藤井聡太新名人誕生が大きなニュースになっている。朝日新聞も1面トップだけでなく、2面、社会面も関連記事で埋め尽くされていて、〝日陰者〟の頃から将棋ファンだった俺も感慨ひとしおだった。対局番組をアメフトやラグビー、ボクシングを観戦するように楽しんできたが、最近は上質なミステリーの味わいを覚えている。
例えば名人戦第5局。後手藤井の72手目△6六角に渡辺明名人が▲同金と応じていれば優勢を維持出来たが、長考の末に指した▲2三桂で互角になる。この間、両者の脳裏にいかなる局面が表れていたのか凡人にはわからない。これぞミステリーで手練れの解説陣も謎解きは出来なかった。
ミステリーの原点を読了した。積読本の中から選んだエドガー・アラン・ポーの短編集2冊(巽孝之訳、新潮文庫)を読了した。「ポー短編集Ⅰ ゴシック編」には「黒猫」、「赤き死の仮面」、「ライジーア」、「落とし穴と振り子」、「ウィリアム・ウィルソン」、「アッシャー家の崩壊」の6作、「ポー短編集Ⅱ ミステリ編」には「モルグ街の殺人」、「盗まれた手紙」、「群衆の人」、「おまえが犯人だ」、「ホップフロッグ」、「黄金虫」の6作が収録されている。
この12作は1838年からポーが亡くなる49年までに発表されており、推理小説という形式を世界に示した作品群だ。ピックアップして何作かを紹介したい。「黒猫」はゴシック(=幻想的)、ホラーに分類される作品で、キーワードは<天邪鬼>だ。<やってはいけないとわかっていながら悪い行いに手を染めてしまう>悲しい人間の性を背景に描かれている。
主人公は優しい性格でペット愛好家でもある。中でも溺愛したのがブルートーと名付けられた黒猫だが、酒に溺れて壊れていく。妻やペットに暴力を振るうようになり、ブルートーの片目を潰してしまう。本作に重なったのは、目取真俊の「署名」で、知人に殺され吊るされた猫が出てくる。目取真はポーにインスパイアされたのか。
「ライジーア」と「アッシャー家の崩壊」には共通したモチーフがある。それは死者の再生だ。主人公は最愛の妻ライジーアの死を受け入れられず、2人目の妻ロウィーナも失う。だが、死の床から立ち上がったロウィーナはライジーアそのものだった。スケールアップした「アッシャー家の崩壊」には友人のロデリック・アッシャーの屋敷を訪れた主人公が見聞したことが描かれている。
ロデリックによる双子の妹マデラインの生き埋めがストーリーのメインだが、アメリカ南部におけるスピリチュアリズムの浸透、奴隷制度が背景にあるのではないか。南北戦争は本作発表から22年後に勃発した。一族、屋敷だけでなく、価値観の崩壊を予兆させる物語だ。
別稿(2月27日)でドストエフスキーの「二重生活」を紹介した。同作は1846年発表で、ドストエフスキーはポーを読んではいないはずだ。だが、ドッペルゲンガー(自己像幻視)をモチーフにした「ウィリアム・ウィルソン」(39年)とは近似的だし、ロンドンを彷徨う男を主人公に据えた「群衆の人」(40年)は「二重生活」と同様、<都市小説>の走りといえる。アメリカとロシアで偉大な作家は等質の空気を吸っていたのだろう。
推理小説の先駆けといえるのが「モルグ街の殺人」と「盗まれた手紙」だ。舞台はパリで、語り手が友人であるオーギュスト・デュパンの推理を披瀝する。謎解きだけでなく、<天才的な探偵-平凡な相棒>のバディはミステリーの定番になった。ホームズとワトソン、ポアロとヘイスティングス、そして現在の「アストリッドとラファエル」に至るまでそのスタイルは継承されている。
ゴシックでもホラーでもなく、肉感的な恐怖を覚えた「落とし穴と振り子」、ミステリー映画を見ているような「おまえが犯人だ」も記憶に残るが、「黄金虫」には先駆者としての煌めきに溢れていた。暗号解読という点でホームズの「踊る人形」、宝探しという点で「マスグレーヴ家の儀式」への絶大なる影響が窺える。積読本の中からポーを〝発見〟出来て幸いだった。
