【気温と気力】

【気温と気力】

足かけ二年も無人となった実家の片づけをしていると、季節ごとに「(捨てようかな…)」と思えるものが異なる。体調は物を捨てる意志を支える大切な要素で、「(捨てよう!)」と決心するには体力が要るのだ。

片づけ帰省してひとり実家に着いたものの、寒くて疲れていると「片付けよう」「捨てよう」という気がおこらず、しかも冷たい雨まで降ってきて、ほとんど何もせず空しく帰京した冬の日もあった。

静岡鉄道入江岡駅に降り立って久能道を歩いていたら低く燕が飛んだ気がし、汗ばむほどの暖かさなので「(ああ、もう燕が来たか…)」と思う。

その翌日はポカポカ陽気の昨日に比べて肌寒い。実家にエスパルスのウインドブレーカーを置いてあって良かったと思う。早朝の久能道ゴミ集積場所に次々にゴミ出ししていると、眼の端に低く滑空する燕を何度も見たような気がした。

次郎長通りには毎年たくさんの燕が旅の草鞋(わらじ)を脱いで巣を掛けるので、美濃輪稲荷赤鳥居前の魚屋店頭で

「もう燕が来てるね」
と言うと
「今年はまだ」
と言う。


静岡県清水入船町。エスパルスドリームプラザ前に舫われたヨットの帆柱。

魚屋で東京に送ってもらう魚の注文を終え、エスパルスドリームプラザ前のベンチに腰掛けて人工海浜とヨットハーバーを眺め、昨日に比べて薄ら寒い清水の空気を深呼吸する。

久能道篠田酒店で「鼈(すっぽん)」という名の芋焼酎を櫻珈琲に提げていく手みやげに買い、入江岡跨線橋を越えて下って行ったら電線に燕が二羽とまっているのを見つけ、見間違いではなかったとわかって嬉しい。


静岡県清水入江南町。そばの電線にもう一羽いた。

たいがいの鳥は人が構えるカメラやレンズを見て飛び去るのだけれど燕は人を恐れない。燕は人の暮らしに寄り添うことで身をまもってきた不思議な鳥であり、それゆえに奇妙な愛着がわく。


静岡県清水入江南町。寒風に向かって身をすくめる燕。

写真を撮りながら燕の姿を見ていると、燕もまた今日の薄ら寒さで何もする気がおこらないようにも見え、帰省したのにほとんど何もせずに帰京した冬の日の自分を思い出した。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2007 年 4 月 1日、15 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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