【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』―久能街道編―】

【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』―久能街道編―】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 9 月 27 日の日記再掲)

清水は古い港町なのにどうして蔵が少ないのだろう、とぼんやりと思い日記に書いたりしたこともある。

このところ帰省するたびに、ああこんなところに蔵がある、あれっこんなところに蔵があったっけ、と改めて蔵の多さに驚く機会が増えてきた。

街に蔵が多いことを観光の目玉にしている地域に旅したりすると、道に面して蔵が並んでいたりするのだが、清水の蔵は家の一番奥まった場所にあって通りからは見えないことが多い。友人に西友の裏手、本郷町から辻町にかけての裏通りを歩くと蔵がたくさんあるのがわかると教えられたけれど、どうやらそういう仕組みになっているのである。

旧東海道を京に向かって進み、稚児橋を渡って『いちろんさんのでっころぼう』 のところの追分を左折し入江岡の方に進む道が旧久能街道で、名のある古道の風情が残っているとは思えなかったのだけれど、いくつも蔵が存在しているのを最近知った。

この旧久能街道を地図で見ると『清水富士宮線』という名前がついており、北上すると稚児橋を渡り、江尻町、宝町、小芝町、二の丸町、大手町を経てそのまま富士宮に繋がっているらしく、県道 75 号線という。

で、その逆方向に南下すると、県道 75 号線は入江岡跨線橋を渡り、入江岡町、浜田町、上清水町と進むのだけれど、なぜか途中で細道に左折し、村上クリニック、鈴木眼科の玄関先をかすめて道なりに右に曲がり、禅叢寺門前を左折し昨日の日記の『萩原商店』の辻に出る。

その先が更に奇妙で上町の專念寺を過ぎ 2004 年 9 月 18 日金曜日の日記【夾竹桃の似合う港町】に出て来る八百屋の所を右折し、どんどん直進して富士見橋の方に左折し、田村歯科のところを右折し、清水蔵談義でお世話になった石野源七商店前を通り、港橋方向に左折し港橋を渡ってさつき通りを北上し入船町の角で尽きている。

昔は間口の幅に応じて課税されたそうで、古い商家は間口が狭く奥が深い。清水を歩くと旧街道以外でもそういう土地割りになっていることが多く、なかなか土地の譲渡などによる商業者の新陳代謝が進まない理由のように思える。清水は名を知らないような道にも古くから商家があったようだ。

古い商家が廃業し、廃屋となって細長い土地が更地になり、街並みが櫛の歯状態になってくると、隣接する家々の奥が見渡せるようになって蔵の存在がわかる。本来なら居住者の許可を得なくては見えなかった蔵を近くまで寄って見ることができ、実に様々な意匠の蔵があることが楽しい。

それにしても道に面して店舗があり、その奥に住まいがあり、最も奥まった場所に蔵があるのでは、蔵の中身の出し入れが厄介だったろうなと思うのだけれど、蔵の主でないとその辺の事情はわからない。物資の集散にもっと使い勝手の良い蔵が必要だったのではないかと考えると、港沿いに膨大にある倉庫群がかつては清水の蔵だったのであり、街の中にポツポツとある蔵は商家の金庫みたいなものだったのだろう。

清水町にある珍しいレンガの蔵(写真大上)、幸町にある見事な石の蔵(写真大下)を眺めて清水蔵散歩を終えるけれど、それにしても旧久能街道別名清水富士宮線別名県道 75 号線はどうしてあんなに迷走しているのだろう。

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