▼鉄道の余白

お茶の水橋を渡ったところにある御茶ノ水駅の側壁。
窓から爆発的に生えたような樹木があり
不思議な生え方をしたものだとのぞいてみたら
塀と壁の猫しか歩けないような隙間から
つる植物が生えてなぜか窓の所から
爆発するように外に向かって枝を広げているのだった。
窓は西日をうけて反射するのでこの場所が選ばれたのかもしれない。



このお茶の水橋と同じく昭和6年竣工の郷里静岡県清水の桜橋にも
妙なかたちで生えたままになっているつる植物があったりし
鉄道敷地周辺というのは不可触領域のように
妙なものが妙なかたちで手つかずのまま残っていて
面白いので大好きだ。

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コメント
 
 
 
1931年ごろ (あおい君)
2008-11-23 14:57:55
▽静岡でも宝台橋ができ、それにつながる幅2間ほどの城下の横丁にすぎなかった道が12間に拡幅されて昭和通りとなったのはそのころのようです。
そのころは単に景気がよかったのかなぐらいに思っていたのですが、昭和に変わった節目で全国でそういう動きがあったのかもしれませんね。
もっとも東京の場合は震災復興事業と重なったりして、明確でない場合もあるのかもしれませんが・・・

▽余談ながら、東京にも進出しているヴィノスやまざきの本店も昭和通りにあり、20日の解禁日には深夜0時から営業してにぎやかだったようです。
http://www.v-yamazaki.co.jp/
 
 
 
御大典と経済 ()
2008-11-23 16:46:37
>城下の横丁にすぎなかった道が12間に拡幅されて昭和通りとなった

日暮れが近づくと北北西向きの部屋はグッと気温が下がります。
そちらはまだ暖かかもしれませんね(笑)

先日秋葉原の落語会に行ったら懇親会でなんの拍子か昭和三年の提灯行列の話になり、我が母は昭和五(1930)年生まれなので提灯行列と言えば紀元二千六百年のそれしか話してくれなかったので初耳でした。

友人が説明してくれたのですが、大正天皇が崩御して昭和天皇が即位し、1年間の喪が明けて昭和三年には御大典があったのだそうですね。御大典に合わせて鉄道が急遽開通したり、電機メーカーが国産写真電送機を開発したり経済波及効果もあったようで、そんな勢いの中で着工されたのではないかと思ったりしたのでした。
昭和通りというのはまさに名前まで奉祝ムードですものね。

ヴィノスやまざきさんは知りませんでしたが近所では池袋サンシャインにもあるのですね。
郷里のお店が頑張られていると嬉しいです。
 
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