電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【高橋の子どもたち】
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(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2007年 9 月 27 日の日記再掲)
静岡県清水高橋。
巴川東岸には土俵のある神社がたくさんあり、相撲が今でも盛んなことを最近になって知って驚いたけれど、高橋にも土俵があると聞いていたので見に行ってみた。
北街道沿いにある神明神社の鳥居をくぐってちょっと入った右側に不思議な石があり、「だるま石」と呼ばれるらしい。その石の解説板があったがなかなかふるっているので転記しておく。
■だるま石。
RICOH Caplio R2
明治時代、高橋にたいそうな力持ちが二人いた。
遠藤友蔵、天保十年の生まれ、身の丈六尺、碁盤をつかんでウチワにし、ローソクの火を消したという。
かたや、小田切大吉、嘉永三年の生まれ、米は二俵づつまとめてかついだ。(一俵は六十キロ)またある時は、四十五貫(百七十キロ)のお茶を担って、一人で箱根を越えたという。
この二人が山原の若い衆とカケをした。
「二人で担げェりやァこの石くれてやらァ」
「なにォこんなャ石……」
山原川の奥、中尾から、二人は差しモッコで、意気揚々と担いできてしまったという戦利品。人呼んで「だるま石」という。
登場人物の生まれは江戸時代とはいえ明治時代のお話しで、生年も名前も明記してあるので実在の人物かもしれない。「碁盤をつかんでウチワにし、ローソクの火を消した」という話が妙に可笑しい。きっとおだっくい(お調子者)だったのだろう。さらに続く文章がいい。
この石、戦前は札木の辻(高橋中の三叉路)の火の見の下にあって、子供達の格好の遊び場だった。竹を叩いてオカンジャケをこしらえ、花を小石で潰して色水をつくった。
上面の無数のアバタは何十年、高橋の子供達が石でつついた名残りである。
「オカンジャケ」というのは静岡地方に伝わる竹でつくった郷土玩具である。40 センチ程度の若竹の端 2/3 くらいを叩いて潰し、赤や黄や紫などの色で染めたものである。
■境内の土俵。
RICOH Caplio R2
境内にある小屋掛けの土俵は明治三十七年に作られたもので青年と少年による奉納相撲が今も行われているという。
飲み屋をたたんだあと、子ども時代に戻ったように染め物にのめり込んでいった母も、飯田の悪童と呼ばれて小さいくせに異様に相撲が強かったという叔父も、だるま石で色水を作ってオカンジャケを染め、神明さんの土俵上で飛び跳ねていたのかもしれない。ふたりとも戦前ここで「高橋の子どもたち」として育ったのだ。
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