酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「覇王の譜」~現実を写すエキサイティングな将棋小説

2023-06-24 15:43:32 | 読書
 棋聖戦第2局は佐々木大地七段が藤井聡太7冠を破り、1勝1敗のタイになった。時間が切迫する中、佐々木の受けの緩手と藤井の攻め急いだ龍切りで形勢は不明になる。佐々木が5五角の妙手で藤井を押し切った。難解でスリリングな展開を常に制してきた藤井に逆転勝ちした佐々木の底力に瞠目させられる。無敵の藤井にライバルが現れたか。

 王座戦挑決T準々決勝の藤井対村田顕弘六段戦も衝撃的だった。村田は板谷四郎九段の孫弟子で、その息子である板谷進九段の孫弟子に当たるのが藤井と、同門対決でもあった。〝安全牌〟と見做されていた村田は対局前、「棋士人生を懸けて指す」と決意を明かし、「村田システム」で優位を築いて、終盤はAI評価値で95%以上になる。藤井の勝負手△6四銀で怪しくなり、受け間違えた村田が即詰みに追い込まれる。AIとの蜜月と藤井の登場で空気は変わったが、村田の人間臭さは、百鬼夜行、魑魅魍魎が闊歩していた頃の将棋界に通じるものがある。

 現在進行形の棋界に匹敵するエキサイティングな将棋小説「覇王の譜」(橋本長道著、新潮文庫)を読了した。橋本は元奨励会会員で、1級で退会後、神戸大を出て政府系金融機関に就職したが退職し、作家になる。主人公の直江大五段は期待されて四段になったが7年もC級2組にとどまっている。くしくも上記した佐々木七段と同じ状況だ。

 物語の軸はライバル関係だ。直江は奨励会同期入会の剛力英明と切磋琢磨していたが、四段になったのは3年遅れ。王座戦挑戦者決定戦でようやく背中が見えた。直江は万全の準備で臨んだが敗れ、剛力は勢いそのまま戴冠する。剛力が直江の研究を予測し、対策を練っていたことが明らかになるや、直江は盤上以外では関わらないことを剛力に宣言した。

 両者の個性は対照的だ。剛力はトレーニングで筋肉の鎧を纏い、直江や棋士を駒の如く扱っている。〝闇将軍〟と呼ばれ、次期会長と目される師匠の千々岩棋聖とともに棋界制圧の野望を隠さない。叛旗を翻した直江はゼロ研からパージされ、順位戦最終局では陰湿な情報操作に巻き込まれて、あやうくC1昇級を逃しそうになった。千々岩-剛力ラインを警戒する北神名人(4冠)が直江に接近するなど、生々しい棋界の動きが描かれているのも本作の特徴だ。

 直江少年を見いだしたのは関西の重鎮、三木邦光だった。実利だけでなく、将棋の本筋を追究することを説き、詰将棋の重要性を教えた。直江の師匠になったのは、三木の弟子に当たる師村柊一郎王将で、モデルは久保利明九段か。3人に共通するのは棋界政治から距離を置いていることだ。

 剛力は傑出したリーダーシップで棋界を主導していく。絶大な藤井効果で棋界の景色は変わっていることの典型的な例は不二家が主催する叡王戦だ。新聞社の不況を見越した剛力は、一般企業がタイトル戦を立ち上げる動きを先取りする。守旧派で棋界革新の阻害物になる千々岩の排除を棋聖戦の場で宣言した。「あなたは会長にはなれません」と師匠に言い放つのだ。

 チーム直江が形成されていく。打倒剛力に向け、練習相手を務めるのが師匠の師村で、弟子の高遠拓未も心強いパートナーになる。寡黙な藤井とキャラは好対照だが、天才少年の拓未はAI導入を直江に勧めた。奨励会三段リーグに編入された女流トップの江籠紗香も魅力的だし、関東の有望な10代棋士、遠藤四段も仲間のひとりだ。

 個性的な棋士を絡めて物語は厚みを増していくが、プライドと矜持を隠さずぶつけ合う直江と剛力の対局シーンの迫力に圧倒される。さすが元奨励会会員というべきで、将棋は知的な格闘技であることを思い知らされた。続編に期待している。
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