【豆をひろう気持ち】

2020年6月24日

【豆をひろう気持ち】

新聞を読んでいたら「桂歌丸さんの愛した炒飯弁当」という記事があり、物が食べられなくなった闘病生活末期は好物の炒飯弁当を食べて命をつないだという話が載っていた。

その中で、嫌いな物があって一つひとつ箸でよけていたと書かれているので、
「それはグリーンピースでしょう」
とすぐにわかった。数年前、東京と埼玉の町中華で、
「炒飯、グリーンピース抜きで!」
と注文する若者を立て続けに見たからだ。

飾りに数粒いれられるグリーンピースが嫌なら、よけて食べなければいいだろう、わざわざそう言って注文するということは、万が一食べたら危ないグリーンピースアレルギーでも存在するのだろうかと不思議に思っていた。

よけたグリーンピースは弟子に食べさせていたという歌丸さんの話を読んで、自分も幼い頃グリーンピースがひどく目ざわりだったことを思い出した。弟子はいないので一つひとつつまんで自分が食べ、すっきりしたところで気持ちよくご飯だけを食べていた。缶詰のグリーンピースに対してだけでなく、母親が嬉しそうに炊く季節のアオエンドウご飯でもそうしていたし、赤飯でもまずアズキやササゲをひと粒ずつ拾って食べることで掃除し、すっきりしたところで気持ちよくご飯を食べていた。

「どうせ食べてもらうなら気持ちよく食べてもらいたいじゃないの」
などと言う、あの気持ちの問題かもしれない。ご飯に豆が入っているということが気持ち悪かったのだ。学校給食のサラダもまずリンゴや干しぶどうだけ一つひとつ口に入れ、なめてマヨネーズの味を除去して甘い果物だけ食べてしまい、ごく普通のサラダになったところで気持ちよく食べていた。

すい臓がんで物が食べられなくなった母が、じゃがいものニョッキを見て
「これなら食べられるかもしれない」
と言うので、茹でてクリームソースをかけて出したら
「また余計なことをする。これだけが食べたかったのに、もう気持ち悪くて食べられない」
と言っていた。気持ちと食欲の関係は難しい。

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