【昭和四十九年秋彼岸】

【昭和四十九年秋彼岸】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 7 月 24 日の日記再掲

 

清水駅前銀座に買い物に行ったらアーケードに真っ赤な幟(のぼり)がずらりと並び、毎月 23 日が延命地蔵さん縁日だったことを思い出した。

ずらりと並んでいるのは延命地蔵さんに奉納された赤い幟なのだけれど、「昭和四十九年秋彼岸」と書かれたものがほとんどである。僕は昭和四十八( 1973 )年に清水市の高校を卒業して上京したので昭和四十九年にはもう清水にはいなかったのだけれど、その当時のことを振り返っても駅前銀座商店街に延命地蔵さんがあったという強い印象がない。

■静岡県清水。駅前銀座商店街にて。電光掲示板の「 2189 へ」って何だろう。
OLYMPUS C755UZ

■昭和四十九年秋彼岸と書かれた幟。
OLYMPUS C755UZ

駅前銀座商店街にあったはずの延命地蔵さんが写っている写真がないかと高校時代に撮影したネガの中を探したら、1972 年当時の延命地蔵さんがちゃんと写っていた。

■昭和四十七( 1972 )年7月の清水駅前銀座延命地蔵さん。
minolta SR-T101 Rokkor 21mm F4

当時マスコミを騒がせた幼児誘拐殺人事件が清水駅前銀座であり、当時の駅前銀座は子どもが連れ去られても気づかないほどに雑踏していた。そんな痛ましい事件があったことを思い出し、何となく右に貼られているポスター、女性の泣き顔が気になってこの写真を撮ったことをなぜか今もしっかり覚えているのだけれど、泣き顔と商店街の間に延命地蔵さんがあることは記憶から欠落している。

■昭和四十七(1972)年7月の清水駅前銀座。たしかこのあたりで誘拐事件があったのだと思う。
minolta SR-T101 Rokkor 21mm F4

今その写真を見直すと、泣き顔と銀座通りの間に子どもを守る地蔵さんがある寓意性もちょっと感慨深いが、おそらく駅前銀座の商店主たちが東京巣鴨地蔵通り商店街の活況を見て、清水にも泣き顔と商店街の間に延命地蔵さんがあることに気づき、街を救済する菩薩として押し立て始めたのが昭和四十九年秋彼岸だったのかもしれないと思う。

   ***

清水に住む友人のお母さんが先日喜寿を迎えられたので、七十七歳を過ぎたら少しは息子さんの言うことも聞けるようにとの願いを込め、巣鴨とげ抜き地蔵さん前で売られている日本一高い耳かき「原田の耳かき」を贈った。

とげ抜き地蔵さん前のベンチ群はお年寄りで満席状態であり、座れないおばあちゃんが
「せっかく巣鴨まで来てお地蔵さんのそばに座れなけりゃ意味がないよ」
と座れた人への聞こえよがしに怒っているのが可笑しかった。

彼女たちは若者が夏の日射しの下で裸になって甲羅干しをするように、のんびり線香の煙を吸い込みながら日光浴ならぬ「地蔵浴」をしに来ているんだろう。

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