【缶のパチンコ】

【缶のパチンコ】

美濃輪稲荷大鳥居前の魚屋に行って店頭で立ち話し、東京に送って貰う魚を注文し、帰り際に店の横を見たら懐かしい一斗缶のフタが落ちていた。



子どもの頃はこれを見つけると大喜びし宝物にしていた。
手のひらにのせて真ん中を引っ込ませ、手の中に隠して友人の耳元で強く握ると「パチン!」と良い音がし、僕たちはそれを「パチンコ」と呼んでいた。
最近の子どもはこういうものを拾って遊ばないのだろうか。

魚屋に返せと言われないうちにポケットに入れ自転車で逃げてきた。

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コメント
 
 
 
パチンコ止めて30年 (桜飯)
2007-09-24 17:02:28
新清水駅向かいにあるパチンコ屋さんは黒板に宣伝が書いてあるんで「のんびりしたパチンコ屋さんがあるなあ…」と思っていました。
やっぱし、お客さんもお店も平和なんですね。

神保町の人生劇場って大学から近いんでよく知ってますよ。就職してパチンコはしなくなったんで30年以上してません。落ち着きが無いからじっとパチンコをしていられないんです。
 
 
 
落ち着きのない世代 ()
2007-09-24 17:40:10
実家片付けをしていたら小学生時代の通信簿が出てきました。
各学年とも記憶と違って苦手だったはずの算数が国語より良い成績なのが意外でした。
体育も親が言うほど悪くないです。
各学年とも家庭との通信欄に「落ち着きがない」と書いてあります。
パチンコにのめり込まなかったのは確かに落ち着きがないからかもしれませんね、時代のせいかなぁ。
 
 
 
禁パチ (サッカーおやじ)
2007-09-25 14:27:01
若い頃はこれでもかっていうくらいパチンコに明け暮れていました、落ち着いていたわけでもないですが。
最近は娯楽から賭博に変わった感があり、すっかり足を洗いました。
人生劇場、僕も行ったことがあるかもしれません。
写真の専門学校が水道橋と御茶の水の中間の坂道にあり、
神保町あたりもテリトリーでした、あの辺もずいぶん変わったんでしょうね。
 
 
 
坂道の風景 ()
2007-09-25 16:38:07
お茶の水から水道橋に向かう道にはお茶の水美術専門学校など芸術系の学校がありました。
現在はデジハリことデジタルハリウッドもあります。
画材屋も「いづみや」とか「画翠レモン」などがありましたっけ。

あの坂や脇道の石段も含めてあまり変わっていないし、神保町あたりも変わったようで居て何も変わっていない路地があったりしてびっくりするかもしれませんよ。

僕は神保町の居酒屋『兵六(ひょうろく)』が好きでしたが名物お父さんも亡くなって久しいです。人の顔ぶれは確実に変わりました。
 
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