【清見寺の五百羅漢】

【清見寺の五百羅漢】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2007年 4 月 18 日の日記再掲

時折思い出したように訪ねる著名な彫刻家のアトリエ兼住まいを利用した彫塑館が東京の住まい近くにある。
 
巨大な政治家の像などは感心しないのだけれど、飼い猫の姿態を写し留めた塑像の小品群は立ち止まって眺めていても飽きることがない。優れた彫刻家によって写生された猫の肉と骨の造形は内部に血が流れているように見えるということで命の本質が取り出されているものと言えるかもしれない。
 
その一方で桜の古木を描いた巨大日本画を見ても心を打つものがなかったのは桜の花のひとつひとつの描き方がオートマチック臭いからであり、一つひとつの花が持つ一つひとつ異なった姿態を一つひとつ写生することを捨てた時点で絵が死んでいたのだと思う。

■清見寺の五百羅漢。

静岡県興津清見寺。境内左手奥に、島崎藤村の作品にも登場する江戸時代の作という五百羅漢がある。最近は新たに五百羅漢を庭に据える寺も見かけるので殊更珍しい気はしないけれど、数十年ぶりに友人を案内して訪ねてみたら、やはり清見寺の五百羅漢はいいなぁと思う。

■天を仰ぐ羅漢。

結集(けちじゅう=異論を捨てて釈迦の教えの本質を取り出すこと)のために集まった仏教修行の最高段階に達した人たちの姿が五百羅漢なのだけれど、その姿をオートマチックに描かないことで一人ひとりの羅漢さんの仏教修行もまたオートマチックではなかったという有り難みが、ここに取り出されている気がする。

■「作者不詳形相悉く神異非凡」まさに神異非凡な羅漢像が多い。

そう思ってこれらの五百羅漢を眺めること自体が、賢者の悟りの一端に触れる機会として一つひとつ見る人にさしのべられた救いの手なのかも知れなくて、あの彫塑館の猫像にもまた悟りへの扉があるのかも知れないなぁと思う。

悟りへの第一歩はオートマチックへの傾斜を捨てることにあるのかもしれない。

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【おはようドリームプラザ】

【おはようドリームプラザ】

地元テレビ局の方からメールをいただきドリームプラザで行われるかも知れないイベントへの協力の打診でありその中でドリームプラザには複雑な思いがあるのではないかと書かれていたのでドリームプラザに関する日記を書いてみた。


撮影日: 07.4.15 7:54:00 AM

旧清水市にとっての世紀末は今振り返れば狂騒の日々であり、旧静岡市との合併問題のどたばたもあり今思えば嫌な時代だったなぁと思う。
そんな悪夢の時代にオーブンした(平成 11 年)のでドリームプラザは僕の心の中で損をしているのだと思う。

郷里清水に帰省して爽やかな朝に目覚め、たくさんの友人たちとドリームプラザ前で出逢うとき合併して良かったなどとは全く思わないけれど、エスパルスドリームプラザがこの場所にあってこうやって集まれる仲間がいて良かったと素直に思うことは多い。

余談だがドリームプラザ内のオープンスタジオで収録された FM マリンパル出演時の録音 CD はいただいたままいまだに聞く勇気が出ない。
単に恥ずかしいだけだ。

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【一瞬の風景から】

【一瞬の風景から】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2007年 4 月 17 日の日記再掲

静岡県清水市に生まれ、両親に連れられて東京へ出たので、物心ついたときから清水-東京間を何度となく往復して育ち、実家片付けが始まってからは週末を利用して激しく往復運動をしている。

幼い頃から東海道本線の旅で気になる車窓風景があったけれど、カメラなど持っていなかったしインターネットなどという便利なものもなかったので、
「(ああ、前回も前々回もこの景色を見たなぁ)」
と心惹かれてもその詳細を確かめるすべがなかった。親に聞いて確かめようにも、車窓風景は一瞬のうちに彼方に飛び去ってしまうからだ。

