電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【街のパンセ】
【街のパンセ】
自然の中にいるとき人は「私が」と言う必要がない、と哲学者が書いていた。なるほどなと思う。言われてみればそうなのかもしれない。自然と一体化する感覚が一人称主語を無用にする。山の思索者だった串田孫一に聞いたらどう言うだろう。
街の中で暮らしていても屋外を散歩しているときは「私が」の出る幕はそうそうない気がするのだけれど、自宅内にいるときは「私が」から考えを始めることが多い。自宅とは「私が」という考えの孵卵器のようなものなのかもしれない。
そういえば母親が他界して無住となった生家を解体し、更地にして売却を終えたとき、郷里清水駅前に降り立って深呼吸したら「私が」という空気が一段希薄になっていたような気がする。今でも定期的に帰省しているけれど、たしかに昔はもっと「私が」が濃密にあったように思う。
2006 年 11 月 25 日 庵原にて
NEW
20 音オルガニートで
20 音オルガニートで『わらべうた 通りゃんせ Touryanse』
作者不詳
20 音オルガニートで『童謡 どんぐり ころころ Donguri Korokoro』
作曲/梁田貞
20 音オルガニートで『わらべうた ずいずいずっころばし Zui Zui Zukkorobashi』
作者不詳
を公開。
***
◉
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 【エンジン(e... | 【意外な結末】 » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません |