【街のパンセ】

【街のパンセ】

自然の中にいるとき人は「私が」と言う必要がない、と哲学者が書いていた。なるほどなと思う。言われてみればそうなのかもしれない。自然と一体化する感覚が一人称主語を無用にする。山の思索者だった串田孫一に聞いたらどう言うだろう。

街の中で暮らしていても屋外を散歩しているときは「私が」の出る幕はそうそうない気がするのだけれど、自宅内にいるときは「私が」から考えを始めることが多い。自宅とは「私が」という考えの孵卵器のようなものなのかもしれない。

そういえば母親が他界して無住となった生家を解体し、更地にして売却を終えたとき、郷里清水駅前に降り立って深呼吸したら「私が」という空気が一段希薄になっていたような気がする。今でも定期的に帰省しているけれど、たしかに昔はもっと「私が」が濃密にあったように思う。

2006 年 11 月 25 日 庵原にて


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『わらべうた 通りゃんせ Touryanse』
作者不詳

20 音オルガニートで『童謡 どんぐり ころころ Donguri Korokoro』
作曲/梁田貞

20 音オルガニートで『わらべうた ずいずいずっころばし Zui Zui Zukkorobashi』
作者不詳

を公開。

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2023年11月号(通巻13号)まで公開中

 

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