4 月 14 日、東海道本線始発普通列車静岡行きに乗って帰省する際、幼い頃から心惹かれた沿線風景を思い出し、読書の合間にデジカメを構えて待ちかまえ写真に納めてみた。

■安藤広重『東海道五十三次』8 番・平塚・縄手道

下り東海道本線が平塚駅を発車して大磯駅に向かう際、車窓に小さな丘陵が見え、永谷園のお茶づけ海苔を買うと入っていた安藤広重『東海道五十三次』の版画が大好きだったので、
「あの山は 8 番・平塚・縄手道に描かれた山に似ているなぁ」
と思っていた。

■ JR東海道本線平塚-大磯間の車窓より。

安藤広重『東海道五十三次』平塚に描かれた山の名は高麗山といい、朝鮮半島で高句麗が滅亡した際に逃げ延びた人々が大磯海岸から上陸してこの山麓に住んだのでその名がある。写真を撮った場所の記憶を便りに地図を調べてみたけれどおそらく間違いなく、高麗山の麓には高来神社もある。

郷里静岡県清水にも高句麗滅亡の際に高麗の人々を乗せた船が接岸し、その上陸地点の地名が駒越(高麗越え)だとする説がある。清水に上陸した人々はやがて
「 716 年、朝廷が駿河など 7 ヶ国に居住していた旧高句麗の移民 1,799 人を武蔵国に移した」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
とされる埼玉県高麗郡(現・飯能市)に移住していったのだという。武蔵国側の資料にも駿河国から移住があったと書かれている。

すべての人がそうではなくて、鉄に関わる技術を生活の糧とするため安倍川や興津川上流に入って山の民もいてり、それゆえ流域には白髭神社がたくさんあるけれど、彼らは戦国時代終焉とともに山を下り、平野に暮らした。それをワタリという。

列車が蒲原に近づき海岸沿いのルートに戻ったのでカメラを構えていたら、懐かしい 4 本の巨大水管が山腹に並んでいる場所を通ったのでシャッターを切ってみた。

■JR東海道本線富士川-新蒲原間の車窓より。

日本軽金属富士川第二水力発電所といい、蒲原にある日本軽金属蒲原工場がアルミニウム精錬のための自家発電をしている。水は富士川上流の富士川第一発電所で放水したものをパイプでここまで引いている。そのための長く暗いトンネル掘削の歴史も調べて語れば重く深い。

 

 

 

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【竹取物語】

【竹取物語】

タケノコ掘りを終え、手になぜかフキと竹材を持ち
「いーや~、困ーる~」
と笑いながら下山するかぐや姫と謎の男性。


フキはかぐや姫のお母さんが煮付けてくれるそうだが量が少ないので
「いーや~、たんだこればっかとってきて…!」
と言われないか心配である。

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【花は流れて…】

【花は流れて…】

流れゆく桜を眺めていたら桜橋『櫻珈琲』の珈琲が飲みたくなり空気バルブが壊れた自転車を修理して遊びに行ったら
「今夜、清水異業種交流新製品開発作戦会議をしよう(=飲もう)」
ということになり夜の予定が立って嬉しい。


両河内で兼業農家の友人を誘ったら山菜や栽培野菜の手土産が届いた。
このウドはかんたんに表皮をむき生味噌をなすりつけてそのままかじって酒のつまみにするのだけれど、山の生気溢れる植物をかじりながらだと悪酔いしないのが不思議である。

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【竹取物語】

【竹取物語】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2007年 4 月 16 日の日記再掲

静岡県清水両河内。

■ガードレールのない農道を上って辿り着いた友人所有の山の畑。

日本でも最も古い時代からタケノコを産出してその名の高い、両河内在住の友人からタケノコ掘りの誘いが届き、昨年に続いてタケノコ十字軍の遠征計画があったのだけれど、昨年のメンバーは諸般の事情で都合がつかなかったり、メールチェックを怠って連絡が取れなかったりする。

