立ちション、さらに尿意を催して浜田踏切脇で立ちションをしながら、こんなに頻繁に尿意があるのはおかしいな……と目が覚めたり、立ちションをやってもやっても残尿感があり、これは病気かもしれない……と冷や汗をかいて目が覚めたりするのだ。

目が覚めたとき、下着や布団が濡れていたらオネショであり、この年齢になったらオネショなどとは呼ばず失禁というのだけれど、幸いにもまだしたことがない。わが家の年寄りたちにはそろそろ失禁経験者が現れ、紙製失禁パンツの着用を始めているのだけれど、はくことはできてもその中での放尿には相当な抵抗感があるらしいので、あくまでもお守りだと気楽に考えてもらい、通常排泄に手を貸すことにしている。

未明に夢を見た朝、腰の辺りが濡れているようになったら『カミパンマン(隣りにアンパンマンの会社があるのに因んでわが家ではそう呼ぶ)』の仲間入りだと覚悟はしているし、中での放尿にもそれほど抵抗感がない。

自分がカミパンマンになったとしても、郷里清水で立ちションをし、しかも残尿感がないという爽快な解放感とともに、またまた最長飛行距離を達成したとライトな歓喜に満ちた夢を見て目覚めたりするのかもしれない。

写真は壊れたキヤノンのデジカメの写りが面白いので記念に掲載。
[Data:CANON PowerShot A70]

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 12 月 20 日、18 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ペーヴメント】

【ペーヴメント】

「二人の銀座」という歌がヒットしたのは昭和 41 年( 1966年 )のことで、小学生には「ペーヴメント」というカタカナ言葉が何のことだかわからなかった。pavement とは石を敷き詰めたりした舗道のことで、その頃は東京 23 区内でも主要生活道から路地に折れるとまだ未舗装の泥んこ道が多かった。しゃれた舗道と歩道の区別が「ほどう」ではつきづらかったということもあるだろう。永六輔の作詞である。


六義公園前舗道の車道と歩道

SONY Xperia XZ1 SO-01K

当時はアスファルト舗装の質も悪く、夏になると溶け出して人も車も難渋した。「アスファルトが溶け出すような猛暑」などという言い方も通じにくくなり、車道と歩道の区別が残り、歩道と舗道とペーヴメントの意味が溶けていく。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【二人の銀座】

【二人の銀座】

母の通院による抗がん剤投与に付き添う。
 
深夜から早朝にかけて仕事を片付け、午前10時半から外出し、受付を済ませ、順番待ちし、薬をいただいて病院を出ると既に夕暮れが近い。
 
母は主治医に、少し太ったのではないかと褒められたと言う。
家の周辺を感染症に注意しながら散歩し、お腹をすかせてたくさん食べ、疲れることで睡眠薬や安定剤を極力控え、ついた体力で使わないに超したことのない痛み止めを減らし、痛み止めを押さえれば嘔吐感が減ってまた食べられる。そういう良い循環こそが、賛否両論ある抗がん剤の良い治療結果につながるのではないか、母とそんな話しをしながらの実践が着実な体重増加につながっている。
 
ご機嫌な母をタクシーに乗せて別れ、そのまま仕事に向かう。人工臓器に関する学会誌の打ち合わせを終え、地下鉄で銀座まで行き、地上に出るとあたりはすっかり黄昏時である。幼い頃『二人の銀座』という歌がヒットし、その歌詞の中に「ヒトモシゴロ」という言葉があり、その意味が分からなかった。「人」も「し頃」なのだと思い、何を「し頃」なのか、「仕事」にしては楽しそうなのがヘンだな、と首を傾げたものだった。


Data:CANON PowerShot A70

相手は仕事の男性担当者ではあるけれど、出版社までの道のりは「♪待ち合わせて歩く銀座……」である。クリスマスのイルミネーションが奇麗なのでデジタルカメラを取り出すとなんだかヘンだ。液晶画面は既に撮影前から画像が乱れているので故障らしい。
 
大通りに出ると突然ビルの壁面に白いリンゴのマークが現れ、そうだった、銀座の真ん中にアップル・コンピュータのショールームがオープンしたんだった、と思い出した。カメラが不調だが、ままよ記念だ、と構わず撮影して来た。


Data:CANON PowerShot A70

長辺方向に細かい筋状のノイズが入り、こういうのを「万線スクリーン」などといって表現技法の一つとしたものだけれど、もう少し複雑な視覚効果も加わっていて、これはこれで面白かったりする。
 
今年の年末から来年の年始にかけて、三人の親たちがとりあえず健康で、一人も病院のベッドで過ごさない年越しでありますようにと祈り、ようやくそれも叶いそうなのだけれど、来週修理に出す愛用のカメラは、入院したままで新年を迎えることになるかもしれない。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 12 月 19 日、18 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【安否確認】

