電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【蓮の一年】
【蓮の一年】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 7 月 23 日の日記再掲)
「あなたは去年の今日」
と入力してGoogleで検索したら
「…何をしていましたか ? 」
などと続く文章が膨大にヒットするのではないか、と試してみたらそうでもなくて、ちょっと意外に思いながらトップにヒットした記事を見たら、
「あなたは去年の今日の悩みを覚えていますか ? 」
という文章だった。
そんなものを覚えていないからこそ人は精神の安定を保って自分を守れるのだと続くのだけれど、
「ええ、もちろん覚えていますとも!」
と答えられるような悩みや苦しみを、人は一生のうちで何度かは持つことがあるだろう。
■同じ日に同じ場所に行ったら同じ花が咲いている。
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去年の 7 月 23 日の午後、母の看護・介護で悶々とした日々のなか、息抜きがしたくて、上清水町にある大小山慶雲寺境内に行ったら蓮の花が咲いていた。
その頃から母には黄疸(おうだん)が出始め、朝夕意識が混濁して奇妙な言動をするようになった。医学系出版社の友人にメールを書いたり、訪問看護師に相談したら、肝機能低下によって意識の混濁が起こることがあると教えられた。かなり命の存続が危ぶまれる状態にさしかかったのだと。
■去年の写真と見比べても、データに日付が記録されていなければ見分けがつかない。
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最後の最後まで自宅での暮らしの中で死なせてやりたいと思っていたのだけれど、息苦しい熱帯夜にエアコンも扇風機もつけられない地獄(母は熱帯夜でも寒がって湯たんぽを欲しがった)のような生活の中で、やっとの事で自立していた排泄まで不可能になったら、やはり病院の清潔な病室での看護を選択すべきではないのか、でもそれは母の意志に対する裏切りになるのではないか、などと悶々とした悩みを抱いていたのだった。
■実家のガスセントラル給湯器が壊れたらしい。お金をかけて直すのももったいないし、友人は「電源プラグの抜き差しでなおることがる」と言い、いざとなったら銭湯に行ったらいいと言うけれど、清水にはもうずいぶん前から銭湯が一軒もないのだ。それにしても無人になると家にどんどんガタが来ることに驚く。蓮がシャワーに見えてうらめしい。
OLYMPUS C755UZ
ちょうど 1 年後の 7 月 23 日、無人になった実家の片付け帰省中だったので、大小山慶雲寺境内に行ってみたらやはり蓮の花が咲いていた。
「あなたは去年の今日の悩みを覚えていますか ? 」
と聞かれたら
「ええ、もちろん覚えていますとも!」
とまだ答えてしまう 7 月 23 日である。
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