電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
◉无邪志から
2018年4月20日
僕の寄り道――◉无邪志から
夜中に目が覚めたのでごろごろしながら本を読んでいたら「无邪志」と書かれていてこれが読めない。日本武尊(やまとたけるのみこと)東征後に国造(くにのみやつこ)が置かれた地域の名前で「むさし」と読む。四世紀半ば頃だろうと推定されている。
で、こういうキラキラネーム的真名仮名(まながな)地名「无邪志(むさし)」とか「知々夫(ちちぶ)」、郷里静岡だと「珠流河(するが)」のような表記も今では、「武蔵」、「秩父」、「駿河」とすっきり漢字ふた文字に置き換わっているわけだけれど、その契機については初めて知った。
文化文政期(1804〜1829)に編まれた武蔵国の地誌『新編武蔵風土記稿 』に
「和銅の勅諚に仍て 、国郡邑里の名は佳字を撰び 、二字に定よと有しより」
とある。和銅といえば 708 年から 715 年までの女帝元明天皇が治めた時代のことで、地名に好字をあてさせる以外、諸国に風土記の編纂を命じたりしている。実務は法律に長けていた藤原不比等(ふじわらのふひと)が行ったのだろう。
この頃のことを調べると「三世一身法」とか「墾田永年私財法」などという懐かしい受験必須用語が出てくる。和銅年代には平城京遷都があって物入りだったので民は血税を搾り取られた。天皇側と派遣された国造による醜い税の奪い合いも生じ、運搬の使役は過酷で徴集されたら命を落とすのが当たり前だった。いちおう荷役に携わる者たちを気遣う女らしい詔勅もあったらしい。
和銅の時代を引いたら「蓄銭叙位令」などという忘れていた言葉も出て来た。「お金を貯めて位階をもらおうキャンペーン」である。地名に関する和銅の勅諚にも名前があるのだろうかと調べたがわからない。中国を真似た条里制整備の一環だろうか。風土記の編纂を命じたのも勅諚だろうし、秩父産出の純良な銅で鋳造されたという和同開珎の偽造を禁じる勅諚まで出たらしい。
思うにこの頃からカネのために、人一倍欲の皮が突っ張って突出した者たちが国民を奴隷支配し、税を徴収して楽をする競争という、現在に至るカネ本位の社会構造ができ上がった。この春は平安末期あたりから本読みしているが、教科書にはこんな歴史ばかり書かれていたのかとうんざりする。(2018/04/20)
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2文字化ですっきりはしましたが、駿河銀行がスルガ銀行に改称したように、駿河も今では難読のようです。
スルガ銀行は妙なことでこのところ有名ですが、東京支店がちゃんと駿河町(日本橋室町1丁目)にあるのに感心します。