【安否確認】

今年は事件性のあるものないもの含めて火事が多いような気がする。


DATA : OLYMPUS E-PL3  LUMIX G X VARIO PZ 14-42mm/F3.5-5.6

未明にネットニュースを見たら清水区で大きな火災があったらしい。小さな画面の動画を見ると、どこか見覚えのある街並みにも見え、なんだか心配になったので夜が明けてから入江南の床屋さんに電話してみた。


DATA : OLYMPUS E-PL3  LUMIX G X VARIO PZ 14-42mm/F3.5-5.6

火事は船原と押切方面らしく、知り合いの多い入江地区ではなかった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【植物との暮らし】

【植物との暮らし】

夥しいビル群を見て砂漠に例えられたりするけれど、東京は非常に緑の多い都市である。

街路や公園など、公共空間から産み出される落ち葉の量たるや相当なもので、仕事で出掛けた港区赤坂、高橋是清記念公園でも港区清掃事務所の職員が入って、冬に備えての枝打ちと、落ち葉の清掃をしていた。
 
小さな公園でも膨大な量の落ち葉がビニールゴミ袋に入れられて山積みされている。東京都内公共空間で収集される落ち葉の量というのは想像を絶するものがある。これらはみな焼却処分にされるのだろうか。


Data:CANON PowerShot A70

東京都府中市では、市民が市内の公園で収集した落ち葉を、タバコなどの夾雑物を取り除き、市が配布する収集袋( 70 リットル)に入れ、5 袋溜まった所で所定場所に置き、週 2 回の収集を受けると(これを預金と呼ぶ)、『落ち葉銀行』の通帳にスタンプが一つ貰え、五つ溜まると市の施設で落ち葉を熟成して作った 20kg の腐葉土、もしくは花の種子と交換してもらえるという。これを『府中市落ち葉の銀行』と呼ぶ。
 
植物にはエネルギーと不思議な能力があり、それを上手に活用する工夫は、聞いただけでも気持ちがよい。


Data:CANON PowerShot A70

高橋是清記念公園と草月会館に挟まれた路地を入り、ドイツ文化会館前を通って、仕事の得意先へと向かう。いよいよ今年も押し詰まり、年内に終えなければならない仕事の打ち合わせに行くのだ。

小さな打ち合わせテーブルには、いつも思わず笑顔になるようなものが置かれていて楽しみなのだけれど、このところ小さなガラス製の球形水槽が置かれているのが気になっている。

水を張り、イネ科の多年草である葦をひとつかみ入れ、ホテイアオイを浮かべ数匹のメダカを放ってあるのだ。ツーイツーイと動くメダカが可愛らしく、水田の畦に座り込んで飽きることなく生き物を眺めていた幼い頃を思い出して懐かしい。
 
デジカメで撮影しているとやって来た編集者共々笑顔になる。
「年末年始の餌やりは?」
「動きが鈍くなっていますからその頃には冬眠するかも」
メダカは稲の根や枯れたホテイアオイの陰でじっとして越冬するのである。
 
帰宅して調べてみると、それは最も簡便なメダカの飼育法であり、水生植物の水質浄化作用を利用するため、置き水を注ぎ足すだけで飼育でき、麩(ふ)などを餌として少量与えるだけでよい。カワニナやタツボなどを入れて藻の除去をさせると完璧かもしれない。
 
中学生時代、郷里清水の田んぼで捕って来たメダカを飼ったことがあるけれど、メダカは逞しく、容易に産卵させることができた。当時は何も知らなくて、共食いを見て興味が失せてしまったのだけれど、1 週間程度で孵化する卵はもちろんのこと、成魚と稚魚、発達の差がある幼魚同士も、いくつかの区画に分けてやらないと共食いしてしまうらしい。
 
生き物の厳しくも平和な共存を眺めているのは楽しく、いつか年をとって、外出の楽しみもなくなったら、室内でやってみたい遊びの一つである。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 12 月 18 日、18 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【相性】

【相性】

夫婦とは連星のようなものだ。夫婦に限らず、結びついて動くペアはみな連星のようなものだ。生き物に限らず物質も、そして理念ですら、連星のようなものになっている。互いの重心から相互的に引力を及ぼしあいながら回転運動をしている。相互的であること、相互的だからこそ存在していること、それを忘れると「答え得ない難問」に足をとられる。


DATA : NIKON 1 J5 NIKKOR VR 10-30mm

連星を英語で Binary Star という。バイナリーのバイは「二つ」のことで、だから二進法も二輪車も二度焼き菓子(ビスケット)も頭にバイ( bi )がつく。似た者夫婦というけれど、ふたりが似ているわけではなくて、互いの重心に引っ張られて連星になりやすいだけだ。相性とはそういうものだ。はじめに個があるのではなく、相性が内部に個をつくっている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 前ページ 次ページ »