■タケノコ掘りの合間に竹林で新たな商売のアイデアをひねり出そうと頑張る人もいる。

今年は少人数でタケノコ掘りかな、と思ったら清水エスパルスドリームプラザ前で開催中の「あっ朝市!」会場にいた『櫻珈琲』ご主人の声かけで、出発直前あっというまにメンバーが集まり、興津駅前に集合したら子どもを含めて総勢11名のチームができあがっていた(さすがサッカーの街)。

■タケノコの芽を探す人々。

清水人は離合集散が迅速であり、オーディオ用語で言えば立ち上がり・立ち下がりがよく、熱しやすくてさめやすく、みなと祭りでも駅前銀座鉄火巻き大会でも、どこからともなく集まりどこへともなく去っていく素早さに驚く。時代小説の言葉を借りれば「野伏せり」の群れ、もしくは「草の者」の隠れ里(隠れてないけど)みたいなところがある(草ヶ谷などという地名や姓もあるし)。

■竹は清水っ子の気質にひどく合っているのかもしれない。

そういう小気味の良いのりの良さ(おだっくいという)は「(いいなぁ)」と誇らしく思える郷里の美点の一つである。

■美味しいタケノコを作るためには地道な山の手入れが必要であり、手入れされた竹林は青々と美しい。

昨年はオモテ年、今年はウラ年でタケノコの出が悪いとのことだったけれど、それでもタケノコイレブンがゆでたてを存分に食べておみやげを貰って帰れるくらいの収穫があった。めでたしめでたし。

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【おはようドリームプラザ】

【おはようドリームプラザ】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2007年 4 月 15 日の日記再掲

 

4 月 15 日、エスパルスドリームプラザ前で行われるようになった第 2 回「あっ朝市!」に出店している友人たちを訪ねるため早朝の清水の街を歩く。

■おはよう、黒猫も散歩する清水万世町。

持ち主が誰であれ他人の所有物を壊したり悪戯書きをしたりすれば犯罪なのだけれど、都市部でよく見かけるそれらの犯罪行為が「私(わたくし)」のものより「公(おおやけ)」のものを標的として行われる事に複雑な思いを抱いてきた。犯罪行為の元となる心の鬱憤が「私」でなく「公」に向けられるのが若い頃から不思議だった。

■おはよう、竜爪山と崇徳(ストックトン)橋。

「私」には動脈もあれば静脈もあり汚濁と浄化の仕組みを内包するダイナミズムがある。一方「教育」などに頼らなくてはならないほど「公」のあり方は難しく、清らかな概念を表面に貼り付けて護持しようとすればするほど「悪血(おけつ)」が滞ったように病を孕んで見え、犯罪者の肩を持つわけではないけれど、かれらの標的選びを見ているとそういう綻びかけた社会の肌触りに敏感なのかもしれないと思ったりする。

■おはよう、エスパルスドリームプラザ。

清水千歳町のコンビニエンスストアでおにぎりとサンドイッチを買い、入船町の歩道橋に登って国道 149 号線を渡るとそのままエスパルスドリームプラザ 2 階展望ウッドデッキとなり前方に朝の清水港が見えてくる。エスパルスドリームプラザは商業ビルなので「私」の場所なのだけれど、建物の内側以外は一般の人に四六時中開かれていることに感心する。

ウッドデッキに並べられた椅子に腰掛け、ペットボトル入りのお茶を飲みながら、海を眺めて朝食を食べる。ジャージ姿の高校生が早朝トレーニングに疲れたのか暖かなウッドデッキで横になり、犬の散歩やウォーキングの中年夫婦が海辺を散歩していたりしていて、この辺に住んでいる人は恵まれている。入江南町の実家から直線距離の往復で 3 キロ、カクカクと道を折れながら 1.5 倍を歩くとして往復 4.5 キロの地点にこんな場所があったら毎日でも散歩したいと思う。

■おはよう、清水港。

朝ご飯を終え行儀の悪い利用者が食べ散らかした容器もまとめて備え付けのゴミ箱に放り込む。見ていると散歩の人たちもゴミを拾ってはゴミ箱に投げ込んだりしており、「私」の場所を開くことによって動脈もあれば静脈もあり汚濁と浄化の仕組みを内包するダイナミズムのある自然発生的な「公」の空間が形成されていることに感心する。

