▼自画像

 

 小学生時代、図工の時間が大好きだったのは、図工の時間には自由というものがあったからだ。
「今日は自由に絵を描いてみましょう」
と言われると嬉しかったが、たとえテーマが決められ画材が制限されても嬉しさが損なわれなかったのは、そこにはまだ自由があると思えたからで、図工には正解がないと言えば無いし、あると言えば無数にあることに気づいていたのだと思う。
 小学校卒業の日が近づき、最後の図工の授業で
「六年間で一番嬉しかったことを描いてみましょう」
というテーマが出されたので、迷わず自画像を描いた。馬づらだと笑われる自分の容姿が好きではなかったし、顔を似せて描くのも苦手だったので、いきなり自画像を描けなどと言われたら嫌で仕方なかったはずなのに、一番嬉しかった思い出を表現するなら嬉しがっている自分を描くしかないし、嬉しがっている自分を描くなら似ている必要なんてないとなぜか思えたので、自由からの卒業という挑戦もあって、すすんで苦手な自画像を選んだのかもしれない。




7月13日、六義園内にて。



 自分の顔に正対するように画用紙いっぱいに自分の顔を描き、顔の前に右手を持って行って鷲づかみにしている牛乳瓶を描く。顔の前に手があるので手は画面の顔より飛び出していないといけないし、その手の前にさらに牛乳瓶の底側が突出している。突出した牛乳瓶は透明で向こう側が見えながら中の牛乳によって不透明でもあり、その状態で一番手前に飛び出していなくてはならない。そういう重層する立体表現に四苦八苦しながら何度も絵の具を塗り重ねて「牛乳を飲む自画像」を描いた。小学校六年間の思い出で一番嬉しかった日は、給食の脱脂粉乳が廃止されて瓶入り牛乳になった日だったのだ。
 いつもの給食の時間になり、給食当番がガラスビンのぶつかる音を立てながら、箱に入った瓶入り牛乳を持って教室に入ってきたら、教室内から期せずして歓声が上がった。脱脂粉乳はまずいけれど、給食費が払えない友だちもいるのだから、おいしいと思って飲まなくてはいけないと教えられた。確かにその通りであって、世の中にはまずいのにおいしい、おいしいのにまずい物があることを、教えてくれたのが脱脂粉乳だった。そういう我慢食からの解放が宣言されたのが牛乳給食開始の日だったのであり、もう戦後ではないと言われた昭和三十年代も終わろうとしていた。
 おいしいけれど同時にまずい食べ物がこの世にはあり、似ていないのに同時に似ている不思議な自画像があることを学び、小学校六年の締めくくりに描いた自画像は賞をもらって卒業の日まで校内に飾られたが、その後どうなったかはわからない。




食べ物が欲しくてそばに寄ってきた鳩。7月13日、六義園内にて。



 絵を描くという自由が楽しかったとあの頃を振り返ると、国語、算数、理科、社会…どの教科にも図工ほどではないにしろ、わずかではあっても許された自由があったはずだと今になって思う。大人になってから、子どもの頃もっとまじめに勉強しておけばよかったな、と苦笑いしつつ振り返る初歩の初歩の勉強には、辛いけれど同時に楽しめたかもしれない不思議な自由が三等星くらいの明るさで瞬いている。たとえ正解はたったひとつであっても、正解に近づいたけれど正解に届かなかった正解の卵は無数にあり、正解になれたかもしれない無数の卵を産み出す気力の方が大切であることに、疲れた大人になってやっと気づくからだ。それぞれの科目にある自由とは何かということに気づいて、自由という卵の大切さが尊重されていたら、図工以外の通信簿の評価ももっと良かったのかもしれないな、と今でもいじましく思う。


全国コミュニティライフサポートセンター(CLC)発行
『Juntos(ふんとす)』に連載中の
「打てば響くか」第6回用に書いた原稿より。
コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
図画工作 (さくら飯)
2009-07-18 07:17:58
図工って図画が中心でした。絵がヘタクソで図画は苦手でした。先生に「何を書いているんだ…」ってのはしょっちゅう。絵のうまい人ってうらやましい、尊敬します。工作は好きだったんで中学に入ってからの技術家庭は好きでした。
 
 
 
得手不得手 ()
2009-07-19 09:37:17
面白いですね。
僕は図工や美術は好きでしたが技術家庭がダメで、スウェーデン刺繍も、アップリケの裁縫箱袋も、文鎮も、ブックエンドもみんな苦手でした。驚くほど綺麗に仕上げる人に感心したものです。けど、粘土細工や木削りなどは好きで得意だったり。
 
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