◉ぱらぞおる

2019年3月23日(土)
◉ぱらぞおる

 

辻潤を読んでいたら彼の墓がなぜ染井にあるのかがわかった。

 僕はその頃染井に住んでいた。僕は少年の時分から染井が好きだったので、一度住んでみたいとかねがね思っていたのだが、その時それを実行していたのであった。山の手線が出来始めた頃で、染井から僕は上野の桜木町まで通っていたのであった。僕のオヤジは染井で死んだのだ。だから今でもそこにオヤジの墓地がある。森の中の崖の上の見晴らしのいい家であった。田圃には家が殆どなかった。あれから王子の方へ行くヴァレーは僕が好んでよく散歩したところだったが今は駄目だ。(辻潤「ふもれすく」)

「崖」の下に降り「王子の方へ行くヴァレー」は大好きな散歩コースだ。昨日もそこを歩いた。辻は「上野の桜木町」に通わなくなったのちも、教え子だった伊藤野枝とそこで暮らしていた。

OLYMPUS Zuiko 1:2.8 f=100 mm 

 染井の森で僕は野枝さんと生まれて初めての恋愛生活をやったのだ。遺憾なきまでに徹底させた。昼夜の別なく情炎の中に浸った。初めて自分は生きた。あの時僕が情死していたら、いかに幸福であり得たことか! それを考えると僕はただ野枝さんに感謝するのみだ。(辻潤「ふもれすく」)

「ふもれすく」には渡辺政太郎と白山上の南天堂書店についても書かれていて面白い。そのあたりは松岡正剛の千夜千冊「954夜『南天堂』寺島珠雄」に詳しい。

 その頃みんな人は成長したがっていた。「あの人はかなり成長した」とか、「私は成長するために沈潜する」とか妙な言葉が流行していた。
 野枝さんはメキメキと成長してきた。
 僕とわかれるべき雰囲気が充分形造られていたのだ。そこへ大杉君が現われてきた。一代の風雲児が現われてきた。とてもたまったものではない。(辻潤「ふもれすく」)

 全体神経が過敏すぎる。恐迫観念が強すぎる、洒落やユーモアのわからない野蛮人に遇っては助からない。文化は三千年程逆戻りだ。それも性からの原始人ならば獅子や虎と同じに相手が出来るが、なまじ妙な教育とかなんとかいうものがあり過ぎるので始末がわるい。
 豚に真珠ということもあるが、野蛮人に刃物ということもある。社会主義というものがどんなに立派なイズムだか知らないが、それをふりまわす人間は必ずしも立派な物じゃない。仏や耶蘇の教義だって同じことだ。仏教やヤソ教の歴史を考えてもみるがいい。神様をダシに使って殺人をやった野蛮人がどれ程いたか。(辻潤「ふもれすく」)

 未練がなかったなどとエラそうなことはいわない。だが周囲の状態がもう少しどうにかなッていたら、あの時僕らはお互いにみんなもッと気持ちをわるくせず、つまらぬ感情を乱費せずにすんだのでもあろう。(辻潤「ふもれすく」)

辻潤が伊藤野枝の思い出について書けと言われて渋々書いたのが「ふもれすく」なのだけれど、なぜ防虫剤パラゾールのコマーシャル曲はユーモレスク(ふもれすく)なのだろう。

 COSINA 1:3.5 f=100 mm MC MACRO

「ドヴォルシャック」のあの曲を聴くたびに「ぱっぱ、ぱっぱ、ぱらぞおる…」と歌詞を歌ってしまう。大杉栄と虫除けの出会いがおかしくて好きだ。

(2019/03/23)

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