【母と歩けば犬に当たる……50】

東海道みとり旅の記録
【母と歩けば犬に当たる……50】
 

50|夏と朝顔

 老人を在宅で介護していると、これはもうからだのケアからこころのケアに焦点が移行しつつあるのではないかと素人考えで悩むことが増えてくる。
 医者からもらった薬でコントロールするからだの治療ではなく、薬を用いないこころの治療に似た領域に、ただ〝家族であるという一点においてだけの〝プロ〟が踏み込んでしまったのではないかと思うのだ。
 日々の試行錯誤ですっかり疲れ果て、こころの問題とはいえ、ただ頭を抱えていても仕方ないので身体を動かし、このところ鬱々としている母を連れて散歩に出る。
 子どもの頃、学校の活動でヒアシンスを水栽培したり、種からアサガオを育てたりしたけれど、たぶん心の底から園芸が好きになれたわけではなくて、実のところそれがかなり苦手だった。
 梅雨が本格化し、その合間に顔を出す日ざしがもう真夏の厳しさを帯び始めていることに気づくと、決まって入谷の朝顔市(★1)を思い出す。
 入谷の朝顔市で買った鉢植えの朝顔を手みやげにして郷里静岡県清水に帰省すると、黄昏迫る商店街が七夕祭り(★2)で賑わっている、そんな季節の匂いがふっとよみがえって胸に迫るのである。
 こういう季節に、朝顔がひと鉢欲しいなぁ、などと思い始めるのは歳をとった証拠かもしれない。一軒家暮らしなら軒下に朝顔を等間隔に植え、地面から軒まで麻紐を張り、つるが捻れながら伸びて軒端(のきば)まで届き、まるで葦簀(よしず)張りをしたかのように、ひと夏の日除けになる仕立て方、ああいう朝顔栽培がしてみたいなどと柄にもなく思う年齢になってきた。
 母が清水で作っていたベランダ家庭菜園は見事に大ざっぱであり、朝顔にしろ、へちまにしろ、にがうりにしろ、つるで伸びる植物は生やし放題、伸ばし放題、絡ませ放題になっていた。母は多分そういう大ざっぱなのが好きなのであり、息子も似たところがあるので、平地暮らしをして朝顔を植えたりしたら、軒端(のきば)に届くくらいではすまないのではないかと思う。
 台東区谷中、寺の密集した露地を抜け、言問通りを根津交差点方向に下っていたら、見事な仕立て方の朝顔があり、母とふたり声を上げつつ感心してしまった。なんと店舗兼用三階建て住宅の壁面全体が朝顔で覆われているのである。蔦やジャスミンに家ごと覆われている光景は見たことがあるけれど、朝顔のは初めてである。
「お母さん、こりゃすごいね」
「うーーん、やったねぇ」
こうするには毎年どのような準備が必要なのだろう、ただ野放図に種を蒔くだけでよいのか、いや意外に手の込んだ技法を用いないとこうはならないのではないか、などとしばし母と話し込む。
 真夏を思わせる日の昼食時でもあり、もしも病気でなかったら、この店で脂ののった鰻でも注文し、よく冷えたビールでも飲みながら、朝顔の仕立て方の極意を聞いてみるのにね、などと顔を見合わせて苦笑する。
 ひと夏、全身に朝顔をまとって過ごす納涼法と言えなくもないわけで、並の朝顔好きにできることではないし、こういう楽しみ方だと思えたらいいなと、家族の介護を全身にまとって過ごすことになるこの夏を思う。

(2004年6月21日の日記に加筆訂正)

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★1 入谷の朝顔市
入谷鬼子母神を中心とした言問通りで毎年七月の六・七・八日の三日間開催される。
★2 七夕祭り 
清水の商店街が合同で行う七夕祭り。

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