電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
◉小さいいちご
2019年3月19日(火)
◉小さいいちご
大きくて、香りが強くて、甘さを競う高価ないちごではなくて、小さくて、適度に酸っぱくて、ジャムでも作ったらよさそうな、安いいちごが店頭に並ぶ季節になった。
SMC PENTAX-A 1:1.7 f=50 mm
そういういちごを買ってきて、酒の肴がわりにつまみながら飲むのが好きだ。坂下のスーパーに行ったら栃木産のそういうのが並んでいたので買ってきた。
(2019/03/19)
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◉毛玉と新芽
2019年3月19日(火)
◉毛玉と新芽
次第に暖かな日が増えて、衣類の衣替えが少しずつ進んでいく。
クリーニングに出すと、あなたの衣類に毛玉が多くて「どうしますか」と聞かれると妻が言うので、昼休みに電動毛玉取り器を買いに行ってきた。
SMC PENTAX-A 1:1.7 f=50 mm
人の衣類にたくさんの毛玉ができ、木々の枝に緑の装い準備がいちだんと加速している。
(2019/03/19)
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◉吾と人
2019年3月19日(火)
◉吾と人
昨夜は月に一回の読書会だった。参加者は男性5人、女性3人。ライターの某氏が発言の中で「吾人(ごじん)」という言葉に触れていた。「わたくし」もしくは「われわれ」を意味する言葉だけれど、夜中に目が覚めたらちょっと記憶の隅に引っかかっていた。
漱石の話が出たのでそれに近い年代の人として柳田國男の本を探してページを繰ったら
「…日本には古くから天竺などのように、四種の階級(注:士農工商のこと)が截然としておったかのごとく、吾も人も信ずるようになった。」【家の話】
というように使われていた。
この場合の「人」は「自分と相手以外の人間」としての他人のことで、ということは「吾(われ)」は自分とその相手である「汝(なんじ)」を含んでいることになる。郷里清水では、少なくとも自分(注:この言葉は『わたし』のつもりだけれど関西や新潟などでは二人称になる)の世代では、「あなた」のことを指すために「我・吾(われ)」を現代ことばとして用いていた。きょうびの子どもたちはどうだろう。これは「二人称の人代名詞。おまえ。なんじ。」として辞書に載っている我・吾のふつうの使い方である。
この日本語における一人称・二人称のあり方は面白い。西田幾多郎の「私と汝」を読みながらなにか本を探してみよう。日本語の吾(私)は「個」ではなく、「わたしとあなた」がセットになって入っている。
古本屋店頭に瀧井孝作の釣魚随筆が 100 円で出ていたので買ってきた
昨夜は読書会後の飲み会が楽しくて、結局終電車で帰ってきた。「吾人のライター氏」と「いわき市の内科医氏」のふたりはその後もはしご酒をして池袋のビジネスホテルに泊まったらしい。
(2019/03/19)
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◉ごめんねピーター
2019年3月18日(月)
◉ごめんねピーター
日曜日の朝、大宮高島屋に注文していたものが仕上がったという電話があった。本郷郵便局留めになっている書留を受け取りながら外出し、東大前から東京メトロ南北線に乗り、王子、赤羽で乗り換えて大宮まで行ってきた。
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◉わが家の桜
2019年3月17日(日)
◉わが家の桜
だいぶ蕾が膨らんできたけれど、まだ開花せず。
OLYMPUS Zuiko F2.8 f:100mm
(2019/03/17 10:30)
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◉春の徒歩
2019年3月17日(日)
◉春の徒歩
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◉お花見予報
2019年3月16日(土)
◉お花見予報
