飛行場


SIGMA DP2

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大晦日に宇都宮の知人の家に寄った。
年末の忙しい時に押しかけるのもどうかと思ったが、快く迎え入れていただき、歓待してくださった。

知人の家のすぐそばに飛行場がある。
家は飛行機の進入するコース上にあり、乗員の顔が見えるような高さを飛行機が飛ぶという。
家の窓から飛行場を眺めていたが、年末年始の休みらしく、今日は飛ぶ気配は無かった。

戦時中は、その飛行場は中島飛行機であった。
当時広い知人宅の敷地内に、実際に飛行機が墜落している。
衝撃の為、そこには大きな窪みが出来ていて、未だに土地がどんどん沈んでいってしまうという。

飛行場を眺めているうちに、ふと、そこに以前来た事がある事に気付いた。
何だか懐かしい場所のように思えたが、記憶を辿ってみると、確かに中学生の時にその飛行場に来ている。

親戚がF重工で飛行機の設計をしており、頼み込んで見学させてもらったのだ。
まだ元気だった祖父に連れられて、いっしょに宇都宮まで行き、従伯父に工場を案内してもらった。

あの時工場では飛行艇の新明和などを作っていた。
敷地内には自衛隊のエリアがあり、そちらを写真に撮ってはいけないよと注意を受けたのを覚えている。

僕は、優秀な設計主任の従伯父を前に、将来は飛行機の設計をやりたい・・などと豪語したらしい(笑)
それが理由で見学に来たようなふりをしていた。
案内してくれた従伯父は、苦笑したことだろう。

実はどうしても行きたかった理由が他にあった。
陸軍の四式戦闘機がそこに置いてあったのだ。
アメリカでレストアされた貴重な機体を買い取ったもので、その数年前に実際に日本で飛行して話題になっていた。
その後、その機体は数奇な運命を辿り、やがて無残にも飛行不可能に陥るのだが・・・

陸軍四式戦闘機「疾風」は、大東亜決戦機という異名を持ち、各種性能が高次元でバランスした非常に優秀な戦闘機であった。
特に戦後米軍が、敗戦国である日本の軍用機をテストした結果、オクタン価の高い燃料で飛行した疾風は極めて優秀な性能を発揮し、日本の最優秀機と評価された。

その影響もあり、疾風を最高の戦闘機と考える人は非常に多かった。
戦争を体験していない人ほど、最強の兵器は何かにこだわるものなのだ(笑)

実際には戦争末期のジリ貧状態においては、整備不良や材料、燃料の質の低下が原因で稼動率が著しく低く、実力を発揮することがほとんど出来なかったようだ。
戦記を読んでも「少し速い隼」程度にしか扱われていないものもある。
しかし僕も、疾風こそ最高の戦闘機と信じて疑わなかった。

四式戦は飛行場の片隅にひっそりと置かれていた。
従伯父は「これは戦争中の戦闘機だよ」と説明してくれたが、僕の目が異様に輝いたのを見逃さなかったようだ。
「本当はこれが見たくて来たんだろうがね・・」
僕の方をちらりと見て、笑いながらそう言った。

すべて見透かされていたようだ。
飛行場の前で、その時の事を思い出し、つい苦笑いが出た(笑)
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