畷(なわて)と縄手

2014年4月22日(火)
畷(なわて)と縄手

00
夏目漱石『こころ』冒頭ちかくに畷(なわて)という言葉が出てくる。書生である主人公は暑中休暇中の友人に誘われて海辺の町に宿を取る。湘南の賑やかな別荘地ではあっても繁華街からちょっと外れており、

 宿は鎌倉でも辺鄙な方角にあった。玉突きだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷を一つ越さなければ手が届かなかった。(夏目漱石『こころ』)

というように描かれている。

01
畷(なわて)とは田圃のあぜ道のことで、右の双を二つ重ねたつづり合わせを音符とし、左に意味として田圃を加えた会意形声文字だ。

02
「なわて」といえば京都の地名が思い浮かびそちらは縄手と書くが、縄手にもまた畦道という意味がある。繁華な古都もちょっと時間を遡ればカエルがゲロゲロ鳴く田圃であったかもしれないので、なわては畷と縄手どちらの字を書いても田圃の畦道ということで良さそうにも思われる。

03
だが京都の縄手は鴨川の土手沿い、長野の縄手は松本城外堀沿い、島根の縄手は松江城の堀沿いということで、畦道よりちょっと都会的にひらけた大通りといった語感がある。

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畷(なわて)も畦(あぜ)も畔(あぜ)も、文字のできかたが似ているので意味も似通っており、田圃をつづり合わせたり、土を盛って区切ったり、ひとつをふたつに分けたりすることを意味する。いわばそういう土や石を使った治水を表しているわけだ。

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土や石を使った治水の始まりは、そもそも文明の始まりを意味する。水を支配下に治めて安定した土地には労働力が集まり、その結果富が蓄えられて町ができる。そして水を治めるために天文や土木の学問も発達して文化も育まれる。

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文化的な町は人の都合にあわせて形を変えて行き、田舎にはない合理性を重視したまっすぐで長い水路がつくられ、それに沿ってまっすぐで長い道ができる。そういう道のこともまた縄手と呼ぶらしい。

07
ということで夏目漱石『こころ』 に出てくる畷(なわて)と、田んぼの畦道ではなくまっすぐで長い道を意味する縄手(なわて)との関係を調べてみたという、知っている人には常識だと笑われそうなことのメモである。


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郷里静岡県清水の巴川もそうだが、肥沃な氾濫原を作りながら蛇行する河川をコンクリート護岸の直線水路化することは、ダムなどと同じく自然への負荷となる。それに対する反省として遊水池造成など近自然的治水工法での見直しが行われている。


09
自然に対して人間に都合のよい合理性を押し付けないことを徹底するなら、自然災害のリスクと引き替えに得られる地勢由来の富を、地域保障のための財源としてその地域住民のために担保するハードではないソフト的な治水が、文明の行き着く先にあるように思う。


10
畷と縄手からの脱線おしまい。

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