染井銀座商店街の花屋で買った小さな盆栽仕立ての桜がもうすぐ咲く。蕾が膨らんで赤い色が見えてきた。
Carl Zeiss Sonnar T* F 3.5 f=100 mm
NHK のテレビ番組を見ていたらブームになりつつあるそうで、室内ではなく屋外に置いて水遣りし、季節の変化を経験させてやればまた来年も咲くという。
朝ドラで萬平さんが開発中の『まんぷくヌードル」程度の大きさであり、来週はこの花を囲んで卓上の花見ができそうになってきた。
(2019/03/16)
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◉京王線開通と花見
2019年3月16日(土)
◉京王線開通と花見
旧字旧仮名の文章が好きなので、このところ読んでいる大町桂月に、大正五年発表の花見の話がある。
笹塚に下りて、甲州街道を行く。酒は瓢に在り。何か肴なかるべからずとて、目を兩側に注ぎつゝ行きしに、一店に小さき干鱈あるを見付く。『あれはどうだ』と云へば、好物の干物、もとより異議なし。價を問へば、僅に四錢、白銅貨一つにて、一錢餘る。今一錢足して、干鱈と佃煑とを買へり。(『新武蔵野の櫻』)
桂月先生は友人と瓢箪酒を持って新宿追分から京王電気軌道に乗り、目的地ひとつ手前の笹塚で下車している。下高井戸まで行ってしまうと商店がなかったのだろう。
和泉新田火藥庫の土手を右に見て、代田橋を渡り、凡そ十町にして右折し、玉川上水を渡れば、龍泉寺あり。門前を左折し、吉田園の前を過ぎて、玉川上水の左岸を行く。櫻花列を爲す。新武藏野の櫻とは、是れ也。一に玉川上水べりの櫻とも稱す。上二三里にして、小金井の櫻に接す。小金井は山櫻、こゝは吉野櫻、種類は異なれども、櫻花、上下三四里の間に連なる。小金井の山櫻は見事也。東京附近、山櫻の見るべきは、小金井のみ也。こゝを始めとし、東京の櫻は、幾んどみな吉野櫻也。花を別にして、唯〻場所を比較すれば、同じく上水べりながら、小金井は岸高く、兩側は人家や樹林に封ぜらる。こゝは岸低く、あたりに人家なく眺望開けて、晴れやか也。(『新武蔵野の櫻』)
和泉新田火薬庫については杉並区教育委員会がこう書いている。
現在、明治大学泉校舎および本願寺派築地別院和田廟所となっているこの附近は、江戸幕府の塩硝蔵(鉄砲弾薬等の貯蔵庫)として使用された跡です。
当初は、多摩郡上石原宿(現調布市)にあったと伝えられ、宝暦年中(1750年代)に「和泉新田御塩硝蔵」としてこの地に設置され、敷地はおよそ18,896坪(約62,000平方メートル)あり、御蔵地(貯蔵庫)は、5棟・2町2反9畝5歩(約23,000平方メートル)の規模であったといわれます。
当時、塩硝蔵は、御鉄砲玉薬方同心3人が年番で交代居住し、警備や雑用には付近の16ヶ村に対して、昼夜交代で3人づつの課役が徴せられました。
明治維新の際、塩硝蔵は官軍に接収され、その弾薬は上野彰義隊や奥州諸藩の平定に使用され、その威力を発揮したといわれます。
その後当地は、兵部省を経て、陸軍省和泉新田火薬庫として再開され、中に当番官舎、衛兵所等が設けられ、麻布の歩兵連隊が警備を任されておりましたが、大正の末期に廃止されました。
明治の末頃までの火薬庫周辺は、雑木林や欅が生い茂り、鬱蒼とした森となっていて、多くの狐や狸が棲息し、余談に人を化かした話等も伝えられています。(杉並区教育委員会)
上に掲げた明治時代末期の地図を見るとたしかに「和泉新田火薬庫」はあるけれど「京王電気軌道」がない。下に掲げる大正時代関東大震災前後のものだという地図を見ると「京王電気軌道」はあるけれど和泉新田火薬庫は「火薬庫跡」になっている。資料によると京王電気軌道が新宿追分—府中間を開通させたのが大正五年、和泉新田火薬庫が廃止されたのが関東大震災の翌年である大正十三年なので、桂月一行は新宿追分—府中間開通直後の乗車であり、足取りを追って開いた地図は大正十三年以降の作成だったわけだ。
桂月先生一行は笹塚で下車し、甲州街道を西進しながら干鱈と佃煑を買い、左折して代田橋で玉川上水を南に向かって渡る。このとき和泉新田火薬庫(この地図では火薬庫跡)が右手になる。再び西進し、右折してもう一度玉川上水を渡る。地図で「水上川玉」と「道街州甲」の「玉」と「道」の間にある橋がそれであり、その先、道を挟んでふたつある「卍」の左側が龍泉寺である。
