電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【母と歩けば犬に当たる……79】
79|ひとり食堂
末期がんになって在宅ひとり人暮らしを始めた母の悩みは、立っていられないほどの冷え(という感覚)を伴う下半身の痛みと、ほとんど何も食べられないほどの食欲不振である。
本人いわく、
「食べ物のことを想像しただけで酸っぱいものが上がってきて、吐くものもないのに吐きたくなる」
のだと言い、
「何か食べられそうなものある?」
と聞かれるのもいやだし、いま
「あれが食べたい」
と答えても、すぐに口に入れて飲み込まないと十分後には見るのもいやになっているので、
「食事はあんたが自分の食べたいものを並べてみて。お母さんは食べられそうなものをつつくから」
などと言う。
本気で自分の食べたいものばかりを並べたら、すい臓がんの母には食べられそうもないものばかりで、
「食べられるものがなければ食べなくていい」
と言うわけにもいかないので、あれなら食べられるかな、これなら食欲も出るかな、と考えているうちについついあれこれ買い込んでしまう。
介護用ベッドの食事テーブルにずらりと小皿が並んだ様子は壮観である。少し塩味をつけ針生姜を加えたお粥を軽くよそってやると食事の支度が整う。
それは客が一人しかいない回転寿司に似ている。だが、
「はい、回ってないものがあったらどんどん注文してくださいよ」
と職人が言うのに
「食べられるものがあったら適当に食べるから自分が食べたいと思うものをどんどん回してみて」
とひとりしかいない客が答えるという行き詰まり感がある。
客はたったひとりなのであり、その客がとびきり選り好みが激しく、悲しくなるほど小食で、しかも
「残った料理は捨てないで」
と言い、そのいっぽうで
「食べきれないほどの料理を出さないで」
などとも言うのである。
「ああ、限界。もう食べられない」
と母はほんのちょっとの料理をついばんでリタイアし、
「また食べたくなったら食べるかもしれないから」
などといいわけをして介護用ベッドを水平に倒して寝てしまう。
仕方なく息子は『介護用生ゴミ処理機パクパク君』になって残さず皿を空っぽにし、洗い物をすべて片づけ、パンパンのお腹でくたくたになって寝るわけで、母は益々やせ細って体重35キロを切り、息子は益々お腹が出て体が重くなる。
来客に
「あらま、ずいぶん痩せたね〜」
と言われた母が
「ええ、ハカリに乗るのが怖いくらい」
などと笑っていたが、
「それにひきかえ息子さんは太ったこと」
などと言われたら
「ええ、ハカリに乗るのが怖いくらい」
と言ってやろうと思っている。
在宅介護での食事は、食べられない者も食べざるをえない者も、それぞれの事情でタイヘンである。
(2004年12月2日木曜日の日記に加筆訂正)
三好春樹責任編集、月刊誌 Bricolage 2005年1月号のために書いた原稿より。
【写真】 夕暮れの入江商店街。
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