いつまでも「おはよう」が心地よい場所であってほしいと願いつつ朝市会場に向かう。

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【花は流れて…】

【花は流れて…】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2007年 4 月 14 日の日記再掲

4 月 14 日、週末は郷里静岡県清水で無人となった実家の片付け帰省と決め、夜明けが早くなり朝の冷え込みも穏やかになったので、久しぶりに東京駅 5 時 20 分発静岡行き普通列車に乗ってみた。のんびりした各駅停車の旅なので、読みかけていた五木寛之・帯津良一の対談『健康問答』平凡社刊をリュックサックから取り出して一気に読み終えた。

 李白が「三盃大道に通じ、一斗自然に合す」と詠んでいるように、酒は昔から養生法のひとつなんですね。酒は気持ちをリラックスさせ、体を温めます。いまをときめく新潟大学の安保徹教授の研究によれば、これはどちらも、リンパ球を増やして免疫力を高めることになります。安保先生が酒は養生法であるということを、現代医学的に証明してくれたのですからありがたいですよ。
 養生法である以上、一日たりとも休んではいけません。休肝日なんてもってのほかなんです(笑)。身をもって実践しているのでまちがいありません。だから「健康法は?」と問われると「朝の気功に夜の酒」と答えるようにしています。

帯津良一(五木寛之・帯津良一『健康問答』平凡社より)

我が意を得たりと都合の良い一節があったのですかさず携帯電話でメモをし、同じく酒をやめないための口実を喜びそうな友人が日本海側にいるのを思い出し、丹那トンネルを抜けて函南に停車したところで送信しておいた。

ほどなく友人から返信のメールが来て車内で受信し、日本列島の背骨とも言える山塊を飛び越えて朝の挨拶が交わされたことになる。

「いい教えをありがとうございます。タバコは止められましたが、酒は休むことすらできなくて困っています。新潟も晴れていますが低気圧が通過しているようで風が強くなっています。今日はこれから農作業に長岡へ、あしたは「ああ、こりゃこりゃ」かな…」

■巴川を流れゆく桜。静岡県清水稚児橋にて。

2 週間の時の流れの中で、東京に比べて開花が遅れていた清水の桜も大急ぎで開花を終え、すでに散ってしまってすっかり葉桜になっていた。

旧東海道を歩き、巴川にかかる稚児橋の上から上流を眺めると、おびただしい数の桜の花びらが、ほとんど淀んでいるように緩やかな水の流れに乗って、遙か上空から流れてきていた。

■♪どこどこゆくの…

河の傾斜 1000 分の 0.3 度(全国に先駆けて鮎釣りが解禁になる興津川の 30 分の 1 )という類を見ない流れの緩やかな川が、長い時間をかけて上流から集めてきたたくさんの花びらが一つの流れとなって川面に咲きつつ河口に向かって流れていく。

川も人生も、ゆるやかに流れることで得られる喜びもある、と眺めていて思う。

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▼銀座一丁目の階段

東京都銀座一丁目にある“気張った”宝石店(?)のビル。

ガラス張りのビル内部に螺旋階段があり、
ガラス張りであることにより内部にいる“気張った”人々が
上り下りするさまを見せる構造になっている。

最上階近くになると地上の人間には見えないだろうと思うのか
“気張り”が行き来届かずとっ散らかりが“ガラス張り”になっている。



東京都銀座一丁目にあるビルの非常階段。

郷里静岡県清水三保にあって今はもうない古い給水塔にも
こういう丸い輪っかの転落防止装置がついていたのを思い出す。



あんな輪っかが役に立つのだろうかと思うが
目を閉じて自分が炎や煙に追われてあの階段を下りる
非常時を想像してみると高所恐怖症なので
とても実用的であるように思える。

