電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
▼教育の森と飛鳥山公園
仕事が一つ仕上がったので近所の出版社まで歩いて納品に出かけた。学生時代は北区西ヶ原に住んでいたので、交通ゼネストなどで通学の足がなくなると、本郷通り、不忍通り、春日通りと歩いて大学まで通った。そういう懐かしいルートをたどって納品に出かけた出版社は、今はもうない母校脇にあり、母校の跡地はいま文京区教育の森公園になっている。
公園内のベンチに設置されている女性の彫刻は朝倉響子作「フィオーナとアリアン」という。かつてこの芸術の香りがする一角に古びた木造校舎があり、名前をS館といった。そこで週一回デッサンの授業を受けていたのだが、美術クラブに所属したことがないので人体デッサンは初めて、しかも裸婦だったのでひどくどぎまぎした記憶がある。
大人の休日切符を利用して新潟から友人夫婦が遊びに来たので仕事を早々に切り上げ、北区王子の居酒屋『山田屋』に飲みに出た。すっかり酔いが回ったので勘定をして店を出たものの、まだ外が明るかったので、幼い頃よく遊んだ飛鳥山公園に行ってみた。
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王子の大衆居酒屋『山田屋』にて
同い年の友人のお父さんは元国鉄の機関士で、奇しくも我が母が他界する二日前に他界されており、今年がともに七回忌となる。かつて長岡機関区に配置され、おそらく彼の父親も運転したであろうD51が、飛鳥山公園に保存されているので見に行った。冬になると新潟では列車ダイヤの隙間を縫って、貨車に雪を積み、蒸気機関車で引っ張って信濃川に架かる鉄橋上から投棄していたそうで、運転する父親の脇に乗せてもらったこともあるという。そのせいか今にも運転して発車できそうなくらい蒸気機関車の操縦法講義は堂に入っていた。
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夕暮れの飛鳥山公園あたり。路面電車は右に坂を下り王子駅前に向かう。
臨時SL運転講座聴講を終え、本郷通りを駒込まで歩いて帰った。西ヶ原一里塚や大蔵省印刷局脇を通り、学生時代四年間このあたりから大学に通っていたのだと説明した。結果として今日一日で飛鳥山公園近くから教育の森公園まで、学生時代の通学コースを通して歩いたことになった。
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それで思ったんですがね、SLと原子力発電って、「原始と最先端」のように思われるけど、じつは原理は一緒なんですよね。
SLは、石炭を燃料に湯を沸かして高圧の蒸気を確保して、それをシリンダに送り、車輪を動かす。
原子力発電は、ウラン燃料で湯を沸かして高圧の蒸気でタービンを回して電気を起こす。火力発電も同じ原理。
蒸気エネルギーをその場で使うか、一旦変換して送った先で使うかの違い。
・・・たかがお湯を沸かす材料の後始末に、あんなに手間がかかるなんてねぇ。
「なにやってんだい、つったってる暇があったら湯でも沸かしとけ!」
なんて台詞が決まって登場したけど、暇があったら湯を沸かしとくっていうのは、エネルギー変換に関するとてもとても賢い行為だったと思う。つったってる暇ににお湯を沸かすくらいのことを徹底すれば原発はいらないと思う。