【きよう、きない】

2020年9月22日

【きよう、きない】

御近所さんの通称ロケット先生に昇降機内で会ったので立ち話した。
「今日はだいぶ暑さも和らいだから巣鴨にでも行ってきようと思ってね」
と言う。しょっちゅう種子島方面に出かけられる先生の印象に引かれて、てっきり西のご出身かと思っていたら、北関東で多く聞かれる言葉遣いをされるのでびっくりした。

とはいえ「行ってきよう」と言うことを理由にして、ロケット先生に北関東出身者というレッテルを貼ることはできない。奥様が北関東出身だったとか、東京にも「行ってきよう」とか「あの人がきない」と言う人がいるので、そう言う人が宇宙研究仲間にいて馴染んだだけかもしれない。とはいえ久しぶりに「きよう」を聞いた。

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【A 地点から B 地点へ】

2020年9月22日

【A 地点からB 地点へ】

A 地点からB 地点へ向かう少年 A と、B 地点から A 地点へ向かう少年 B の間を、イヌが行ったり来たりするとき、少年 A と少年 B が出会うまでにイヌが走る距離を計算せよという問題があって、原子爆弾やコンピュータの開発に大きな働きをした数学者ヨハン・フォン・ノイマンは、無階級数の和として、計算して答えを出したという。ノイマンは執着力と記憶力に秀でた特異なところのある人だったのだろう。

たぶんパスカルも特異なところのある人だったと思われ、うんと幼い頃に「1+2+3+…99+100+101+……」という階段上に連続する数の総和を求めるための数式を見つけたという。幼いにも限度があるけれど、その年齢が何歳だったかは忘れた。

「少年 A と少年 B  と犬」の問題は、イヌのスピードに二人が出会うまでの時間をかければ簡単に答えは出る。

どんな問題も解き方はたくさんあって、周りくどいけれど楽しいものもあれば、簡単で手っ取り早いけれどつまらないものもある。その度合いについて人それぞれに好みが違うので、美術も、音楽も、文学も、学問もさまざま好き勝手に分派している。

ごく身近なところでいえば、くねくねと曲がりながら裏通りを行くより、真っ直ぐな大通りを行きたい人もいるし、歩かないで車に乗ろうという人もいる。どの方法を選ぼうと自由だし、目的が達せられれば結果において正解だし、そういう勝手の幅が多いことは良いことだ。ただ自分の場合は、早くて、手っ取り早くて、機能主義的で、効率主義的なものはたいがい嫌いだ。

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【タイムマシンのつくり方】

2020年9月21日

【タイムマシンのつくり方】

広瀬 正(ひろせ ただし)という作家がいて 1972 年 47 歳で亡くなられている。時間を主題にした作品を多く残し、「時に憑かれた作家」とも呼ばれ、葬儀では作家仲間により棺に「タイム・マシン搭乗者」と書かれたという。本人も喜ばれたことだろう。

近年になって、はじめて長編小説『マイナス・ゼロ』を読んだら素晴らしくて、読み終えたあと清水にある珈琲焙煎店の人々と回し読みしてしばらく話題となった。その他の広瀬作品は読んでいないのだけれど、ちょっと気になったので、広瀬 正 小説全集6『タイムマシンのつくり方』を買って読み始めた。最初の「ザ・タイムマシン」からもう面白くて、ここだけを 5、6 回は行ったり来たりして繰り返し読んでいるので先に進まない。そして思う。

人間の肉体は乗り物のようなものだ。地球上にはたくさんの肉体という乗り物が「こころ」を乗せて勝手気まま、縦横無尽に動き回っている。それらの中にたった一つだけ違う乗り物がある。その乗り物は運転手が自分であるという点だけが他とはまったく違う。この乗り物だけが自分の意思でほぼ自由に制御することができる。乗り物が自分なのであり、人間は機関車トーマスである。テレビのインタビュアーが幼い男の子に「大きくなったら何になりたい?」と聞き、その子は「機関車トーマスになりたい」と答えていた。正しい。

この地球もまた乗り物のようなものだ。この世界ではたくさんの自分が勝手気まま、思うように世界を操縦している。うまいこと操縦して満足している人もいれば、何をやってもうまくいかずに絶望している人もいる。いま世界には 80 億人くらいの運転手がいて勝手に動き回っている。80 億人分の世界が重なりあい蠢きあっている。

80 億人分の世界が重なり合い蠢きあう地球もまた乗り物のようなもので…と広げていくと大乗的な悟りに近い。タイムマシンは悟りである。

タイムマシンのつくり方・2】

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【20 音オルガニート録音】

2020年9月20日

【20 音オルガニート録音】

妻が趣味でポツポツ穴あけしているロール紙、20 音オルガニートの新しい編曲済みオルゴール音源が 25 曲分たまったので録音を手伝った。

コロナ禍逼塞中に始めた YouTube での動画公開では郷里清水の東洋音響が作った平均律のものを使用しているけれど、音楽 CD として記録を残しているものは原田敬さん製作の純正律オルガニートを使用している。