例えば名人戦第5局。後手藤井の72手目△6六角に渡辺明名人が▲同金と応じていれば優勢を維持出来たが、長考の末に指した▲2三桂で互角になる。この間、両者の脳裏にいかなる局面が表れていたのか凡人にはわからない。これぞミステリーで手練れの解説陣も謎解きは出来なかった。
ミステリーの原点を読了した。積読本の中から選んだエドガー・アラン・ポーの短編集2冊(巽孝之訳、新潮文庫)を読了した。「ポー短編集Ⅰ ゴシック編」には「黒猫」、「赤き死の仮面」、「ライジーア」、「落とし穴と振り子」、「ウィリアム・ウィルソン」、「アッシャー家の崩壊」の6作、「ポー短編集Ⅱ ミステリ編」には「モルグ街の殺人」、「盗まれた手紙」、「群衆の人」、「おまえが犯人だ」、「ホップフロッグ」、「黄金虫」の6作が収録されている。
この12作は1838年からポーが亡くなる49年までに発表されており、推理小説という形式を世界に示した作品群だ。ピックアップして何作かを紹介したい。「黒猫」はゴシック(=幻想的)、ホラーに分類される作品で、キーワードは<天邪鬼>だ。<やってはいけないとわかっていながら悪い行いに手を染めてしまう>悲しい人間の性を背景に描かれている。
主人公は優しい性格でペット愛好家でもある。中でも溺愛したのがブルートーと名付けられた黒猫だが、酒に溺れて壊れていく。妻やペットに暴力を振るうようになり、ブルートーの片目を潰してしまう。本作に重なったのは、目取真俊の「署名」で、知人に殺され吊るされた猫が出てくる。目取真はポーにインスパイアされたのか。
「ライジーア」と「アッシャー家の崩壊」には共通したモチーフがある。それは死者の再生だ。主人公は最愛の妻ライジーアの死を受け入れられず、2人目の妻ロウィーナも失う。だが、死の床から立ち上がったロウィーナはライジーアそのものだった。スケールアップした「アッシャー家の崩壊」には友人のロデリック・アッシャーの屋敷を訪れた主人公が見聞したことが描かれている。
ロデリックによる双子の妹マデラインの生き埋めがストーリーのメインだが、アメリカ南部におけるスピリチュアリズムの浸透、奴隷制度が背景にあるのではないか。南北戦争は本作発表から22年後に勃発した。一族、屋敷だけでなく、価値観の崩壊を予兆させる物語だ。
別稿(2月27日)でドストエフスキーの「二重生活」を紹介した。同作は1846年発表で、ドストエフスキーはポーを読んではいないはずだ。だが、ドッペルゲンガー(自己像幻視)をモチーフにした「ウィリアム・ウィルソン」(39年)とは近似的だし、ロンドンを彷徨う男を主人公に据えた「群衆の人」(40年)は「二重生活」と同様、<都市小説>の走りといえる。アメリカとロシアで偉大な作家は等質の空気を吸っていたのだろう。
推理小説の先駆けといえるのが「モルグ街の殺人」と「盗まれた手紙」だ。舞台はパリで、語り手が友人であるオーギュスト・デュパンの推理を披瀝する。謎解きだけでなく、<天才的な探偵-平凡な相棒>のバディはミステリーの定番になった。ホームズとワトソン、ポアロとヘイスティングス、そして現在の「アストリッドとラファエル」に至るまでそのスタイルは継承されている。
ゴシックでもホラーでもなく、肉感的な恐怖を覚えた「落とし穴と振り子」、ミステリー映画を見ているような「おまえが犯人だ」も記憶に残るが、「黄金虫」には先駆者としての煌めきに溢れていた。暗号解読という点でホームズの「踊る人形」、宝探しという点で「マスグレーヴ家の儀式」への絶大なる影響が窺える。積読本の中からポーを〝発見〟出来て幸いだった。