電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
▼銀杏(ぎんなん)
風に吹かれて銀杏が地上に落ちる季節になったが、かつてはよく見かけた熱心に銀杏ひろいをする人を最近は見かけなくなった。ひろう人のいない銀杏が行き交う人々に踏まれて独特の臭いを放っている。大学の寮が板橋にあって桐花寮といったが敷地内に落ちる銀杏集めは学生たちの小遣い稼ぎになっていた。
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文京グリーンコートにて。
子どもの頃は銀杏の実を煎る前に、はじけないよう割れ目を入れる作業を手伝わされた。そういえば銀杏に割れ目を入れず加熱して食べる方法を母親に教わったことをふいに思い出した。晩年の母は銀杏割りを手伝う息子がいなくなり、自分でやるのも面倒になったようで、割らずに電子レンジで代用していた。
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六義園レンガ塀のある風景。
封筒に銀杏とひとつまみの塩を入れ、封筒の口を折って電子レンジにかけると、加熱され破裂して食べられるようになるというずぼらな方法で、ポップコーンの原理に似ている。封筒の口を開けて皿に中身を取り出すとはじけた銀杏が塩にまみれて出てくる趣向で、なんとも行儀の悪い方法だけど手っ取り早い。
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六義園正門近くにて。
路上に落ちた銀杏を拾わず、足で踏んで出てきた種だけを持ち帰るずぼらな人がいるようで、住民が苦情の貼紙をしていた。ものの値段が底抜けに下落し続け、人の営みも底抜けにずぼら化し、都会では銀杏の実をひろう人も絶滅危惧種になってきたのかなと、歩道で踏まれて異臭を放っている銀杏を見て思う。
コメント ( 4 ) | Trackback ( )
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ま、それくらいしかできないもので・・・。
入江南にあった実家近くの八幡神社は子どもの頃から山ほど銀杏を落とす大木でした。
毎朝早起きする母が拾って山ほど送ってくるので往生したものです。人によっては5~6粒で中毒を起こし、戦時中は食べすぎて死者も出たと聞きますが、封筒でチンして山ほど食べても平気だったのが幸いです。
2002か3年に大剪定されて「もうこの木はダメだ」と母は嘆いていましたが、いずれにせよ清水の銀杏は届かなくなりました。
清水の銀杏の記憶がほとんどないのですよ。ミホは松ばかりだったような気がします。御穂神社くらいでしょうか、銀杏の記憶は。
生家の目の前に銀杏の大木があったので静岡県清水と銀杏の結びつきに違和感は感じなかったのですが、言われてあらためて清水の町全体を思い浮かべると、松や楠はたくさんあっても銀杏を見かける率は確かに低いかもしれませんね。