YouTube上の平均律

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【朝の屋根の上】

2020年9月20日

【朝の屋根の上】

大通りに面した場所は建て込んでいるので庭のある家はない。庭が恋しい人たちは箱型の家を建て、屋上に植木鉢を並べて世話をしている。

朝になるとそれぞれの箱から高齢者が出てきて、水やりをし、枝葉の手入れをし、ぼんやり眺めて朝の空気を吸っている。

義父も世話になった在宅介護支援センターがあり、その屋根に猫が上って屋上の人々を眺めている。どんなに高い場所でも猫は容易に上るだろうが、下りるときはどこからどうやって下りるのだろうと思う。

東の空が明るくなり、雲が金色の波になって連なっている。

屋根の上に眼を戻すと高齢者たちはいつのまにか屋内に戻っており、猫の姿も消えていて、屋根の上からの下り方を見過ごした。

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【落ち葉の帰り道】

2020年9月19日

【落ち葉の帰り道】

清水駅東口、通称「みなと口」しみずマリンロード沿いの歩道に植えられたプラタナスが秋になると美しい。海辺の駅前で感傷的になるのか、日本でいちばん美しいと思ったりする。

プラタナスの枯葉といえばザ・ランチャーズ「真冬の帰り道」を思い出す。1967 年 11 月に発売されたシングルヒットで、この年に東京の小学校を卒業して生まれ故郷清水に戻った。

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【考える場所】

2020年9月19日

【考える場所】

石を積んで堀を巡らしたことで奇態な空間が確保された、城址のある街はいい。

個人的には城郭の復元も、血腥い権力争いがまとわりついた日本史的な啓蒙もどうでも良くて、ただこの奇態な空間が社会に担保されているだけで、十分役割を果たしている。

たった一人の自分が、たった一回限りのいのちを生きるこの世界は、いわばタイムマシンのような施設であるように思われる。私と時間をテーマにしたこの施設には、アトラクションとして矛盾と葛藤が用意されている。倫理学も形而上学も文化人類学も、そして人のこころが織りなす文学作品でさえも、このタイムマシンのような世界の謎解き遊びなのだ。

駿府城址公園内を歩きながら、そんなことを考えた。そんなことを考えられる空間があるのがいい。

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【視点と発見】

2020年9月18日

【視点と発見】

ふるさとを別の視点から再発見しよう、などと口では教育的なことを言うけれど、こころの視点は動き回っただけでは変わらない。清水の町なかにある彫刻群の撮影をするために帰省し、午後の時間潰しに駿府城址あたりを散歩したらこんなものを見つけた。「なんだこれは」と思って碑文を読んだら、わさび漬け発祥の地を顕彰したモニュメントだった。

こんなものいつできたんだろうと建立の年を見たら1968(昭和43)年で、ずいぶん昔からあったのに目に入らなかった。町の彫刻探しなどをして歩いた帰りなので、いつの間にか別の視点になっていたのだろう。顕彰は意味の可視化だが、物体はもともと可視的なので別の意味で見えにくくなっている。

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【希望の海へ】

2020年9月18日

【希望の海へ】

清水の街に置かれた 14 体の彫刻を撮影したついでに日の出町清水マリンターミナル脇にあるマスト型のオブジェを見に来た。国立清水海員学校創立 50 周年を記念して1993年に設置されたもので『希望の海へ』という名前がつけられている。

帰省して海岸に足が向くと、なぜかこれが見たくなる。地域に文化の香りを加えるのは、豊満な女性の裸体像などではなくこういう清々しいオブジェだろう。

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【リフレインは終わらない】

2020年9月18日

【リフレインは終わらない】

郷里清水の実家整理が終わってもう十年以上も経つのに、いまだに実家片付けが夢の中で続いている。とくに帰省日が近づくと同じような夢を見てうなされるのは、物は片付けられても記憶は片付かないからだろう。

