【乙姫さまとブヨ女房】

【乙姫さまとブヨ女房】
 

 郷里静岡県清水の友だちが、母は何歳で他界したかと聞くのでその年齢を伝えたら
「ああ私はお母さんの年まであと20年しかない」
と言う。そういう考え方はきっとこの人を不幸にすると思うので、人生の長さの感じ方は、一人ひとりの心のもちよう次第だということを伝えようとしたのだけれど、うまく伝わったか自信が持てない。



5/30、清水松井町界隈にて。

 母の晩年は、インターネットが普及して郷里清水にたくさん友だちができ、そのおかげもあってとても楽しいことが多く、僕も母も充実して過ごしたし、その楽しかった日々は永遠にも匹敵するように大きな想い出になっているのだけれど、今振り返れば不治の病とわかるまでの、わずか3、4年のあいだの出来事にすぎない。



5/30、港橋から見る巴川下流。

 助けたカメに連れられて竜宮城に行き、乙姫さまの接待を受けて楽しく過ごし、元いた海辺の村に戻ったら驚くほどの歳月が過ぎて見知らぬ人ばかりになっていた、というのが浦島太郎のお話なのだけれどその逆の話しもある。
 若者がたんぼ道を歩いていたらブヨがわいており、そのうちの一匹が美しい女性に姿を変えて女房にして欲しいという。手に手を取って所帯を持ち、子どもももうけ、長年連れ添って幸せに暮らすのだけれど、悲しいことに女房に先立たれてしまう。泣く泣く元いた村に戻ったら、ブヨの女房と過ごした幸せな歳月は、わずか半時の間の出来事に過ぎなかったという話しだ。



5/30、港橋から見る巴川上流。

 長命なカメと短命なブヨが出てくる二つの話しを並べてみると味わい深く、そんなふうに時間という不思議なものは、一人ひとり気持ちの持ちようで長く感じたり短く感じたり、伸縮自在なのだと昔話は教えている。たった20年しかないと嘆くより、10年でも、1年でも、たった1日でも、それが永遠と同じくらいに大きな宝物と感じてありがたいと思う、そんな心の持ち方のできる人間になることが、きっと幸せな人生を生きるコツのように思うのだけれど、自分で実践するのはもちろんのこと、他人に伝えるのはとても難しい。

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長寿の家系? (薬局の末息子)
2009-06-22 09:23:41
母方の祖母は、1898年の生まれ。満80歳の誕生日の100日ばかり前に身罷りました。ただ、当時としては、長生きという評価。

 母方の伯父(長兄)は、戦時中陸軍で毒ガスの研究をさせられたせいで50の若さで亡くなったものの、伯母(長姉)は84まで(その旦那も90歳まで)生き、、伯父(次兄)が今年84歳、母は先日80歳となり、いわば「戦争の犠牲」になった伯父(長兄)を除き、皆、親の年を越えています。
 一方、父方の祖父は1876年の生まれで94まで生きたから、こちらを超えるのはなかなか難しい。父は今年82歳。さて、どれくらい長持ちしますか。
 
 
 
長寿の家系 ()
2009-06-22 10:07:43
祖父は1894(明治27)年生まれで1972(昭和47)年10月3日に没して当時は大往生じゃん、と言われました。

1900(明治33)年生まれで1996(平成8)年5月21日に没した祖母は96歳まで生きましたから文句なく長寿です。

こりゃ長寿の家系だと言いたいところですが、父方は揃って短命です。

ああ、落語の『短命』が聞きたくなった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/短命
 
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