酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「憲法の『空語』を充たすために」~刺激的で示唆に富む憲法読本

2015-05-06 23:43:55 | 読書
 GWは親類宅(寺)に泊まり、母が暮らすケアハウスを訪ねる日々だった。これまで鳩山元首相を酷評していた母が、「戦後史の正体」(孫崎享著)の影響か180度、見方が変わっていたのには驚いた。

 親類宅での話題といえば世紀の一戦で、フィリピンの貧困救済をライフワークにする従兄弟は、マニラの空港でパッキャオと鉢合わせしたことがあるという。判定負けは残念だが、50㌔前後から体重を増やして6階級を制覇したパッキャオこそ、史上最高のボクサーで、今回も莫大な額が寄付に回されるはずだ。従兄弟の更なる懸案は地震に襲われたネパールだ。被災した知人も厳しい状況下にあるという。俺も微力ながら協力したい。

 GWは京都で憲法について考えようと思い立つ。紀伊國屋で関連書を物色し、魅力的なタイトルの「憲法の『空語』を充たすために」(内田樹著、かもがわ出版)を手にした。著者が昨年、神戸憲法集会で行った講演を加筆修正した3章から成る小冊子である。第3章「グローバル化と国民国家の解体過程」は後日、自民党改憲草案について記す時に記したい。

 著者は以下のように、問題提起をする。<国会議員だけでなく、公務員は憲法を遵守する義務がある。なぜ、護憲集会の共催、後援を打ち切る自治体が続出するのだろう。地方公務員はなぜ、護憲集会を公共の施設で開催されるのに適さないと判断するのだろう>と。

 そして次のように仮説を立てる。<自民党改憲草案がそのまま憲法になった時、新憲法を支持する集会を、自治体はこぞって共催、後援するであろう>と。憲法を遵守すべき国会議員や公務員が、自らを前文に定義された「日本国民」であることを意識していないのは大きな問題だが、現憲法にも欠点はある。人間臭さがなく、人工的というイメージを拭えない点だ。

 一方で、憲法の理念に対する国民の理解不足もある。例えばアメリカの独立宣言(1776年)に「すべての人間は生まれながらに平等」という文言があるが、黒人差別が21世紀になっても残っていることは、最近の事件が示す通りだ。著者は次のように記している。

 <護憲というのは、あるいは立憲主義というは、憲法は国の最高法規だから守らなくてはいけないという静止的な話ではない。最高法規に相応しい重み、厚み、深みをいかに加えていくかの力動的活動が求められる>……。

 憲法とは達成目標といえるだろう。日本国民はこの70年、〝憲法に相応しい重み、厚み、深み〟を加えるために努力した。「憲法9条を堅持した国民はノーベル平和賞に値する」という著者の見解に俺も大賛成だ。

 第2次大戦時の日本の負け方が、現憲法の〝与えられた〟感を強くしたと著者は述べている。枢軸国に分類される可能性もあったフランス、そしてドイツ、イタリアの同盟国には戦争を遂行した権力側と闘った者がいて、<敗戦後に国家再建の足掛かりになる物語>に事欠かなかった。一方で日本にはレジスタンスは皆無で、<国体護持=天皇制維持>が担保されるまで戦争は続いた。主体が見えてこない現憲法だが、肉付けするのは国民の役割だ。

 安倍首相の解釈改憲を著者は「法治から人治へのプロセス」と指摘している。人治の端的な表れは短絡的な勝ちを求めるトップダウン式の株式会社で、典型は「反対なら次の選挙で落とせばいい」と語る安倍首相と橋下大阪市長だ。ブッシュ前大統領は2期目の選挙で「エンロンこそ国家経営の理想」をスローガンに掲げた。優勝劣敗と効率を最優先する株式会社的発想を、安倍政権は<小泉=竹中ライン>から継承している。

 彼らにとって<選挙=マーケット>で、平等と公正が原則であるべき立憲主義と相容れない。経営者気分の政権に、株式会社で働く有権者は疑問を持たず簒奪されている。株式会社の失敗は有限責任で、東電やメガバンクは破綻しても税金が投入される。一方で、国家は無限責任を背負う。中韓が戦時中の日本の蛮行を追及するのは最たる例で、外部化されず国民にも責任が問われる。

 本書は〝憲法初級〟の俺には刺激的で示唆に富む内容で、憲法を理想に向かう進行形と捉える視点が印象的だった。護憲派にもステレオタイプ化している部分がある。<9条があったから日本は戦争に関わらなかった>という主張に欺瞞を感じる。日本の基地から飛び立った米軍による殺戮に、日本も加担している。その点抜きに語られる護憲は、俺にとって<憲法論の「空白」>だ。
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