久しぶりに清水駅前銀座の通り抜けをした。アーケードの端から端までがひとつの楽節になっている。古いものがひとつ、またひとつと終わっていく。

そして新しいものもひとつ、またひとつと始まっていく。歳歳年年、音符は役目を終え五線紙上から消えていくけれど、この場所のリフレインは永遠に終わらない。

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【小田急線経由 9 時 55 分清水着】

2020年9月17日

【小田急線経由 9 時 55 分清水着】

昨日 2020 年 9 月 1 6 日は雑誌『季刊清水』編集会議のため清水帰省した。

[出発] 駒込[IC168円]
│ 06:05発(2番線)
│ JR山手線(内回り)
│ 06:20着(14番線)
[乗換] 新宿[IC891円]
│ 06:31発
│ 小田急小田原線
│ 急行 小田原行き
│ 08:08着△
[乗換] 小田原[きっぷ1,520円]
│ 08:17発
│ JR東海道本線
│ 普通 熱海行き
│ 08:40着
[乗換] 熱海
│ 08:47発
│ JR東海道本線
│ 普通 沼津行き
│ 09:06着
[乗換] 沼津
│ 09:12発
│ JR東海道本線
│ 普通 島田行き
│ 09:55着
[到着] 清水(静岡)

という、乗り換え回数 4 回、所要時間 3 時間 50 分、営業距離 176.0km という、のんびりした道中が好きだ。永井均『哲学探究3』の連載ネット公開が始まったので、スマートホンで読みながらの小さな旅をした。

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【あたりまえとうしろまえ】

2020年9月15日

【あたりまえとうしろまえ】

あたりまえということばの語源はなんだろうと調べたら、複数説があるらしいけれど、外来の「当然」を「当前」と当て字で書いたものを、訓読みして「あたりまえ」となったとあってなるほどと思う。

「出先でトイレに入ったらブリーフをうしろまえにはいてて困っちゃったよ」
という会話を男同士でしたことがないのは、間違えてうしろまえにはいて社会の窓が見つからずに困る人などそういないということだろうか。自分の場合はあたりまえとはいわないけれど、ときどきある。

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【「自」のこころ】

2020年9月15日

【「自」のこころ】

漱石の『こゝろ』を久しぶりに読んだら、ずいぶん違った感慨をもって読めた。「コロナ」のせいだろう。というか「コロナ」からの連想で『こゝろ』が読みたくなったのかもしれなくて、その芯にあるのはたぶん「自」の一字で、時宜に叶った再読だった。

ウイルス騒ぎで人が生きたり死んだりする現実があらわになり、人の命を考える水準のレベル間を、功利主義的に選んでの言行が目につく。人が人を死に追いやることの隠しようがなくなって、倫理や責任の考えどきになっている。

「自」という字には、みずからと読んで「自分で自分を」、おのずからと読んで「ひとりでに」という変な具合によく似た対の意味が含まれていて怪しい。とくに日本人の多くがその低さゆえに、目の前にくっついているのに見えにくい「はな 」の象形された文字が「自」の成り立ちであるというのも妖しい。いまはマスクでさらに隠されているし。

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【『起源論』を読んで】

2020年9月14日

【『起源論』を読んで】

対談者としての岸田秀が面白いので好きだと言ったら、飲み友だちの女先生が「うちの主人も岸田秀との対談が本になってる」と言うので『起源論』という対談集を取り寄せて読んだ。

故人となられた先生は歴史の起源について対談されており、国に建国の起源にあたる心理的構造があるとして、それがなぜ千何百年後の現在にまで持ち込まれるのかと質問をされ、岸田秀が「日本にはこういう歴史があるんだ、というように知識として教えられるものだけではなくて、日本という文化のなかに、過去の歴史のすべての要素が、それこそ空中に漂っている」という、いかにも彼らしい説明をしたのが妙におかしくて、ちゃんと対談にも「(笑)」が添えられていた。

近所の路地裏を散歩しているときでさえ、「過去の歴史のすべての要素が、それこそ空中に漂っている。(笑)」のがわかり、その重箱の隅をほじくって見たくて『豊島区の歴史』を読んでみたけれど、さすがにもやもやとした霧の中で、たぶん豊島區誌をあたったところで無理だろう。かえって地域の老人が自費出版した自分史を古書で見つけると答えがあるかもしれない。地域に「自分史図書館」というものがあったら、たとえ稗史の巣窟と謗られても「空中に漂っている何か」の記録の役立つことがあるだろう。

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【こころの散歩道】

2020年9月14日

【こころの散歩道】

「二人は伝通院の裏手から植物園の通りをぐるりと廻ってまた富坂の下へ出ました。散歩としては短い方ではありませんでしたが、その間に話した事は極めて少なかったのです。」
Soseki Natsume. Kokoro (Japanese Edition) (Kindle の位置No.3278-3281). Kindle 版.

学生時代から今日に至るまで、そのあたりはしょっちゅう歩くのに、道筋が映像記憶の街並みにも、現代の道路地図上にも思い浮かべることができない。明治天皇崩御と乃木大将殉死の号外が出た年あたりの話なので、明治の終わりころの地図を開くと、なんと川が暗渠になる前で、千川通りがまだない。この地図ならおおよその経路がわかる。

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