このあと上水べりで桜を見ながら、芝に腰を下ろし、焚き火をして干鱈をあぶって食い、焚き火は自家所有の天然ポンプによる放水で消化したなどと書いているので、かなり放埓な野郎の花見である。
(2019/03/16)
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◉さまぁ〜ずのセクシーマネキン
2019年3月15日(金)
◉さまぁ〜ずのセクシーマネキン
いつも赤羽の『角上魚類』買い出し帰りに通る道を、さまぁ〜ずの二人がが歩いているので(3/10『モヤモヤさまぁ~ず2』北区「赤羽」周辺)、あんな場所に取材スポットがあるのだろうかと見ていたら、ビルの二階角にマネキン人形が飾られていた。気づかなかった。
Jupiter-12 F 2.8 f=35 mm
昼休みに週末の買い出しに出たので、赤羽岩淵駅に向かういつもの道を、目線を上げて歩いたらちゃんとマネキンが立っていた。妻が「いた、いた! 」と喜んでいた。
(2019/03/15)
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◉イヌと警官と春
2019年3月15日(金)
◉イヌと警官と春
ポカポカと暖かい春の交番前に、白いイヌを連れて立ち寄った若い女性がいて、イヌ好きらしい若い警官がかがみこみ、両手で体をゴシゴシと撫でまわしている。
Carl Zeiss Sonnar T* F 3.5 f=100 mm
黒い服を着て帽子をかぶり腰に警棒と手錠と拳銃をさげ、ただならぬ気配を発する「強い」ヒトに対して、イヌは両前脚を体の前に揃えて仰向けになり、両後脚を広げてポンポンを見せ、畏怖と諦観と陶酔がないまぜになった虚ろな目をしてとろけていた。
(2019/03/15)
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◉「小日向台」を読む
2019年3月15日(金)
◉「小日向台」を読む
以下、未明の読書メモ。
さき頃、新たに小日向臺に、帝國女子大學建築地と記せる木標が立ちたり。その畫ける指の示すがまゝに小さき路を行けば、大塚彈藥庫に接して、建築中の校舍あり。(大町桂月「小日向台」)
この大塚彈藥庫とはどこだろう。この文章が書かれたのは明治四十三年なので明治時代終わりころの地図を見たら兵器支廠と書かれた広大な土地があり、東京高等師範(東京教育大学、現筑波大)と春日通りを挟んだ向かい側なので現在の御茶ノ水女子大学、同付属小中高、筑波大附属中高、文京区立七中、跡見学園、外務省研修所を含む一帯ということになる。
この帝國女子大學は西澤之助により創られて「帝国女子専門学校」となる。
氏は更に帝國女子大學をも創めむと多年苦心の結果、漸く成立せむとせしに、文部省に否認せられたり。さてこそ、女子大學と名乘る能はずして、女子專門學校と名乘れる也。(大町桂月「小日向台」)
どうしてそうなったかといえば、
さる教育家の話を聞くに、この頃は、女子の高等教育は、數年前のやうには振はず。そは地方の富豪の嗣兒は、中等教育の程度に止まれるに、高等教育を受けたる女子では釣合が取れず、爲に嫁し難き事情あるより、父兄茲に反省して、女子の高等教育を避くるに由るなりと。(大町桂月「小日向台」)
とある。かんこつだったい、なんてこったい、男の都合の浅ましさ。この学校は晴れて 1946 年、現在の神奈川県相模原市南区文京に移転して相模女子大学となる。
東洋協會專門學校も、この附近に在り。もとは、東洋を冠せずして臺灣を冠し、臺灣向きの人才を教育せしが、韓國滿洲が我が勢力範圍となるに及びて、改めて東洋を冠せり。私立なれど、官の保護金あり。外國語學校と商業學校とを合したるやうな學校なるが……(大町桂月「小日向台」)
この東洋協會專門學校とはなんだろうと考えても答えが浮かばないので地図を調べたら拓殖大学の前身だった。
いろいろ読めない字の勉強をしながら、それにしても「舊」、この字は覚えておかなくてはいけない古い本の頻出漢字なのだけれど思い出せない。降参して辞書を引いたら「旧」だった。そうだ、そうです、その通り。
(2019/03/15)
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◉今日の散歩
2019年3月14日(木)
◉今日の散歩
