好き

2017年2月24日
僕の寄り道――好き

人造物と自然はせめぎ合う。遊歩道をつくっても草木の侵攻を食い止めないと、人間の作ったものなどすぐ自然に還ってしまう。ここでは半透明の塀を設置することで、かろうじて防御線としている。

秋になって植物の勢いも衰え、木枯らしに耐えた蔓と枯葉が向こう側で冬の陽を受け、こちら側に透けて影絵模様を作っている。ウィリアム・モリスの壁紙のようだ。それが何十メートルも線路づたいに続いている。

なんて綺麗なんだろうと思い、昔からそういう写真を夢中で撮っている。親のすねをかじる学生の頃は、こういう写真をフィルムがなくなるまで撮り続けると、
「くだらない写真をとるな、お金がもったいない!」
と母親に叱られた。

結婚してからは、こういう写真を見せると妻は《映像のゴミ拾い》と言い、いったい何を写しているのかと聞くので
「心象」
と答えると大笑いされた。

友だちにこういう写真を見せると
「ゲイジュツ写真は見たくない」
と言い、漢字でなくカタカナで《ゲイジュツ》と聞こえるところに、女性の嫌悪感が現れている。女性というのは概して5W1H 的に説明できない写真は《くだらない》や《ゴミ》や《ゲイジュツ》になるらしい。

線路づたいにエンドレスで続くモリス・バターンがあまりに綺麗なので、夢中で写真を撮っていたら通りかかった高齢の女性が立ち止まり、
「何を撮られているんですか」
と聞くので、来たなと思い
「塀に透けて見える蔓植物がとても綺麗なので」
とわかりやすく答えたら
「お好きなんですね」
とにっこり笑った。


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