電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【母と歩けば犬に当たる……27】
27|天職
お年玉付き年賀はがきと切手の当選番号発表があり、母が新聞の切り抜きを持ってきて、当選番号を確かめたかとしつこく聞くので、確認したらお年玉切手シートが2枚当選していた。
人は自分が他人と比べてどういう心身の特徴を持ち、そのうちの何を生かして天職としたら幸せな人生を送れるか、などということはついに理解し得ないまま死んで行くのかもしれなくて、ましてや他人のことなど不用意に口出しするものではないと自分を戒めている。それでも家族のことなら少しはわかっているつもりでいたのだけれど、病いを得た母親と同居してみたら、産みの母のことすらなにも理解し得ていなかったことに驚いている。
母は父と別れたあと、郷里静岡県清水に戻り、飲食店(★1)を経営してひとり息子を育ててくれたが、決して料理が好きな人ではなかったと最近になって気づいた。母自身の口から料理は元々好きではない、本当は大好きな手仕事をして一生を過ごしたかったのだと聞いて、なるほどなと思い当たる節がある。
母はむかしから手芸が大好きで、ことにレース編みでは誰もが驚嘆するほどに大きくて精緻な作品を作っていたが、「図案」を考えるのが大嫌いで、息子に「図案を考えて」と頼むこともあったし、「図案」を考える参考になりそうな本をプレゼントすると、ひどく喜んでいた。
再び一緒に暮らし始めてわかったのだけれど、母は若い頃から単調で手間のかかる仕事を嫌がらない性格であり、そういえば東京暮らしの頃は事務員として経理の仕事を嬉々としてやっていたのを思い出した。そのせいか、今でも数字の扱いに強く、友人の携帯電話番号を丸暗記するのが得意で、次々に暗唱して家族を驚かせたりする。母は、「図案」など考えず、伝承技法を守ってこつこつ布を織ったりし、その作業に取り組む姿勢の真面目さ、根気強さを評価されるような手仕事を、一生の仕事としたい人だったのだと思う。
お年玉付き年賀はがきは何枚当たったかと聞くので2枚だけ末等に当たっていたと答えると、その枚数で2枚なら上等だと笑う。今年も母に届いた年賀状の束は息子の数倍もあるのだけれど1枚も当たらなかったらしい。
毎年少しずつ出す年賀状の枚数を減らしているという母のために、今年は年賀状を200枚用意したが、元気な頃はその数倍も書いていた。そして驚くべきことに、お年玉付き年賀はがき抽選が好きな母は、出した葉書の番号をすべて手帳にメモし、当選番号が新聞に載るのを待ちかねて照合し、出した相手に
「あなたに出した葉書は○等に当たっています」
と連絡していたのである。いささかおせっかいがすぎるので呆れてやめろと言うと、
「いや、当選したのに賞品を引き替えない人が多いらしいし、忙しくて当選番号確認ができない人もいるのだから人助けの親切だ」
と言い張って、数年前までその単調な事務作業をやっていた。母はそういう作業が楽しくて天職にしたかった人なのかもしれないと老いた背中を眺めて思う。
(2004年1月26日の日記に加筆訂正)
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★1 飲食店
静岡県清水市役所脇で、おにぎりお茶漬け家庭料理の店『通(みち)』をひらいたのが1967年だった。
【写真】 東京の母に届いた年賀状。
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