昼休みの散歩で豊島区南大塚の東福寺まで疫牛供養塔を見に行って来た。
Canon New FD F 3.5-4.5 f=35-70 mm
施主名に「牛乳搾取業巣鴨支部」とあるように、明治になって巣鴨もまた牧場産業が栄え豊島区域には大小あわせ 59 牧場が存在した記録があるという。日本の酪農は都市で始まって農村へと普及した。
Canon New FD F 3.5-4.5 f=35-70 mm
北原白秋作詞、山田耕作作曲『からたちの花』の碑も近いせいか、ここにもまたからたちが植えられている。
Canon New FD F 3.5-4.5 f=35-70 mm
もと来た坂を登って帰るとき、坂下から見る空は明るく高い。斉藤和義『歩いて帰ろう』が口を突いて出るのはこいう景色を見た時になっている。
Canon New FD F 3.5-4.5 f=35-70 mm
江戸橋を渡って旧中山道に出たら、巣鴨地蔵通り商店街は「 4 の日」で賑わっていた。
(2019/03/14)
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◉大町桂月を追う
2019年3月14日(木)
◉大町桂月を追う
大町桂月『千川の櫻』を読んであとをつけていたら、頁途中でまかれて道に迷った。
桂月は 1869 年(明治 2 年)高知県生まれの詩人、歌人、随筆家、評論家。この作品が書かれたのが 1916 年(大正 5 年)なので 47 歳。まだ若いのでひどく元気で足が速い。この十年後、人と風土を愛し本籍まで移した青森山中の蔦温泉で病没する人とは思えない。
池袋より電車に乘りて、板橋驛に下る。この驛を過ぐる者、試みに東方を見よ。【千川の櫻】
見た。近藤勇、土方歳三の墓に案内される。そのあたりはよく知っている。
停車場を出でて數十間行けば、一小溝路を横切る。これ千川上水也。上水の右岸に沿ひ、上水のまゝに中仙道と別れて川越街道を行き、やがて川越街道とも別れ、上水に沿うて行くこと數町、上水の兩側に若き竝木を見る。その三分の二は櫻、三分の一は楓也。凡そ十町にして、五郎窪橋に至る。日暮れかゝりければ、目白驛さして歸途に就く。【千川の櫻】
板橋の停車場から歩き始めて目白驛さして歸るまで、どこをどう歩いたんだろうと思う。手がかりとなる五郎窪橋はどこだろうと大正 5 年当時の地図を見たらあった。上の方に見えるのが武蔵野鐡道いまの西武池袋線東長崎駅で、下の方に五郎窪がある。
すごい距離を歩いている。しかも翌日は、
あくる日出直して、目白驛を過ぎ、東長崎驛を右手に見るより間もなく、昨日引返したる五郎窪橋に至り、千川上水に沿うて、上へと行く。【千川の櫻】
…と言って歩き始め、千川上水から玉川上水に沿って中央本線武蔵境駅まで歩いている。
この十年後、人と風土を愛し本籍まで移した青森山中の蔦温泉で病没する人…と書いたのもこの健脚なら宜(むべ)なるかなである。
(2019/03/14)
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◉放屁後の音楽室
2019年3月13日(水)
◉放屁後の音楽室
下りエレベーターに乗っていたら途中階で見知らぬ女性が乗って来た。
扉が閉まって再降下が始まったら、吹奏楽部の新入生がトランペットの練習をするような、調子っ外れの頼りない音色で「ププププ〜」という音が鳴り、それがなんども続くので、堪りかねた妻が「これっ!」と叱るのだけれど、どうしても止めることができない。春の音楽室である。
ようやく 1 階に着いて扉が開いたら、手で口と鼻を覆った女性が、外へ飛び出しながら振り向いてキッ!と睨んでいた。
「どうして人前で、それもエレベーターの中でオナラなんてするの!」
と妻が怒るので
「もしかしたら肛門の筋力が著しく衰えているのかもしれない。肛門の筋トレでもしてみる」
と言い訳をする夢を見た。
SIGMA MINI-TELE F 3.5 f=135 mm
夢のことを思い出したので検索したら、久嬢由起子『やせたいなら肛筋を鍛えなさい』KADOKAWA という本が出ていた。お尻の割れ目にペンを挟んで落とさないようにする筋トレの写真が楽しい。
(2019/03/13)
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