電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
◉ななめよこまえに考える
2019年8月29日
◉ななめよこまえに考える
揉め事の当事者同士から意見を聞いて、「ここはひとつ互いに折れることができませんか」などと思う。
折れることで世界が違って見えることに糸口を探すことを、子どもの頃「ななめよこまえに考える」と自分で名付け、困った事態を自分で打開するための、つたない座右の銘にしてきた。桂馬のように考えよ。ひとことで言えば「折れる」のであり、類義語をあげれば、「譲歩する」「妥協する」「折り合う」「歩み寄る」などであり、自分にとっては「離れつつ歩み寄る」と言い換えられそうに思う。
漱石を引けば
“智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。”
というような、それぞれ「智」と「情」に長けた個性の違う人と人の窮屈な諍(いさか)いで板挟みになると、互いに「折れることができませんか」と言いたくなる。折れるとは自分にとって、引っ越しもならぬ窮地を脱する最後の手段で、
“越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。”
と思いなすことしかなく、それを「ななめよこまえに考える」と呼んでいた。子どもの浅知恵、逃避に過ぎぬというそしりを甘んじて受けるとしても、事態を打開する方法はそれしかなかったのである。
“土をならすだけならさほど手間も入(い)るまいが、土の中には大きな石がある。土は平らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩した土の上に悠然と峙(そばだ)って、吾らのために道を譲る景色はない。”
となってしまったら「ななめよこまえ」に迂回してみるしかないではないか、と思ったのだ。
Paris 1994
物心ついた頃から両親の夫婦仲が悪く、互いの意見が合わず喧嘩して、父親が家を飛び出せば母子家庭となり、母親が家を飛び出せば父子家庭になるような暮らしを繰り返していた。久しぶりに両親が揃った晩、暗い夜道を歩きながら「おまえはお父さんとお母さん、どっちについてくる?」と聞くので、これは別れ話かなと幼心に思い、「りょうほう」と答えたら両親が揃って笑った。子どもにできるせめてもの鎹(かすがい)役も失敗して程なく母子家庭になった。
坊ちゃんと猫に続いて『草枕』も小学生時代に読みかけたが、子どもには何を言っているやら皆目分からずじまいだった。(4:29)
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