【夾竹桃の似合う港町】

【夾竹桃の似合う港町】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 9 月 18 日の日記再掲)

清水旧市街を自転車で走ったら満開の夾竹桃の花が目につく。花は 6 月頃から開花し 9 月頃まで咲くそうで、事典で開花時期を調べたら「晩夏」という言葉が目にしみる。

夾竹桃には猛毒があるので地域によっては屋敷内に植えない、などという話を聞くけれど、なぜか美しい夾竹桃は人の暮らしに寄り添っていることが多く、公害に強いという理由で街路樹や公園樹にされた姿を見るより、人と共棲する姿こそが印象的である。

病いを得た母は、人の「生=死」に手で触れるような職業の人に接する機会が増え、それは医師や看護師であったり福祉職員あることが多く、来週は市の高齢福祉課職員の訪問を受けるらしい。そういう人たちがする人の生死に手で触れるような行為、言動は傍で見聞きしていると非常に面白く、対象者の生死に触れているつもりで、実は自分自身の死生観に触れていたりするわけで、母を触媒としてさまざまな人の人間性が露わになるようで興味深い。

人の数だけ、その死生観も様々であり、接する人によっては元気づけられることもあればその逆もあるわけで、
「嫌なことを言われたことは忘れて前向きに生きよう!なるようにしかならない」
と母を励まして、ひとり美濃輪町の魚屋まで買い物に出る。

清水上町の懐かしい八百屋脇にも、清水本町の清水保育園園内にも、良く似たピンクの夾竹桃が満開である。八百屋にも保育園にも夾竹桃がよく似合う。

裏通りにある酒屋の店頭に張り紙があり、生ピールの立ち飲みができるらしい。「ジョッキ」ではなく「ジョーキー」というのが冗談めいていて楽しいし、気分も高揚して上気したり、上機嫌になれそうな気もする。「 1 人 2 はいまで」という注意書きにも何とも言えない味わいがあって清水らしいなぁと思い、思わず自転車を止めて「 2 はい」引っかけたくなるが今日のところは我慢する。
 
人が昼間から飲酒する隙間のある町というのは、人と夾竹桃が寄り添って生きる姿に似ているような気がして好きだ。

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