【二度死ぬものたち】

【二度死ぬものたち】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2001 年 11 月 20 日の日記再掲)

新聞を読んでいて、有名人の訃報を目にする時、その驚きは一様ではない。
「○○さんって役者がいただろ、あの人、亡くなったんだってさ」
「あ、いたいた! 亡くなったのかぁ、というよりまだ生きてたんだねぇ! 」
亡くなった方には申し訳ないけれど、ご家族の前から消えるとき、そしてマスコミを通じて世間に訃報が伝えられるときと、二度死んで見せなければならないのは有名人の宿命かもしれない。身体の存在とは別に、名前の認識が死ぬ。

隔週刊、共同通信社発行の雑誌『 FM fan 』が休刊(事実上の廃刊)という記事が朝刊に載っていた。1966 年創刊、ピーク時には発行部数 30 万部を超える人気雑誌だったらしい。採算ベースの 3 万部を割り込んだことも休刊を決意する一因となったようだけれど、この記事を読んだ第一印象は、そうか休刊かぁ、という感慨よりまだ発行されていて、しかもついこの前まで 3 万部も発行されていたという事実に驚いたというのが正直なところだ。

僕も学生時代、この雑誌を購読していて、追随した類似誌より垢抜けた表紙が印象的だった。当時は、毎回選ばれたレコードジャケットが表紙下部にそのまま複写されていて(クラシックが多かったような気がする)、切り抜くとオープンリールテープの箱に貼れるようになっていた。要するに芸術複製時代の流れに巧く乗った雑誌だったのだ。電波受信による芸術複製(エアチェックなどと呼ばれた)の衰退が、じり貧になる要因となった、というのが出版部長と記者の分析のようだ。

写真は団子坂下交差点で信号待ちをする吉本隆明さん。別に深い意味はありません。

芸術複製自体は益々隆盛に向かっているようなので、FM 放送を媒介した芸術複製が衰退したに過ぎない。FM 放送自体は局数も増加しているらしいし、社会の高齢化に伴いラジオの存在価値も変貌しているので、映像をともなわない情報メディア自体が衰退したわけではなく、芸術複製の羅針盤的雑誌としての命脈が尽きたに過ぎない。二度死んで見せるほどの愛着ある雑誌を出されていた熱意ある関係者による、新たな「ラジオ文化に別な角度から光をあてるような雑誌」の誕生を見てみたい気もする。

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