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▼ははくそちちくそ

子どものころ通学路で黒猫が目の前を横切ると
不吉なことがあると嫌われたものだが
日本中どこでもそういう迷信があったのだろうか。

僕は黒猫が好きで、あえて「不吉」というなら
短毛の白猫にそういう気配を感じて好きではない。



黒猫は街の黒子(ほくろ)のように感じられ、
風景の中に黒猫を見つけると世界の表情が変わって見える。

屋根の上でひなたぼっこをしているのだけれど
初夏を思わせる陽気のせいか
太陽の光を直接浴びると黒猫は暑いのかも知れず
微妙な位置にうずくまっているのが微笑ましい。

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▼パリのおのぼりさん

六義園内の池にやってきているおのぼりさん。

キンクロハジロの雄鳥なのだけれど
彼らはひどく警戒心が強く
こちらをにらむと鋭い目をしている。


撮影日: 07.4.9 2:14:12 PM

六義園内の池にやってくる水鳥は意外に少ない。
水質や環境は水鳥たちの暮らしにむいているような気もするのだけれど
池の岸辺の形状が上陸に適さないので水鳥に敬遠されているのではないかと思う。

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▼投票日の朝

4月8日、東京都知事選投票日の朝。

珍しく義父母そろって棄権もせず投票に行くというので
近所の投票所まで出かける。


▲投票所のある文京区立昭和小学校。

雀がたくさんとまっていることの多い
上富士交差点のイチョウも小さな若葉を芽吹いている。


▲イチョウの葉は芽吹いたときからすでにイチョウ型をしている。

イチョウだけでなくサクラもそうだが
古びた幹から枝を経由せずに唐突に若葉が出ていたりすると
(サクラは幹から突然花が咲いていたりする)
年寄りの耳からぼうぼうと毛が生えているのを見つけたとき、
またはホクロから長い毛が生えているのを見つけたときのようにドキッとする。


▲幹から突然生えているように見えるイチョウの若葉。

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▼浜松町寸歩

東京都港区浜松町二丁目。

金杉橋口からちょっと歩いた場所にある
「本格インド料理」という名の店。



本格と称して金をかけて本気で本格に見せようとした店舗より
日本建築を国旗色に塗った当座の本格の方が
きっと本格の食べものを食べさせてくれそうな気がするのが不思議。

美味しいものが出てきそうな気がする。

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▼四季報

東京都板橋区志村一丁目、凸版印刷板橋事業所の正門。

藤沢周平最初期の作品に『溟い海』(くらいうみ)という作品があり
北斎と広重に題材をとったものだったが
その作品を収めた短編集には浮世絵印刷の版木を彫る版下職人の話が出てきて
現代の印刷事情と変わらないことに驚き、
印刷に関わる労働者の溟い海はこの時代から続いているのかと
しみじみ考えさせられることで本筋からずれたまま読了した。


撮影日: 07.4.6 6:30:21 PM

大手にせよ中小零細にせよ、印刷会社にはインクの匂いとともに心で感じる独特の匂いがある。
「凸版印刷前の桜が満開でしょうね」
と編集者に言ったら、
「あの会社は面白い会社で、社員そろって会社で花見をしたりするらしいですよ」
と言っていた。
本当かどうかは見たわけではないので知らない。
だが映画『男はつらいよ』で、
柴又とらや裏手にあったさくらの亭主ひろしが勤めるたこ社長の印刷会社でも
社員総出の花見をしていたのを思い出し、
最大手がそれをやってもちっともおかしくないと思えるところが
印刷に関わる会社と労働の味わい深さであるような気がする。

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【故郷の春】

【故郷の春】

4月1日、静岡県清水大内にて。


■保蟹寺(ほうかいじ)裏手の山裾に咲くタンポポと大犬の陰嚢(オオイヌノフグリ)。


■かつて「嫁殺しの田んぼ」と呼ばれた大内田んぼの畦に咲く菜の花。


■こういうごちゃごちゃっとした里の春が好き。


■子どもの頃、夏休みになると水遊びした大内自治会館脇のプール。水面を春風がわたる。

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