駄菓子屋放浪記 1

駄菓子屋放浪記 1

ブルーノ・タウトが訪れた冬の横手、たくさんのかまくらを覗いて歩いたら、その一つひとつに子どもが入っていることに驚いていたが、昭和の時代、民家の土間を使って店開きした駄菓子屋には、がたぴし引き戸を開けると一軒一軒におばあさんが入っており、おばあさんは大抵くそばばあだった。

駄菓子というのは茶席に出したり贈答に用いる上菓子に対して、子ども向けに作られた安価な菓子を指すという定義を見かけるが、この辺が微妙で、貧乏暮らしで育った者には子ども向けの安価な袋菓子でも上菓子であり、民家の土間を利用して始めたような店で売られるいかがわしい菓子どもを駄菓子と呼ぶと言った方がしっくりくる。平たく言えば、駄菓子とは駄菓子屋で売られる駄菓子のことである。昔の人は駄菓子のことを一文菓子と呼んだそうで、わが母も駄菓子屋のことを一文商いと呼んでいた。

雑誌原稿に紙芝居屋の話を取り上げ、子どもの頃近所の八幡さんにやって来た紙芝居屋のおじさんの、テキ屋的ないかがわしさが大好きだったと書いた。言葉足らずになりそうなので、いかがわしいという言葉は、太古の昔に行われたたたら製鉄から生まれたもので、鉄となる途上の状態、あるいはなりきれなかったものどもをさす。そういう意味でテキ屋も、子どもも、年寄りも、病人も、半端で弱いものはみないかがわしさを持っている、と定義しておいた。

駄菓子屋放浪記 2

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