【母と歩けば犬に当たる……28】

東海道みとり旅の記録
【母と歩けば犬に当たる……28】
 

28|靴が鳴る

 物心ついて初めて覚える歌は、誰かの背に負ぶわれ、腕の中に抱かれて聴かされた歌かもしれない。
 覚えている最も古い歌は『あの子はたあれ』(★1)と『靴が鳴る』(★2)であり、母か祖母が歌ってくれたに違いないと思い、母に初めて尋ねてみたがどちらもよく歌ったという。
 幼い子どもは誰でも最初は歌詞を意味もわからず呪文のように覚えるのだと思う。そして少しずつ言葉として意味が肉付けされてくると、ああ、そんな歌だったのかと気付く日が来る。
 『あの子はたあれ』は妙に悲しい歌だと思った記憶がある。。
「♪あの子はたあれ たれでしょね」
と思うなら近くに寄って確かめればいいのにそれをせず、お人形さんと遊んでいる美代ちゃんも、竹馬ごっこの健ちゃんも、坂道を行く小僧さんも、そして日暮れの空に現れたお月様まで、この歌の中では突き放して見つめられるだけで、みんなひとりぼっちなのである。
 『靴が鳴る』という歌も不思議な歌で、「のみちをゆけば」の「のみち」が「野道」であるとわかり、「みんなかわいことりになって」が喩えであって本当に鳥に変身するわけではないとわかっても、どうして「野道」をゆく子どもの「靴が鳴る」のかが不思議でならず、それはこの歳になっても変わらない。
 幸いにも老人が三人いるので、夕食後の団らんで『靴が鳴る』を歌って聞かせ、「どうして野道で子どもの靴が鳴るんだろうね」と聞いてみた。
 妻がすかさず、
「ぴよぴよと鳴る靴だったから」
などととぼけたことを言う。そうではなくて例えば戦中戦後は物がなくて、子どもにゴム底の靴を履かせるなど贅沢であり、みんな親が作ってくれた木靴を履いていたから鳴ったのだとかいう、高齢者のみが知っている意外な真実はないかと聞いてみた。
 義母が、そういえば昔は自分の靴も満足に買って貰えず、親や親戚や姉からのお下がりの靴ばかり履いていて、歩くとゆるゆるの靴の底が足裏を打って、ペッタンペッタンと鳴ったものだったが、そういう靴をみんな履いていたのではないかと言い、聞いていたらしみじみとしたので、それをわが家の正解とした。
 失明して母と一緒に清水から上京し、東京暮らしを始めたミニチュアダックスフントの愛犬イビは、このところ母と一緒によく散歩をする。
 清水では散歩を嫌がり、家の近所から逃げ帰るように引き返してしまうイビだったが、東京では信じられないほど遠出もするようになった。かえって思い出と臭いの染み付いていない異郷での暮らしが良かったのかもしれない。それでも時折、道端で平行四辺形になってつっぱらかり、もう歩きたくない、ここから動きたくないと駄々をこね、道行く人の笑いものになったりしているという。母は先日、妙にイビが快調に歩く日と、そうでない日があることの理由に気付いたのだという。
 なんとイビは母が清水のがらくた市で買った安物の黒い靴、その靴底がコンクリートの舗道で微かな音を立てるのを聞き分け、その音を頼りに、安心して颯爽と歩くのだという。なるほどなと感心しつつ、しみじみと感動した。

(2004年1月28日の日記に加筆訂正)

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★1 『あの子はたあれ』
細川雄太郎作詞、海沼實作曲により1939(昭和14)年に作られ、キングレコードより昭和16年に発売された童謡。
★2 『靴が鳴る』
清水かつら作詞、弘田龍太郎作曲による文部省唱歌。初出は1919(大正8)年刊行の雑誌『少女号』11月号。
原稿チェックを引き受けてくださった浜口正進さんは「唄に合わせてタップダンス風に靴が地面を叩くので、靴が鳴るように聞こえたんじゃないかね」と校正紙の隅に書き込んでくださった。

【写真】 六義園越しに望む夕暮れの富士山。

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