◉踏み切り

2018年6月5日
僕の寄り道――◉踏み切り

警報機が鳴り止み、遮断機が上がった踏み切りを人がいっせいに渡り始め、「ああ、踏み切りを渡るのは久し振り」と妻が言う。高架化と地中化が山手線の外側へ向かって進み、踏み切りを渡る機会が少なくなった。
 
 
心の中にも踏み切りがある。何かをしようと思った途端に別の用事が割り込み、警報機が鳴り、遮断機が降りて、用事という列車の通過待ちをしなくてはならない。用事の多い日は開(あ)かずの踏切となり、一日中警報機が鳴り止まない。
 
郷里の東海道本線踏み切りを渡った向こうにある、若者が開いたちいさな立ち飲み屋に編集会議帰りに寄り、常連らしい女性と話したら「ずっと一人で生きてきた。家族なんていないし、インターネットなんてしない。仕事帰り、踏み切りの向こうにこの店の灯りが見えるとホッとする」と言うのを聞いて、小ざっぱりしていていいなぁと思った。
 
「いいなぁと思ったので、自分もいつのまにか習慣化していたインターネットサービスの<あれ>も<これ>もやめてみた」と言ったら友人や妻が「なーんだ、そんな動機なの」と笑う。他人は笑うけれど、やめてみたら心の中で、警報機は鳴らず、遮断機は下りず、匿名の客たちを乗せた電車はもうやってこない。

 
踏み切り自体がなくなってみたら、心の中に静かで自由な自分の時間が生まれ、出会う人たちへの心の向き合い方が変わった、小ざっぱりしていいものだと言ったら、仕事の打ち合わせで会った女性編集者が「そうだよね、そういうのがいいと私も思う」と笑う。
 
そんなわけでこの日記だけが、踏み切りの向こうに灯をともす小さな立ち飲み屋のように、ぽつんとひとつ残されてある。(2018/06/05)


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