電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
▼1983年の夏
朝日新聞がおまけにくれる小冊子に茂木健一郎が連載原稿を書いている。
イングリッシュ・ブレックファーストが好きだというフランス人の友だちに「フランス式の朝食に比べるとイギリス風の朝食はごたごたしてエレガントさに欠けるんじゃないかなぁ」と言い、コーヒーとパンだけの組み合わせだと思っていたコンチネンタル・ブレックファーストがフランスではカフェオレとクロワッサンの組み合わせであり、その「何も付け加える必要がない。不変のコンビネーション。」が一つの宇宙に思えるのだという。
そうかなぁと首をかしげるのは、フランスのコンチネンタル・ブレックファーストはフルーツ、ヨーグルト、ミルク、チーズ、生ハム、サラミなどのコールド・ミールにパン、そしてジュース、コーヒー、紅茶などが組み合わさって「ごたごたしてエレガントさに欠ける」ものだった記憶しかないからだ。
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7月13日、六義園内にて。
カフェオレとクロワッサンだけの朝食がエレガントだというなら、司馬遼太郎のエッセイに出てきたジャムパンと牛乳を交互に口に運びながら世の中にこんなにうまいものはないと言わんばかりにパクつく先輩記者の食事も極めてエレガントだと思うがどうだろう。ジャムパンと牛乳がエレガントでないなら、フランスのコンチネンタル・ブレックファーストがエレガントなのではなく、カフェオレとクロワッサンの組み合わせをハイカラに感じて好きだと脳が言いたがっているだけかもしれない。
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水に届くまで枝をたれるハゼノキ。7月13日、六義園内にて。
カフェオレとクロワッサンや、ジャムパンと牛乳のような簡素で飾り気のない朝食がエレガントとは思わないけれど、質素な組み合わせが美味しく嬉しかった記憶が僕にもあり、それは富山の山奥で泊まった合掌造り民宿の朝食だった。
山盛りのキュウリ漬けとお櫃いっぱいのご飯を、縁側を開け放した和室に座って、蝉の声を聞きながら黙々と食べたのだけれど、その美味しさがいまだに忘れられずにいる。
あれは何年前の夏だったろうと思い出すに、朝のNHKニュースでSONYがカセットケースサイズのウォークマンを発表したという話題を報じており、どうしてカセットケースサイズにまで小さくできたのだろうと、キュウリ漬けとご飯を頬張りながら首をかしげた記憶がある。調べてみるとカセットケースサイズのウォークマンはWM-20という型番なので、それは1983年の夏だったということになる。
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舞鶴にいるときは、丹後のこしひかり、宮津の世屋みそ、舞鶴の煮干、西方寺平という山の上でとれる平飼の卵という、地元産のかなり贅沢な材料(値段は高くない)で朝食を作っています。でもお茶ばかりは清水産でないと承知しないので、地産地消の小宇宙にはならないですね。
極めて海抜0メートルに近い地域で、早朝から米を炊き、お櫃にうつしながら湯気を切り、美味しいおにぎりをにぎっていたお店が、悲しい事情で最近閉じられたらしい…という噂を昨夜聞きました。悲しみの極みです。
すっぱくてしょっぱくてちゃんと種の入った梅干しのおにぎりを、巴川護岸のコンクリの上にあぐらをかいて座り、富士山を見ながら「これが自分にとって最高の清水の朝飯だ」と思ってぱくついた日が懐かしいです。
どこに旅しても、その土地ならではの究極的簡潔な食事を探求する愉しみは素敵です。義父母より長生きしたらまた富山参りが始まるので楽しみ…といったら罰が当たるか。
そうそう、昨日「三五さん」の界隈を歩きましたが大きく分けて3つあった施設のうち二つは相変わらず健在で、朱の屋根の施設はいまだに独自の気を放っていますね。玄関前にいまだに使っているらしい手押しポンプの井戸があるのも夏の景色として素敵と言えば素敵です。
あのあたりは清水でも良い井戸が湧くそうなので、人影があったら話しかけてみよう、あわよくば水を使わせて貰おうと思ったのですが、全く人影もありません。耳をつんざくばかりのクマゼミの合唱のなかにある無人空間あたりで考えましたが、PL本部といい柳宮通り沿い西側斜面は、清水でも数少ない飲用に耐える水が出たラインだった、というのも人相手としては大事な立地条件だったのかと思ったり。
浜田地区、宝珠園右隣のDPEショップが更地になりアラジン第二駐車場になりましたが掘ったらPLの銘板が出てきたそうです。その裏手に名高いチャンチャン井戸がありますね。
とりとめのない長いコメント容赦。
清水もずいぶん変わりました、というところまでは何とかついていけるのですが、ずいぶん変わった清水がさらにまた、こちらの思い入れなど気にせず、すいすいと変わりつつあって、それが無常というものと言われたら、それはそうなのですが、人情には慣性というものがあり、なかなかついていけるものでもなく、また夏は日差しが強いだけに、その光の隙間からもれて見える翳った記憶とコントラストをなして、切ない気持ちに誘われてしまうのかもしれません。
山奥の宿といえば、僕も岐阜の山奥で泊まった、くつかけの湯という鉱泉が印象的でした。夏も終わり頃だったので、相客もおらず、一軒を貸切状態で、座敷に吹き込む山の風がたいへん気持ちよかった。なにか名所旧跡があるというわけでもなく、あの何もない時間はよかったなあ。
その「ちりとてちん」が始まった2007年頃は、清水の大恐慌的不景気も行き着くところまで来て「これで底を打ったかな」と思ったのですが、まさか底を打つどころか底が抜けてしまうとは思いませんでした。上述のニュースも「底抜けに」驚きましたが、とても詳細はネットに書けません。自由落下の等加速度運動に巻き込まれたよう。
底抜けの良さが出てきた清水の古旅館で数日寝て過ごすのもいいなぁと思うのですが、海外旅行の方が遙かに安いんですよね。