電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
◉新聞
2018年6月5日
僕の寄り道――◉新聞
親元を離れて上京し、一人暮らしを始めた学生時代から、それが当然のように新聞をとっている。新聞をとっていないと困ることが学生にもあったからだ。「学生時代に新聞とってた?」と妻に聞いたら「とってた、とってないと困ることがあったから」と言う。
新聞をとっていないと困ることが昔は今より多かった。幼い頃の祖父母の家では「知る」「拭く」「包む」「燃やす」という大切な仕事を、人は新聞を使ってやっていた。新聞は「使うもの」だった。新聞を平面的にしか読まないインテリに対して、庶民の新聞には実用の知が立体的に詰まっていた。
遠くから荷物が届くとダンボールの中に包材として新聞紙が使われていることがあり、そういう用いられ方をする新聞はなぜか全国紙より地方紙であることが多い。調査してみればきっとそういう調査結果が出るだろう。荷ほどきしながら興味深く読んでしまう。
片付けをしていて古新聞が出てくると思わず読んでしまい「読んでないで手を動かして片付けろ!」と叱られたりする。あれば読んでしまうというのは人間の面白い習性で、目の前に物があればとりあえず嗅いでみたり、つついてみたりする動物や鳥に似ている。
発行部数日本一の新聞は配る夕刊の量が多い。発行部数が一番だから量が多いというわけではなく、朝夕刊セットで購読する人の比率が、発行部数日本一の新聞では高そうな気がする。新聞配達のバイク脇を通り過ぎながら見出しを拾い読みしつつ思う。(2018/06/05)
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