【おでんのさりげなさに学ぶ】

【おでんのさりげなさに学ぶ】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 9 月 25 日の日記再掲)

清水市内、母の用事で親戚の家からの帰り際、激しい雨に遭遇する。
 
自転車を置いて帰れと言われたけれど、そうすると次回帰省した際に取りに行くのが面倒であり、ええいままよ、とペダルを踏んで雨の街に飛び出したけれど、すぐにずぶ濡れになるほど雨脚が激しい。徒歩で帰る時のために傘も用意していたのを思い出し、傘をさして自転車に乗ってみた。

雨傘を差して自転車に乗る女子学生やご婦人の姿をよく見かけるけれど、小学生時代に自転車を覚えて以来、傘をさして自転車に乗ったことがない。だが、女こどもにできることが大の男にできないはずはないと思い、挑戦してみたらなかなか調子がいい。
 
調子はいいのだけれど、舗道沿いのガラスに映る自分の姿がひどく気になり、それが滑稽で恥ずかしい。
 
思えば 1992 年のアルベールビルオリンピック、3 回転半ジャンプ「トリプルアクセル」を成功させて銀メダルを獲得した伊藤みどりが、エキジビションで和傘を持って登場し満面の笑みを浮かべてオリエンタルなスケーティングを披露した時の衝撃に似ていて、自分が「ぶんぶくちゃがま」の狸になり、傘をさして自転車の曲乗りをしているように思えてきた。

雨の黄昏時、商店に灯りがともり人恋しい時間帯になる。
むかしは子ども相手に商売する駄菓子屋が路地裏にたくさんあった。郷里静岡県清水のそれがひときわ特色豊かに思い出される理由の一つに、店の隅に必ずといってよいほど、さりげなくおでんの鍋が置かれていて、煮染まった匂いのする茶色い湯気を上げていたことがある。

祖父母や母は駄菓子屋のことを「一文商い(いちもんあきない)」と呼びそれは当然戦前の言葉なのだろう。果たして戦前の「一文商い」にも、片隅にさりげなくおでん鍋が置かれていたのだろうか、それとも清水のおでんは広島のお好み焼きのように戦後の焼け跡に芽生えた食文化なのだろうかと気になり、母に尋ねてみると清水の「一文商い」には戦前もおでん鍋があったという。清水っ子は戦前から「おだっくい」であるとともに「おでんっくい」でもあったらしい。

清水の駄菓子屋も今ではほとんど姿を消してしまったけれど、そういう店で育った世代が働き盛りとして社会に存在するせいか、清水ではバーのカウンタ席に座ると端におでん鍋があったり、中華料理店の土間の真ん中におでん鍋があり、注文した料理ができるまでセルフサービスでおでんをつまみながら一杯飲むなどという、さりげない行為が今でもさりげなくできるのである。

さりげないということは難しい。
 
「さりげ」というのはそうでありそうということだ。そうでありそうでないことが「さりげない」わけで、駄菓子屋やラーメン屋に意表をついてさりげなくおでん鍋があることを咄嗟には真似し難いように、老いた母親の介護をしていて「さりげないやさしさ」などを口に出して求められてもなかなか難しい。汗だくになって頑張れば、
「あんたも大変なんだから無理にやさしくしてくれなくたっていいよ」
などと言われるし、気づかれないところで気を使えば全く気づいてくれない上に、気のつかない息子だと他人に漏らす愚痴を聞くこともあるし、一所懸命介護をしているつもりでも、
「男の子はだめだ、その点女の子はやさしい…」
などと言われたりするのだ。

さりげなさは複数の人間による共同制作物である。さりげない行為をする人がいて、それをさりげないと心で受け止めて感じられる人がいて初めて成立するのだ。さりげないやさしさはさりげないが故に、「やさしくしてくれているようではなかったのに実はやさしくしてくれていたんだなぁ」と後になってしみじみ思い出されたりする宿命なのかもしれないと思うことにする。息子のさりげないやさしさなんて、母親には人生の再起動でもしてもらわない限り、わかってもらえないのかもしれないのだと。
 
そんな他愛のない愚痴を心の中で呟きながら傘をさして自転車を漕ぎ、「おでん」の文字を見かけると、さりげなく自転車を停め、さりげなく曲芸用の傘を畳み、さりげなく暖簾をくぐって、さりげなく黒はんぺんやこんにゃくの串をを皿に取り、さりげなく地元生産サッポロ黒ラベルを自分で冷蔵庫から出し、さりげなくカウンタに座って、さりげなく大相撲中継を見ながら飲み、さりげなく酔って勘定を済ませ、外に出るとさりげなく雨が上がっており、常連客が「ありゃあだれだっけか?」などとさりげなく噂している……そんな過去にあったかどうだかわからない暮らしが無性に懐かしくなる。

写真大上:お店の名前は「みく」ではなく「くみ」なのだと思う。入って見たい店の一つ。
写真大下:中華以外に和食も日本蕎麦もフライもおでんもあり、ポーカーならロイヤルストレートフラッシュ。
写真小:清水っ子ならどんなジャンルの料理名に挟まれて「おでん」の3文字を見ても驚かないさりげなさを身につけている。
[Data:SONY Cyber-shot DSC-W1]

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